策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

よちよち漢語 五十 需要愛先生「思為双飛燕」

二十七章 忤逆 反抗期

 孫権は小さい頃から特別聡明で物わかりがよく、孫策は未だかつて考えたことがなかった、この弟がこんなに反抗してしつけることもできないほどのわがまま放題をやらかすとは。
 周瑜が軍営地にやって来てからは、孫策はずっと横江を攻めることにかかりきりで、何日も孫権を気にかけることもなかった。まさか、なんとあろうことか兵士が報告しに来た。昨日孫権がどこから付き合っているのかも知れない不良仲間を連れて、ある厩に無理やり入って、五頭の極上の戦馬を連れて狩りに出かけたという。厩の兵士は孫権を止めようとしたが、殴られた。その五頭の馬は孫策が珍しい宝物のように大事にしていた戦馬だったが、晩に戻ってきた時には三頭しかいなくて、一頭は逃げ、もう一頭は矢で誤って傷つけ殺してしまった、という。
 孫策はかっとして怒り、孫権を呼んで話を聞くことになった。孫権がよろよろしながら孫策のテントに入って来たとき、遠くからでも孫策は酒の匂いを感じとれた。孫権の両眼はぼんやりと机のところに座って青黒い顔しているお兄ちゃんを見た。口ではぶつぶつと呟いた。
「さ、酒を飲んでいるのに、何の用でぼくを呼ぶんだよ」
「仲謀!」
 孫策はさっと立ち上がった。さきほど、兵士たちが報告したことを繰り返し説明して、孫権に事実かと問う。
「事実だよ」
 孫権は頭をゆらゆらと揺らした。
「二頭の馬か、ぼ、ぼくはお金がある。市場で買ってくる、二頭返せばいいんだろ、ほ、ほんとうだよ」
「誰かある!」
 孫策は怒り心頭で全身を震わせた。
「引っ立てよ、五十軍棍の刑だ!」
「将軍!将軍なりませんぞ将軍!」
 そばの李軍官らが前に進み出て慌てて言った。
「二公子は若くて世間をご存知ないのです。将軍どうか、とがめだてなさいますな」
「二公子は苦労を知らないのです。五十軍棍では命にかかわりますよ将軍!」
「なにが若くて世間知らずか」
 孫策孫権を指差して言う。
「オレがこのくらいの年には、すでに兵を率いて戦っていたぞ」
 みんなは内心、孫策はこのとき腹立ちのさなかで、万が一何か問題が起きたら、後日死ぬほど後悔するに違いない。それゆえ、しきりに押しとどめた。しかし、孫策は他人に止められるような人でもなくて、ある人が耳聡く行動も迅速に、飛ぶように周瑜のテントの中へと走り、周瑜を探し出した。
 周瑜は聞くや、大いに驚いた。孫策の弟たちのなかでも、孫権はもっとも道理のわかっているものではなかったか、もっとも話をよく聞く子ではなかったか?どうしてこんな悪さをしでかして、その上反省の色も見えないという。
 周瑜孫策のテントに入って行ったとき、孫権は首まで赤くして、ぼんやりとその場に立ち、しょんぼりとした顔をしていた。孫策は青黒い顔をしていて、両眼は火を噴き出さんばかりだった。
 周瑜は一目見てこれはいさめても止められない様子だと判断して、一計を思いついた。そこで、前に進み出て孫策に言った。
「仲謀のことは、わたしも全部聞いた。軍棍の刑に処すべきだ」
 孫権はそれを聞いて、ぱっと顔を上げて周瑜を見たが、また俯いた。
「おまえはなんで来たんだ?」
 孫策周瑜と話しながら、後ろのほうで縮こまっている親兵を見つめた。情報を流したあの親兵は慌てて逃げ出した。
「忘れたの?わたしは軍を監督する地位を昨日きみからもらったばかりだよ」
 周瑜は余裕のある様子で孫権のそばに歩いて近づいた。孫策に向かって言う。
「およそ軍中での騒ぎを起こすこと、脱走のこと、その他軍規を違反することはすべて、わたしが軍の刑罰を握っている」
「あーー」
 孫策は無言になった。
「だから仲謀のことはわたしが裁決すべきだと。孫将軍はどうおもわれますか?」
「じゃあおまえ、どうするつもりだ?もしおまえが私情にとらわれるのなら、オレとて許すわけにいかない」
 孫策の語気はあきらかに軟化していて、悶々と苦悩に満ちていた。
「すべて軍規に照らして処置します。五十軍棍、一棍たりとも減らしません」
 周瑜は低い声で呟いた。
「しかし、仲謀はきみの弟、身分は特殊、だれか別人が行って不適当だと困るから、思うにわたし自ら刑を実行するのがいいだろう」
 孫策はしばし無言でいたが、最後には手を振った。
「それじゃあおまえの言うとおりにしよう」
 このとき、テントの中で立つことおよそ半日、孫権は酔いもだいたい醒めてきて、これは大失敗をやったと気づいた。いつも、彼はお兄ちゃんが軍法を執行するのをみてきた。軍棍は腕のように太く、極めて恐ろしい。あるものは十棍も満たないうちに痛くて死んだものもあるくらい、皮も肉もめちゃめちゃにするのだ。
 それでもまだいい、孫権は身震いした。ぼくは公瑾の手で死のうとしているのだ!
 これまで孫権周瑜が懇ろに教え諭す、優しい穏やかな一面を見たことはあっても、まだ軍中での周瑜がどんな様子であるかは見たことがなかった。歯を食いしばって戦場に来て、顔をそばの周瑜に向けた。このとき、孫権の中で特別親しい、特別優しい公瑾お兄ちゃんの無表情はとても恐ろしいものだと気づいた。つり上がった鳳眼は笑うと桃の花のように華やかなのに、氷結すると凶悪に恐ろしいものとなった。
「仲謀、這いなさい」
 周瑜の声は大きくもなかったが、気迫があり力強かった。
 孫権は心から今日は逃げ出すこともできない、ただ長いすの上に跨がるしかなかった。傍らの兵士が孫権の下着を下ろそうとして、孫権は恨みがましい声で言う。
「自分でやるよ」
 周瑜は兵士に下がるように示した。孫権は自分でパンツを下ろし、ちゃんと跨がり、尻を上に向けて、黙々と長いす(背もたれのないベンチ)に抱きついた。
 そばの者が軍棍を周瑜の手に差し出した。周瑜は手で持って軍棍の重さを確かめ、軽く振って、高々と振り上げた。孫権は固く両眼を閉じた。心中で百回千回と馬を奪ったことはもとより自分が悪かった、でもお兄ちゃんも本当に残酷だ、五十軍棍も喰らったら、自分はお父さんに会いに行ってしまうのでは?小さい頃から勉強して、胸に大きな志を抱いてきた自分が、一時のバカで軍法で処分されてしまう。上はご先祖さまに、下は兄弟姉妹に申し訳ない。お母さんが苦労して自分を育ててくれたのに、もしお母さんが自分がお兄ちゃんの軍中で死んだと知ったら、どう思うだろうか?心も砕けてしまうだろう。唯一慰めとなるのは自分がどうせ死ぬのでも、公瑾の手の中で死ぬのなら、粗野な兵士の手にかかるよりはずっといい。
 そんなことを考えながら、孫権は頬に思わず透き通った涙を一条流していた。人は男の子は軽はずみに涙を流すものではないと言うけれど、それはまだ傷ついたことがないからだ。
 周瑜は軍棍を振り上げ、落とそうとするとき、孫権が涙を流しているのを見て、なんともいえない表情になった。
「仲謀、我慢しているんだよ」
 そう言うや、軍棍は重々しく落ちた。孫権は尻に鈍痛を感じた。しかし、まだマシだった。受けとめられる。歯を食いしばった。かたわらでは兵士が数を数えた、一、二、三、四、五……。
 孫権にしてみれば、時間の過ぎるのが特別長かった。しかし、思いのほかだったのは、ひたすら痛いのは明らかだが、いつも痛いのは耐えられない孫権でも気絶することなく、意外にも歯を食いしばりながら五十軍棍をちゃんと耐えたのである。
 刑が終わった後、孫権は自分の腕と足がちゃんとあることを発見した。さらにはもがきながらもふらふらと立ち上がれた。死んでいない!
 ある人が周瑜に手を拭くタオルを差し出した。周瑜は手を拭いたあと、医官を呼んだ、医官の薬箱から金瘡薬を取り出して孫権の方へ向かった。
 孫権はこのとき、少し回復してきて、朝に呑んだ酒もすっかり抜けて、思わず心の中で驚き叫んでいた。ぼくはなんということをやってしまったんだ!数日間のでたらめな行い……脳内を駆け巡り、驚きで全身冷や汗が出た。
 周瑜は金瘡薬を外で待っている孫権の側仕えの兵士に渡そうかと思っていたら、孫権の震える声音が聞こえた。
「公瑾、ごめんなさい」
 周瑜は頷いて、振り向き、目でほほ笑んだ。
「反省したのならいい」
 孫権はちょっと不満があり、また恥ずかしさもあった。のろのろとしながら、唇をやや震わせて聞いた。
「ねぇ、薬を塗ってくれるの?」
 助けられながら自分のテントに戻ると、居心地良く柔らかな布団の上に腹ばいになった。孫権は長く息を吐いた。周瑜は他の人に 出るように示して、さっきの薬の箱を開けて、孫権に塗り始めた。
「仲謀が、もし軍中で気が滅入るのなら、陽羨に戻った方がいいよ」
 周瑜孫権の尻に触れると、孫権は歯を剥き出しにした。
「痛いかい?」
「痛くない」
 孫権の眼はうるうると潤んでいた。
 周瑜孫権のテントから出てくると、孫策が外で心配そうな顔をして待ってた。
「殄寇将軍も仲謀の様子を見にきたのですか?」
「ゴホン」
 孫策はそばに誰もいないことを確認して、近づいて小声で聞いた。
「大ケガしてないだろうな?」
「皮が剝けたけど、問題ないよ」
 周瑜は軽く睨んだ
「どうしようもないガキだ」
孫策の表情は憎々しげだったが眼はいかんともし難いと悩んでいた。
周瑜は俯いて笑い、答えなかった。
「オレはやっぱり陽羨に送り返そうかと思う」
 孫策は思うところがあったのか、尋ねた。
「おまえは聞いたのか、あいつがなんで突然バカをやらかしたのか?」
「わたしは訊かないよ。きけないし」
「ふん」
 孫策はため息をついた。
「おまえの本当の弟じゃないから、おまえは仲謀が心配じゃないのか」
「もしわたしの弟なら、尚更訊けないね」
 周瑜は口の端をかすかにつり上げた。
「わたしが懲らしめたからには、もうこれからは再犯することはないよ」
「そのとおりだな」
 孫策も頷いて肯定した。
「オレの父上もこうやってオレをしつけた。オレが思うに軍営外の貴族のお坊ちゃんたちが仲謀を唆したのだろう。今日バシッとしかられたからには、これからはちゃんと記憶に留めておくだろう」

