策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

よちよち漢語 二十七 需要愛先生「思為双飛燕」

十一章 求賢 賢才を求む

 孫伯符と周公瑾は同じ穴の貉だ!
 あの夜、孫権は悲しみと憤りを抱えながら、そう記した。どうして早くにわからなかったのか?彼は周瑜のあの立ち居振る舞いが穏やかで優雅な外面に騙されちゃっていたのだ。周瑜は彼の代わりにお兄ちゃんに忠告してくれると言い張っていたのに、その時になると、孫権周瑜はお兄ちゃんより大言壮語して恥とも思っていないと感じた。
 もっとも怒ったのはこれ!孫権がお兄ちゃんの代理として、あの二人の張という名士にあいさつに行くことになったこと!なにが仲謀が小さくて早熟でとっても可愛いだ。二張は必ずや断れないだ。なにが古の甘羅(*甘寧の先祖)が十二歳で使者になっただ。今仲謀は十歳で使者となる。
 使者がなんだ、お兄ちゃんは経済的にも窮して、文化的にも……で、もう使者に行くしかないよ!
 さらにもっと頭にきたのは、話が終わるなり、周瑜はお兄ちゃんに筆と硯を用意させて、さらさらさらとお兄ちゃんの孫策はいかに英明で武勇に優れているか、素晴らしい人材をいかに欲しているのか、まるで大智は大愚のごとくと思えそうな一篇の文章を書いた。書き終わると、二人は近寄って読んで出来を褒めた。一方は自分がどんなにうまく書いたかといい、もう一方はオレはなんてこんなにカッコイイのだといった。
それから、この文を孫権に渡し、よく読んで暗唱しろと!
 お兄ちゃんはさらにうちの侍女を呼んで、孫権の髪を改めて梳き、成年の髷に結い上げさせた。また、自分のつけている白玉の冠を載せてやった。その冠は大きく傾き、載せると頭の上がひどく変な感じだった。
 周瑜も知らないうちに従者のもとの荷物から一匹の手の込んだ錦織の生地を引っぱり出してきた。言うことには、お兄ちゃんに孫権の新しい袍を作らせると。

 三日後、頭には白玉の冠をいただき、体は錦織の袍を纏い、足は下駄をはいた孫権は自分の家の大堂でぷりぷりと怒っていた。孫策は何人かの家僕と軍のなかの随従に命じて、孫権を彭城につれていくようにと言いつけた。出発前、呉夫人がまた心配を始めた。孫策がいくら自分が十歳の時には一人で遠くに出かけていたといっても、従者が孫権を保護してきっと平安無事だといっても、呉夫人は安心できなかった。さらに孫策に言った。
「権はあなたとはくらべられないわ。権は小さい頃からわたしに付いて家の中でお勉強していたのよ。家人で面倒を見るものがいなくて、あなたは権にひとりで彭城に行かせて、心配ではないの?」
 孫策はなすすべがなく、自分が抜け出して孫権についていこうとして、周瑜に止められた。
「きみがもしいったら、ひとの笑いものにならないか、孫氏の兄弟が共に彭城に行って、孫伯符は自分で張昭にあいさつに行かないのに、弟を先行させるなんて、だめだよ」
 周瑜は顔を俯けて少し考えた。
「わたしが仲謀と行ったほうがまだましかな」
 周瑜がこの話をしたとき、孫権は机の所に座り、自分の着物の帯を引っ張っていた。話を聞くなり、ふくらんでいたほっぺたもへっこみ、帯も止めず、口先の尖りもなくなり、しゅっと立ち上がった。澄んだ子どもの高い声で叫んだ。
「公瑾お兄ちゃん、一緒に行こう!」