 このときテントの中では、ベッドの上で孫権がふーふーひーひーうなりながら、さらに快適なポーズはないか試しているところだった。ひんやりとした軟膏が効き始め、痛みはさきほどより強烈ではなくなっている。
 孫権は袖で額の汗の玉を擦った。布団を抱えながらぼうっとした。
 いわゆる、さっき周瑜と自分は肌で親しむ関係になったのだなぁ、孫権は顔がちょっと熱くなった。周瑜の細長くて白い指が自分の尻を触れていった。惜しいことに痛すぎて何の感覚もなかった。あきらかに薬の冷たさだけが感じられる。
 孫権の顔はますます熱くなっていった。周瑜が自分に手加減してくれたことをわかっていた。そうでなければ死んでいた。しかし、孫権は思わずにはいられなかった。撲たれたのは痛すぎた。もし、もうちょっと軽かったら、皮が剝けて生傷になるほどでなかったら、薬を塗るときに公瑾の指の腹の感触が感じられたのに……。

よちよち漢語 四十九 需要愛先生「思為双飛燕」

二十六章 双璧(下)

 長江の上に華やかな彫刻や彩色が施された嫁入りの船や花の如く美しい親族が見られると思っていたのに、結果、薄霧の奥から出てきたのは味気ない黒色の輜重船たちだった。
「半日騒いで孫将軍の糧秣が届いたのか」
「無駄な見物だった」
「おれまだ漁網を片づけていなかった」
「おれもだ、時間の無駄だったな」
 がっかりした気持ちが岸辺で見物していたものたちに広がっていった。
 そして、人々の失望も長くは続かなかった。突然ある人が大きい声で聞いてきた。
「あれは誰だ?」
 輜重船はもう渡し場に近づいていた。先頭の大きい船の幕が開かれて、中から身を屈めて燃えるような赤いマントを着た若者が出てきた。その若者は、頭には透き通って耀く白玉の蝉冠を被り、冠の脇からは三つの真珠が連なり、髪を結った絹紐が耳のあたりに自由に垂れていた。手には剣を持ち、足には純金の朝雲模様の靴を履き、腰にはほっそりしたウエストを目立たせるウワバミ柄の帯を巻いていた。背が高く、全身お坊ちゃまらしく堂々と立派である。
 彼の着ている炎色のマントは、黒と金色で貴族のお坊ちゃま達でもっとも流行している鳳凰が九天に駆け登るデザインが刺繍されている。もし燃えるような生地に自由に飛び立つ鳳凰、そしてその船が黒でなかったら、このように大船が衆人の耳目を奪うほど目立つことはなかったろう。
 見物人はこの兵糧を運ぶ船にどうして錦を着たお坊ちゃまが登場してきたのか不思議に思った。しかし、そのお坊ちゃまが岸辺に向かって視線を向けたとき、見物人たちはみな息を呑んで驚いた。白玉の冠もつやつやとして美しいが、このお坊ちゃまの羊脂玉のような頬ほどではなかった。赤いマントも目立っているが、このお坊ちゃまのおっとりとして美しいさまを際立たせているにすぎない。
 この身なりは別人が着れば、むやみに装飾過剰であろうが、この青年の着こなしでは、特別普通の服で、ちょっと引っかけて着ているだけのようである。
 英俊で美しく温潤な顔立ちに一対のつり上がったなまめかしい目が、岸辺に向けられた時、口許はかすかにつり上がった。見るからにひどく艶めきすぎた!
「いったい誰じゃ?」
「都から来たのかな?」
「おまえなんというお方か知っとるか?」
「あの旗には周と縫い取りがあるから、姓は周じゃないか?」
「まさかこんな糧秣の監督官がおるまいて」
「糧秣の監督官にしておくには惜しいのう?」
「おい、はっきり見えん。もうちょっと近くに行こう」
 見物人たちは再び騒がしくなっていた。糧秣担当官の視線が慌ただしくさっと見回すと、すぐにある一箇所に止まった。船の先に立った後、彼はずっとその方向を眺めて、口許に微笑みを浮かべていた。赤いマントは上下に風に靡いていた、あたかも火の中に羽を伸ばす鳳凰のように、長江の上をまっすぐ岸辺の一点に向かっていた。
 兵糧の担当官をしているいささか美しすぎるお坊ちゃまの目線に、人々は再び息を呑んだ。それからやっとして、あきらかにちょっと焦っていた孫将軍がいつの間にか姿勢を変えていた。このとき、孫策は丘の頂上で後ろ手にして立ち、ゆったりと落ち着いたさまで尊大にあたりを睥睨していた。自信満々という気持ちが孫将軍の眼には少しも隠さずに現れていた。まっすぐ大きな船の兵糧担当官を見つめていた。その視線はまっすぐで熱烈過ぎたが、人々には当然のもの、生まれつきそうなのだと納得した。
 こととき、長江は空の青を映し一色となり、霧はすでに消えていた。太陽の光が物憂げに金色の輝きを水面に口づけて、波の光がきらきらと澄んでいた。まさに、長江の景色がもっとも心躍らせるころ、さらに美しい光景が色あせていた。飛び交う白鷺、うねる流雲。それらはまるでただ二人の背景に置かれたようだった。孫将軍の強烈な視線は江上で少しも劣らない反応に逢った。赤い衣の兵糧担当官はほのかな笑みを浮かべ、目は孫将軍を取り囲みその動きを追い、あたかも相手の目をなぞり描くようだった。
 赤と白の二つの人影はあきらかに離れていて遠いのに、かえって人々にはぴったりとくっついているかのように思われた。
 大きな船が接岸すると、落ち着いた風であった孫将軍もいてもたまらず、一陣の風のように丘から駆け降り、渡し場に走った。兵糧担当官も足早に大きな船から降りた。孫将軍は兵糧担当官の手を握ると、感動して言葉が出てこなかった。
 しばらくして自分が何を言うべきか思い出し、兵糧担当官の手を強く握り言った。
「オレはお前を得たからには、すべてがかなう」
 そして、また一言加えて言った。
「公瑾、お前遅かったぞ」
 兵糧担当官は眉を跳ね上げた。
「将軍、進軍が早すぎます。わたしは盧江からあなたを追いかけて、八百里も追いました。やっとここで追いつきました」
「へへっ」
 孫策はずっと相手の手を握っているのはちょっとおかしいかなと気づき、握手から肩に腕を回すことにした。応じて言う。
「とうにこうなることを知っていれば、お前をもう八百里追わせてやったのに」
「お兄ちゃん、もう八百里なんて言ってたら死んじゃうよ」
 突然別の声が孫策の後ろから出てきた。
「仲謀も来ていたのかい」
 兵糧担当官の話が終わらないうちに孫策に引っ張られ進んでいった。正確には抱えられて進んでいるようだ。
「公瑾、行こう!軍営地に行ってちょっと見て見ろ、おまえも我が軍の雄壮さを深く理解するだろう」
「義兄の率いる軍はもともと雄壮でしょう」
「オレは昨晩お前からの書状を受け取ってから、準備一切させて、おまえを待っていた」
「先に渡し場に糧秣を下ろしてから話しましょう」
「糧秣のことなら李軍官たちがちゃんとやってくれる。オレ達は先に軍営地に戻って話そう」
 言いながらすでに周瑜の乗る馬が大きな船から下ろされてきた。両人は馬に飛び乗り、わずかに一小隊を率いて、軍営地まで駆けていった。
「あー」
 二人の後ろにいた孫権はため息をついた。周瑜が船から降りてから今まで周瑜は一瞥したきりで、お兄ちゃんに邪魔されてしまった。この二人はお互いに見つめ合ってもまったく終わりそうもなく、いったいどれだけかっこいいんだか、出逢ってから何年経つのだろう?
 しかし、孫権は認めざるを得なかった。今日のお兄ちゃんと公瑾は特別かっこ良かった。彼らが軍営地へ去ってしまった時まで、一隊の暇人たちが後ろから囲んで見ていた。お兄ちゃんも追い払ったりせず、見せびらかすように充分に見せていた。公瑾さえも「孫郎!周郎とは誰ですか?」と誰かが大きく叫んだときに、耳をちょっと赤くしていた。傍らの親兵が少し怒って騒ぎ立てる熱狂する人々を殴ろうとして、孫策に遮られていた。にこにこ笑って言う。
「民の口を防ぐのは、水を防ぐよりも甚だ難しいものだ。かまわん、かまわん」*『国語』
 孫策周瑜がぴったりくっついて軍営地に入るのを見て、孫権はいよいよ意気消沈した。本当は腹の内で周瑜に話したいことがあったのに、話しかける機会さえ全然なかった。終いには孫権は目をさりげなくさまよわせていても、無意識に周瑜の動向を追っていた。周瑜の腰のウワバミ柄の帯を締めた白色の中衣からのからなにかはみ出していた。濃い茶色で緑松石色の縁飾りがあった。ハンカチの角のようである。孫権は退屈でたまらず考えた、公瑾は好んでハンカチを持ち歩くのかな、潔癖なのかな?
 孫策周瑜をあちこちへと連れ回し、孫権はちょっとむしゃくしゃした。彼らにはついていかない。自分で何人かの兵士を選び、彼らを連れて野兎狩りに出かけていった。
 孫権が軍営地に戻ってきた夕方ごろ、自分の荷物がまだ孫策の大きなテントにあることを思いだした。今晩は移る場所を探さないと、ずっと孫策のベッドで寝るわけにもいかないし。そう思って孫権孫策のテントに入っていくと、中は人がいなかった。ただ何人かの兵士が入口で当直しているだけである。
 孫策と側近らは別のところで周瑜を歓迎するのに宴を開いていた。孫権は賑やかなところに近づくのが億劫になり、荷物をささっと片付け、直接孫策の副官に自分の居場所を見繕ってくれるよう言いつけた。副官は自信をもって請け負った。大丈夫です。荷物を持ち上げ、孫権は立ち上がり、さっさとその場を去ろうとしたとき、視線が突然何かにひっかかった。
 孫策のベッド、昨日自分が寝ていたところに、朝のあの銅盆が置いてあった。銅盆のなかにはまだほんの少しの水が残っていた。ただし、水面上浮いていたものは孫権のまぶたをけいれんさせた。
 それは濃い茶色のハンカチで緑松石色の模様が刺繍してあった。これは周瑜の中衣に挟んでいたハンカチでは?孫権は燭台を持ち上げて細かく観察した。銅盆の浅く残った水はあきらかに濁っていた。孫権はちょっとためらいながら、顔を近づけてにおいを嗅いでみた。なまぐさいようなにおいがして、孫権の心は急に震えた。さっとベットに振り向いて見ると、夜具は十分に乱れていた。自分が朝に起きていった時には夜具はこんなにも乱れていなかった。上掛けをつかんで開くと、白い鉢巻がその中に横たわり、傍らには一粒のつやつやとした真珠が転がっていた。
 孫権はその場で驚き、しばらくして、顔が焼けるように熱くなってきた。あわててテントを離れた。副官が自分のために用意してくれたテントに行き、荷物を整理すると、暇になり宴席へ様子を見に行った。やっぱり、孫策の白い鉢巻は褐色に変わり、周瑜の頭の上の白玉の蝉冠の傍らの真珠が一個少なくっていた。
 ふぅ。孫権は自分のテントに戻り、長い間放って置かれた竹簡を取り出して、一つ一つ念入りに書いた。『衣冠禽獣(不品行な人)』

よちよち漢語 四十八 需要愛先生「思為双飛燕」

二十五章 双璧(上)

 巡営し、軍容を整理整頓させ、新しく駐屯する場所を確保するのに、孫策はほぼ一晩費やした。孫権は服を着たまま孫策の軍営の中でなんとか数時間睡眠を取ることができた。空がぼんやりと明るくなってきたとき、孫策の大股で歩く足音で起こされた。朦朧としてお兄ちゃんに目を向けると、徹夜した孫策の顔にはまったく少しの疲れも見えなかった。かえって意気盛んな様子である。
 孫策のあとから側仕えの兵が手に光る銅の盆を捧げ持ってきた。銅盆の縁には雪白のタオルがかけられていた。孫権はごそごそと睡いながらも起き出してきた。
「おまえは寝てていいぞ」
 孫策孫権に起きなくていいと言う。
「お兄ちゃん、これは……」
 孫権は目を擦りながら、聞いた。
 側仕えの兵は銅盆を机の上に置くとさがっていった。孫権はうーんと背伸びをしながら覗いた。銅盆の水の中には柳の若枝が一つ浮いていた。孫策は柳の枝をさっと振って取り上げると、机の上の粗塩をちょっとつけて、口の中へ入れた。己のことに集中して歯を磨きだした。
 まもなく、側仕えの兵がまたテントの外から真新しい白色の戦袍を捧げ持ってきた。ゆったりした袍の縁には金糸で刺繍がしてあり、とてもかっこ良かった。
「新しく作らせた戦袍はなかなかわるくないな」
 孫策は満足げに頷いた。古い袍を脱ぎながら、素早く着換えている。その表情は喜びにあふれていた。親兵は着つけを手伝い、孫策の髪を梳き直して髷を結い、頭から足先まできっちり整えた。
 孫策はもとから唇は赤く歯が白く、容貌は衆に抜きん出ていて、このときは特に身だしなみを整えて、体から光があふれ出ている様子で、テントの中はあたかも孫策からの光で明るく輝き出したかのようだった。
 この一連の過程を見ていて孫権はぼうっとそこで座り込んでいた。
「お兄ちゃん、ねぇ……その……」
 ややもして、わかってきた。笑ってベッドに倒れこんだ。
「お兄ちゃん、公瑾に会うから、だからそんなに着飾ってかっこつけているんだ?新しい服に着換えて、顔を洗って、髪を整えて、アイヤー、ぼくのお腹が痛いほどおかしいや」
 孫権はお腹を叩きながら笑った。
「なにを笑う、なにがおかしい!」
 孫策は眉をはね上げた。
「軍の儀容と威儀は同じぐらい重要なんだ。おまえになにがわかる」
 孫策は自分でも笑いを抑えきれなくなった。
「オレは軍を率いて岸壁まで公瑾を迎えにいくけど、おまえはどうする?」
「え?」
 孫権はゴロリと身を起こして座り直した。
「あーお兄ちゃん先に行ってよ、ぼくはあとから追いかける」
 孫策は手を伸ばして白の鉢巻を整えた。ついでに親兵が持ってきた兜を転がした。
「きょうは人を迎えに行くのであって、戦争にいくのではない。いらない」
 そういうと大股でテントから出て行った。
 孫策がテントから出て行くなり、孫権は親兵に小声で命じた。
「ぼくにも盆に水を運んでこい」
 
 孫権が江の岸辺にやってきたとき、遠くに自分のうちのお兄ちゃんが渡し口の一番高いところにすらりと背が高く美しく活き活きとして立っているのが見えた。金糸で刺繍した戦袍が江風で吹かれながら、孫策の全身を包んでいた。中の鎧を遮り隠している。頭の上には長々とした白い鉢巻が自由に風に吹かれて舞っていた。孫策は目元に笑みを浮かべ、あたりを見回していた。このときの様子は行軍中の将軍ではなく、江南三月の春雨の中出かけてきた花見をする、才気溢れる洒脱な若者のようである。
 目の前の若者はよく知っていて、また見知らぬようで、孫権は突然はっと悟った。その実うちのお兄ちゃんは二十をすぎたばかりなのだ、ただここ数年来孫策の肩には家の重責がかかっていて、ずっと一族の長としてふるまい、お父さんのような威儀があった。自分ももうずっとお兄ちゃんのこのように軽々しくノリノリな若者の表情を見せるのを見ることも少なくなっていた。
 感慨に耽っていると、孫権はそばの者達が議論しているのが聞こえた。
「あんたがいっているのがあの殄寇将軍の孫策か?」
「そうだ、ちがいない」
「あんなに若いのか!」
「その上美少年!」
「勘違いじゃないのか、孫策のこどもじゃないのか?」 
「嘘だと思うならおれを江に落としてみろよ、この馬鹿」
「まったく想像もつかないや」
「わしはこんなに若くて美しい将軍をみたことはないねぇ」
「おれもねぇや」
「あたしもないわ」
「そのうえ、孫将軍の軍は軍規が厳しく公正で、これは歓迎ものだね」
「もしこんなに美貌の将軍なら、無論どこでも歓迎されるよ」
「その通りだ」
「孫将軍!」
「孫将軍!」
 もともとここの渡し場は長江の交通の要衝で、毎日朝露も乾かぬうちから、江上には往来する船が頗る多かった。今日孫策が軍を率いて数多の将士を連れ江辺にやってきた。早くに渡し場の周りは見物の人に囲まれた。はじめは軍の一団に威厳があり、ただ見るだけで勝手に議論することもなかった。しかし、みんなこの若い将軍が魅力的であるだけでなく、気性もよくて、特別親しみやすいのにきづいた。見る人達も孫策を眺めていると、意外にもみんなに向かって手を振った、太陽のようにきらきら耀くような笑顔で、これは悪者ではあるまい。見物の人はだんだん多くなってきて、彼らの肝もだんだん大きくなってきた。人それぞれ口々に孫将軍と呼び始め、叫びながら熱狂して、さらにはなんと孫郎と呼ぶ人も現れた。
丘の上の孫郎はこれを咎めようなんて気はなく、春風満面と、のんびりとしていた。
 そこで見物人たちは議論をはじめた。孫郎はここでなにをしているのだろうな?みたところ人を待っているようだな。誰を待っているのだ?この様子じゃおめでたいことで意気颯爽としていなさる、まさか婚礼の日じゃないか?
 もし若くて英俊な孫郎の公衆の面前の江辺での婚礼の日を拝めるなら、これは素晴らしいことじゃ!見物人はますます離れようとしなくなった。きっとかならず孫郎の夫人を見るんだ!さらに気の良いものは歴陽の街々まで走って教えに行き、孫夫人がくるぞ、孫郎の婚礼だ、みんな早く見に行こう!と告げた。
 江上に朝日はすでに昇っていたが、濃霧はまだ消えず、見渡す限り渡し場から一、二里のところは江面だけで、水の流れる音が滔々している。さらに遠くを望んでも返って霧が広がっており、何も見えなかった。
「公瑾はいつやってくるんだろうな」
 孫権孫策のところにたどり着くと、孫策はそう呟いた。なぜかは知らず、たった今やってきたとき聞いた、見物人たちの婚礼だのなんだのが、孫権の心になんとも言い知れぬ気持ちを起こさせた。このとき孫策は長江の川面に目を向けていたが、わずかに焦りの色があった。孫権は我慢できずに口に出した。
「お兄ちゃん、ぼくは公瑾は来ないと思うよ、ぼくたち戻ろうよ」
 孫策はもちろん戻ろうとせず、見物人たちもまた二時間待った。このとき、長江の川面は明るくなり濃霧も優しい手に取りのけられるように、だんだんと両脇に去って行った。
「将軍、ご覧下さい、輜重船です!」
 孫策のそばの一人が霧の中の一塊の影を指差して叫んだ。
 孫策は首を揉んでいるところに、このことを聞くとあわてて目をやった。黒色の船の舳先が霧の中から現れてきた。一艘、二艘、三艘、霧はだんだん晴れていき、輜重船の連なって前進してくるのが見えてきた。どの船も小山のような物資をいっぱいに積んでいて、皆一様に厚い青い幔幕に包まれていた。積み上げ方はきっちりとしていて、形状は画一化され、これらの船の持ち主は周到で注意深いということがわかる。
 長々とした船隊はうねうねと連なり、やや近くなってきたときに、孫権は先頭の大きな船の高々とした帆柱に、黒地に金糸で縫い取りした旗が風にはためいていて、大きく周の字が書かれているのを見た。

よちよち漢語 四十七 需要愛先生「思為双飛燕」

二十四章 望瑾 瑾を望む

 陽羨県について間もなく孫策が人を寄越してきて秘密の手紙を送ってきたのを孫権は受け取った。手紙には孫権に母上によくお仕えして、孫家の家族一同を陽羨に落ち着かせて、どこにも行かないようにとあった。孫権は内心ちょっとおかしく思った。お兄ちゃんは日頃こうは言い聞かせてはいなかった。孫家のものは広く豪傑侠客と交際し、地元の人と付き合うのではなかったか?この手紙は字の間、行間から殺気がそっと透けて見えていて、孫権は三回繰り返し読んでみた。突然わかった。お兄ちゃんのこれは一気に翼を広げるときが来たのだ!
 なるほど、自分が家族を連れてここに来たとき、従兄の孫賁が特別に人を遣わせて護衛させていた。必ず孫賁は早くに孫策の次の行動を知っていたに違いない。そして孫策の次の行動は必ずや平凡なことではないだろう。
 そう考えた孫権はすぐに座ってもいられず、孫策がもし重要な行動を起こすのなら、どうして自分がここにいていいだろうか。自分は孫策の血を分けた弟なのだ!
 孫策の手紙での陽羨にいるようにとの言いつけを顧みることなく、孫権は、旅の支度をして、昼夜兼行で急ぎ、慌ただしく歴陽の孫策の陣営に駆けつけた。
 自分が勝手な行動をしたらお兄ちゃんはきっとムッとして怒るかと思いきや、歴陽に着いてみたら予想ははずれて、孫策孫権を見ていくつか尋ねて、家の中が無事であるならいい。孫権はお兄ちゃんの気持ちに叶うように手筈は整えてきたと答えた。孫策は二言、三言叱ったが、それ以上はなかった。いつもの孫策の気性からしてらしくない!
 このとき月は柳の枝の先にあり、天の河は混沌としていた。孫権は軍営の大門のあたりからお兄ちゃんが軍営から出て、闇夜に全身白の戦袍と披風をひらひらと風にはためかせているのを見た。右手は腰の佩剣にかけ、顔は空を向き、寂しげな表情で、眼にはかすかに焦りが浮かんでいた。
 孫権はずっと長いこと自分のうちのお兄ちゃんがこんな薄暗い表情をしているのを見たことがなかった。前回見たのは、お父さんが亡くなった時だった。
「お兄ちゃん!」
 孫権は心の中でびっくりし、まさかお兄ちゃんのこの度の計画は上手くいっていないのか、大事は成功し難いのか?
「仲謀よ」
 孫策は少し顔を向けて言う。
「おまえの見たところ我が軍の治軍はどうだ?」
「お兄ちゃんの軍は規律は厳しく公正で、将兵は精鋭揃いです。もちろん天下無双だ」
 孫権は胸を張って答えた。
「うん。ホントのことだ!」
 孫策は笑って頷いた。
「じゃあ、おまえは我が軍に何人の兵がいるか知っているか?」
「それは……知らない」
「六千三百二十一人」
 孫策はため息をついて顔を振った。
「六千三百二十一人だ。オレが寿春を出発したときには、袁術はオレに一千人と馬しかくれなかった。オレは道中、兵を募集して馬を買い足しながらきた。今日の規模にするのは容易なことではなかった……」
「まさか……まさか袁術はお兄ちゃんの兵糧と資金をピンハネしたとか?」
 孫権はあわてて訊いた。
「頭がいいな、さすがオレの弟だ」
 孫策は顔を振った。
「確かに秣や兵糧の問題だ。しかし、あの袁術さえもオレのはピンハネしない。しかし、この一千人分の兵糧と秣だ。いかに六千人に配分できるというのだ?オレ達は途中、金のある豪族たちから兵糧を借りてきたが、依然として行き渡る数には足りない、今曲阿を目の前にして、戦いの準備をして、兵装を整え出撃を待とうとしているときに、軍中の兵糧、秣が残り少ないときている」
「じゃあ、お兄ちゃん良策はあるの?」
「オレは待っている」
「何を待っているの?」
「待っているのは一人」
 孫策はこの話をしているときにはいささか勢いがなく、焦りの色がさらに強くなった。
「七日前、オレは手紙を送った。軍中の事情を知らせて、オレのためになんとか軍事物資を調達してくれるように頼んだ。ただ、七日経ったが、まだ返事は受け取っていない」
「誰のこと?」
 孫権は薄々気づきながらも訊いた。
「おまえの公瑾お兄ちゃん」
 孫策は言ってから黙ってしまった。
「あっ」
 孫権はそれでわかった。なるほど孫策がこれほどまでに落ち込むのは、周瑜からの返事が得られなかったからだ。孫権は思わず笑ってしまった。
「お兄ちゃん、そんなに悩まないでよ」
「チビが、何を言ってる」
 孫策はぷんぷんしながら孫権を見つめた。自分の心配事を弟に聞かせたのに、まさか孫権はわかっていない顔をしている。
「公瑾はきっと来るよ。お兄ちゃんはまさか公瑾のことを疑っているの?」
 孫権はあわてて付け加えた。
「彼は我々の身内だよ」
「ほんとに生まれたての仔牛は虎をも恐れぬというが」
 孫策は教訓を垂れる口ぶりで言う。
「おまえは知っているか公瑾は叔父さんについて丹楊にいるんだ。目下オレはただの校尉の職、彼の叔父さんは丹楊で兵を率いている。行かせてもらえるかはまだわからない。兵糧軍資金を充分に調達できるかもわからない」
「それはぼくは知らなかった。でも」
 孫権はいったん言葉を切り、また言う。
「公瑾のことだもの、いつもなんとかしてくれるよね?お兄ちゃんは公瑾の能力を疑っているの、それとも……」
「オレは公瑾に対してなにも疑ったことはない!行け行け、あっち行け」
 孫策は脚を伸ばして孫権の尻を蹴飛ばそうとした。
「それからな、年上をないがしろにして、いちいち公瑾と、お兄ちゃんの文字は省くのか?」
 孫権はちょっと口を噤んだが、ぼそぼそ言う。
「公瑾は先生であり、友であり、兄でもあるから、字で呼んでもいいんだよ」
 孫策は口先では孫権を叱っていたが、顔ではむしろ孫権の言った言葉で笑みがこぼれた。腰の剣の柄を握り言う。
「しかしなあ、オレが思うにこの二日程度で公瑾も来てもいい頃なんだがなあ」
「そうだね」
 孫権は啄木鳥みたいに頷いた。
「将軍!」
 二人が話をしているところに、孫策の側仕えの兵が飛ぶようにやってきた。
「丹楊からの手紙です!」
 親兵は両手で手紙を差し出した。孫策は急いで月光の下で開いた。飛ぶように数行目にすると、顔にはすぐさま喜びの色が浮かんだ。
「誰かある!」
 孫策は大声で怒鳴った。
「程軍団長を呼べ、後方の軍営をちょっと整理整頓させろ、兵糧と秣と人馬を置く場所を確保しておけ、それから、オレは巡営してくる」
「将軍、もうすでに夜中ですよ。こんな時間に巡営ですか?」
 親兵は驚いた。
「だめなことがあるのか?」
 孫策は笑って大きな眼を細めて言いながら、大股で歩いて軍営の後ろの厩に行ってしまった。
「お兄ちゃん、え、お兄ちゃんどうして行っちゃうの。ぼくは夜はどこに行ったらいいの?お兄ちゃんはまだ寝床も確保してくれてないのに!」
 孫権は一瞬反応できないうちに、孫策はもう影すら見えなくなっていた。二、三歩追って諦めるしかなかった。

よちよち漢語 四十六 需要愛先生「思為双飛燕」

二十三章 挙賢 賢士を推挙する

 いささかの波瀾曲折を経たものの、呉郡の境目までやって来たとき、孫権はまったく意気阻喪もしていなかった。彼は随行の者達に言った。
『今は乱世で相争っている、それはみな仕える主のためにである』
 孫権は陸家の屋敷にも事の道理をわかっている者がいると信じていた。きっと全員があの盗賊の陸議のような者達ではないと。
 屋敷で名刺を差し出してから、程なくして、主の陸休が庭の見える客間に茶を用意してもてなした。孫権が客間に入ると、すっと冷えた空気を感じた。小さな客間だが、中も外も人がいっぱいで、表面上は遠くからの客を厚くもてなすようにみえて、鉄の桶のように固く陣を敷いていた。手のひらに冷や汗をかいた。
 これはぼくをおどかすためにか?孫権はこっそりと冷笑した。胸を張って頭を上げて客間へ進んだ。遠くから白い袍の老人が主座に座っているのが見えた。そして描いたような眉の少年がその後ろに控えていた。
「あ、おまえのこのこと出てきたな!」
 主の反応を待つまでもなく、遠来の客の孫権は二、三歩で客間へ飛び込み、少年を指差して怒鳴った。
「ぼくの馬を返せ!」
 少年は弱みをみせることを良しとせず、白眼視で対応した。
「もう馬肉のスープにして、昨晩みんなでわけて食べたぞ」
「食べたのなら、吐いて返せ!」
「吐かない!なんだおまえは」
「恥知らず!」
「おまえこそ恥知らず」
「お、お、おまえー」
 孫権は普段は言語が巧みだと自分では思っていたのだけれど、このときは怒りすぎて言葉が出てこなかった。
 座っていた老人は我慢しきれず、怒鳴った。
「伯言、無礼なことはやめなさい」
 もともと陸休は孫策の弟が来ると聞いて、孫権に一発威勢を示さんと、家来に申しつけて陣を敷いていた。はからずも孫権が目の前に現れると、背丈もまだ足りない少年で、顔も幼く、陸休はちょっとこの陣容はやりすぎだったと後悔した。弱いものいじめの嫌いを免れない。また孫権と自分の族孫の陸議の口ゲンカを聞いていると、陸議は孫権の何かを取ったようで、道理も礼節にもかなっていない。
 しばらくして、客間の家来と武人たちは尽くさがらせた。陸休は陸議にいくつか説教した。また孫権の乗っていた馬はどこにあると問うた。陸議は恭しく答えた。あの馬たちは後院の厩の中にいます。孫権は長いため息を吐き出した。馬は貴重なもの*、もしなかったら、自分の持っている旅費では買い戻すのに足りなかった。
 孫権はその陸休と型通りの挨拶を済ませると、いいひとに会ったとおもい、やっと安心して座り茶を飲んだ。しかし、半分の茶を飲まないうちに、孫権はわかった。なるほど陸家の人はみな同じだ!陸休は表面では遠慮していても、言葉では少しも曖昧なところがない。本来孫権は我慢して過ごすつもりだったが、陸休が自分のうちのお兄ちゃんを深謀遠慮がなく、力自慢によく戦うだけの奴だと皮肉ると、孫権は我慢できなくなり、さっとひと息に大声で言い放った。
「鴻鵠が鯤鵬の志を、どうして知り得ようか!」
 陸家の屋敷はあちこちで鳥の声もなく静まり返った。陸休はしばししかめっ顔を崩した。幸い彼は人間ができた人だったので、怒ることはなかったが、顔色は青ざめさせていた。
 孫権は自分がどれだけ無作法かわからなかった。ただ、今日一人で陸家に突入するのに、彼は準備してきていて、来るまでに話の内容を一文一文練習してきたので滔々と語ることができた。
「当年我が父は戦場で力をふるい、漢室に忠節を尽くしたことは天下の皆が知ること。しかるに危機の時に、一兵一卒の助けも得られず、未亡人と孤児となり、誰が憐れみ同情するでしょう?我が兄は身分が低く両手を上げて、あちこちに転戦し、今やっとかすかに名声を得ています。どうして一地一城の得失、一官一爵の位に拘りましょうか?!孫家のものはこれほど多年にわたり戦ってきて、各地方で罪を為しても、自分勝手に権力を振り回したり、卑劣下品なことをしたとは、おじさますこしでも聞いたことはありますか?武将は義を崇めるもの。それぞれの主に尽くすのみ。どうして罪がありましょうか!いわんや兄の志は遥かに高く……」
 陸議は冷笑しながら言う。
「天下の人はもちろん令兄の志を知っている。令兄は何度も何度も袁術に官職を願って許されず、恐らくは笑いものとなっているだろう」
「笑いものとすべきは袁術
 孫権はほっぺたをふくらませて言う。
「英才を知らず、天子を都落ちさせ、宝剣は箱から出されず、これは人主の過ち。我が兄になんの過ちがありましょう」
「まぁ、すべておまえに道理があるとして……」
「伯言!」
 陸休はは陸議の話を止めると、孫権の方へ振り返って問うた。
「お若いの、令兄の本当の志を述べないのかね?」
「もちろん漢室の社稷を扶け、天下を平らげて清めることです」
 孫権はすっくと頭を上げて言う。
「これはまた我が兄の志であり、天下の仁士、志あるものの共同の願いです」
「うっ……」
 陸休はしばし黙った。
「その言を聞き、またその行いを、見なければならぬ。お若いの、今日の発言はわしはしかと覚えましたからな。誰かある」
 陸休は手を振った。
「二百金を持ってきなさい。伯言のお若いのの罪のつぐないとする。その実わしとおじさんとはいつも付き合いがあって、彼がきみのことを言っていたのを聞いてもいた。今日会ってみて、おじさんの言うことに嘘はないとわかった。そうだ。お若いの功名は建てたことがあるかね?」
「功名?」
 孫権はびっくりした。
「そ、それはまだないです」
「え、その実、お若いのの才を以てすれば、早くに推挙されるのがよい。わしが手紙をひとつしたためて、郡守さまにお若いのを孝廉に推挙してもらおう。お若いのどうじゃ?」
「あ?」
 孫権は驚いてぴくっとした。まさか陸休が自分の話を聞いてくれてまもなく、わずかな時間で自分の推薦人となろうとしている。
「それでよろしいんですか?」
「なにが不都合なことがあるかね。どれほどの凡才俗人が推挙されたときでも都合が悪いとは言われない。お若いの謙遜なさるな」
 孫権は内心密かに喜んだ。あわてて態度を改めて整え、長揖の拝礼をした。
「これはありがとうございます。陸大人」
 これには陸休が驚く番だった。もうはや笑納しおった。二、三度断っても多くないのに。やっぱりこどもだな。陸休は陸議に言いつけた。
「速やかにお若いのの馬を返してやりなさい」
 陸議は陸休が以前から孫権のおじさんの呉景と付き合いがあるとはまったく知らなかった。呉景が陸休に孫権の推挙を頼んでいるとも知らなかった。少しめまいがした。ただ、陸休はすでにこう言ってしまったので、腹立たしくも命令に従うしかなかった。
 孫権は陸家の屋敷を離れる時、意気揚々としていた。出世も順風満帆だった。馬に乗るなり、急いで側の侍従に言いつけた。
「ぼくが手紙を三通書いたら、ひとつはおまえが早馬でお母さんに届けて見せて、孫鳴に持たせて一通はお兄ちゃんにと、あと一通は舒城の公瑾の屋敷に届けさせて」
 その侍従はちょっと不思議に思った。
「二公子、手紙を書いて奥さまにと大公子にで十分では、なぜ周公子の屋敷にまで送る必要が?」
「おまえは何もわかってない、公瑾は身内だ」
 言っておいて露骨すぎると思い、孫権は付け足した。
「当年、周家の屋敷で勉強した、公瑾には多くを教わった。人は初心を忘れてはならない。いまちょっと戦果を得たのだから、もちろん一声知らせておくべきだろう」
 侍従はしきりにその通りだと褒めたたえた。目を回して言う。
「そうだ。二公子、わたしは陸府のあの小公子、周公子とちょっと似て美しいですね」
「馬鹿をいえ!」
 孫権は笑った。
「公瑾は天人の姿、どうして馬泥棒とくらべられよう」
 言ってから孫権はぼーっとした。一時天外に思いを馳せ、思わずブツブツと呟いた。
「思うに、もしぼくが出仕したら治績も良くなければならない。手紙で公瑾によくよく教えてもらったほうがいいかも」
 半月後、孫権周瑜から返事をもらった。返事では周瑜はこう言っていた。彼は孫権は伯符の弟と認め、また、生まれつき人より聡明で賢く大胆、無論なんの官職でも必ず期待以上だろう。役人はもちろん民に幸福をもたらすものである。治所を太平にし、百姓を安んじてそれぞれの業を楽しむようにするのが役人の徳である。
 孫権周瑜が錦帛に丁寧に書いた返書を読んだ。龍が飛び鳳凰が舞うような筆跡を透かして目の前に周瑜孫権に向かって微笑んでいるのが見えるようだった。孫権が役人として出世して、功業を建てるようにはげましているようだ。
 ぼくはすごい徳があるなぁ、孫権はうっとりした。これは公瑾にもうちょっと理解して貰わないと。
 翌年、満十五才になった孫権ははたせるかな孝廉秀才に推挙され、陽羨の県長に就任した。孫策は手紙で孫権孫堅の旧部下朱治を付き従えるように言ってきた。お母さんと家族を連れて、陽羨に着任へと向かった。



*この、馬は貴重品。と言うことばは伏線で効いてきます(笑)

よちよち漢語 四十五 需要愛先生「思為双飛燕」

 もともとこのお話は掲示板サイトに連載されていて、作者の需要愛先生がupすると、ファンがワイワイ感想を書く感じでした。需要愛先生の更新が遅れていたあるとき、なんと偽者が更新するという珍事が起きました。それもまた面白いので、以下訳します。

偽者版 二十三 碰撞 衝突 

 翌日の早朝、孫権は随従一行を連れて歩いて呉県の陸家の屋敷に着いた。太陽が高く照りつけ、孫権の若い顔立ちをちょっと年齢にはそぐわないように影を付けていた。

 孫権は自ら陸家の表門を叩いた。門を開けた家僕はあくびをしながら文句を言った。
「誰だよ。こんなに朝早くから……」
 門を押し開けた後、目の前にいたのは爽やかな笑顔を満面に浮かべた少年であった。名門の貴族のような豪華できらびやかな衣服ではなかったが眉間に凡人にはない雰囲気を漂わせていた。
「失礼します。公子は何のご用で?」
「富春孫仲謀。このたびお屋敷の陸議を訪ねに参りました」
 孫権は変わらず満面に笑みをたたえていて、少しの怒りの色もみせなかった。
「孫公子ややお待ちあれ、わたくしめが若様に報告して参ります」
 孫権は入り口に立ち、内心思った。呉郡の陸家は噂通り名門貴族で、見るからに高い梁に碧の瓦で、非常に立派だ。いつかお兄ちゃんとこの国を治めて、きっと極彩色に耀く宮殿を建ててお母さんと住もう!そう思いながら、思わず孫権の唇の端にちょっと得意げな微笑みが浮かんだ。
 間もなくして、陸家の家僕はまた門に戻ってきた。このとき後ろに一人多かった。孫権がちょっと目をやると、や、これはまさに昨日馬を盗んだこそ泥陸議!ぼくの馬を盗んで、少しも恥じ入る色もみせず、なんとももっともらしいことを言いそうな腹に一物がある様子!このガキめ、今日ぼく孫仲謀がきっとおまえをよくよく教育してやろう!
 孫権は話そうとして、逆に陸議に先を越され、怒鳴られた。
「この大胆な孫仲謀め!まさか今日本当にわが陸家の屋敷にのこのこやってくるとは!」
「何を恐れ入ることがある?!」
 孫権は目を細めた。顔色にはちょっとの怒りをみせなかった。
「堂々たる呉県の陸家のお坊ちゃまが、なんと馬泥棒をしていたなんてことが、もし伝わったら、きっと陸家の顔に泥を塗るね!」
「きさま――!」
 陸議は孫権の話を聞いて怒った。大声を出して吼えた。
「こいつめ、富春の孫仲謀め!おまえの兄は天性殺戮を好み、血を好み、我が従祖父陸康を死なせた、この恨みは我が陸家とおまえとでは精算していないぞ、そこにおまえから来るとはな!よし、今日わたしとおまえで決着をつけよう。従祖父の仇を討ち、陸家の恥を雪ぐぞ!」

 孫権はこの話を聞いて、怒りがついに心中にあふれかえった。憤って言う。
「よし!無知ななこどもめ。今日孫仲謀とおまえとで決着をつけよう。必ずやおまえを屈服させてやる!」
 言い終わると、数歩後ろへ退き、広々とした街のなかへ立つ、満を持して機会をうかがうように。
 陸議は勢いでは先に相手に負けたと感じた。歯ぎしりして外套を脱いで側の家僕に投げつけ、大声で叫んだ。
「誰も邪魔するなよ、わたしが陸家の仇を懲らしめるのを待て、従祖父の仇討ちだ!」

よちよち漢語 四十四 需要愛先生「思為双飛燕」

二十二章 雲遊 旅に出る

 孫権が呉夫人に行ってきますと挨拶をした時、呉夫人は二言三言文句を言った。
「あなたはもう大きくなって、お兄ちゃんの後を追って、家では一日とて待てなくなって、外に行くことを覚えたのね」
 孫権は無理に笑顔をつくってみせ、呉夫人に言った。
「お母さん、ぼくは今賢能の士を捜し求めて出かけるのです。これも孫家の未来のために働いていることです。お母さんもぼくを認めてくださいよ」
 呉夫人は首を振った。
「わかったわ。行きなさい。ここに居ても、心あらずなら役にもたたないわ」
 孫権は大人しく黙っていた。呉夫人は突然何かを思い出して、ふいに顔を上げると孫権を見た。孫権はギョッと驚いた。呉夫人はためらいながら聞いた。
「あなたまさか舒城に行くつもりではないわよね」
「えっ?」
 孫権は振り返った。
「お母さん。ぼくはもちろん舒城には行かないよ。公瑾はぼくたち孫家の人だもの。ぼくがまた行く必要がある?」
「そうね」
 呉夫人はぎこちなく話題を変え、孫権にその他のことを注意し始めた。
 十数人の随従を連れて出発し、曲阿を離れいっとき山高く水豊かな自然を孫権は心から自由きままに数日間楽しんだ。彼らは予定通り曲阿の付近を巡り半月後、一行はまず北へ向かい孫権の旧友の何人かに再会し、また南の呉郡に向かった。
 灼熱の太陽が空に浮かび、孫権は随従を連れて道路脇の東屋に避暑した。孫権は俯いて凉茶を飲んでいると、側から誰かが芝居っ気たっぷりで話しているのが聞こえた。
「大通りに砂塵がもうもうとして現れた。みんな誰だと思う?これこそ袁術の麾下の懐義校尉孫策だ。その孫策は、なんと二十前の若さで、その父江東の虎と呼ばれた孫堅の風格がそこはかとなく感じられる……」
 孫権はここで誰かが自分のうちのお兄ちゃんのことを話しているので、すぐさま耳をそばだてた。その人の話には孫策を頗る褒め称えていた。孫策は勇猛で万人の敵となるくらい強いと言ったかと思うと、また孫策は軍も謹厳にまとめていて民を害することもないと話していた。孫権は聞いていて嬉しくてたまらず、振り返って随従に言った。
「ぼくは前から言ってただろう、お兄ちゃんはすっごく早く天下に名を馳せるって……」
 孫権の話が終わらないうちに、テーブルをひとつ隔てたところから大きな音がした。茶碗が叩きつけられる音だった。孫権は思わず振り返って見た。そのテーブルには十人くらいの少年がいて、年はまだ幼く、みんな二十前の様子だった。束袖の服にブーツを履き、一見して武人とわかるものと、それに二、三人孫権と変わらない年頃の少年は文人の格好をしていた。
 その文人の格好をしているもののなかでも、特に吊り眉、狐目で唇は朱を点したような少年が最も目立っていた。このとき、その少年が茶碗を叩きつけ怒鳴った。
孫策は恩知らずで、信用もできない、無辜のものをみだりに殺した。みなこいつを誅すべし!」
「あーー!」
 孫権はそれを聞いてさっと立ち、ぐるっとその少年の方を見て睨んだ。手を前に伸ばし指はその少年の鼻にまっすぐ突きつけて怒鳴った。
「どこのどいつが馬鹿をいっている!」
「呉郡の陸議だ」
 少年はまったく怖じる様子もなく、孫権をにらみ返した。
「おまえこそどこのどいつだ?」
「富春の孫仲謀だ」
 孫権は眉をしかめた。
「孫仲謀?」 
 陸議は側の仲間に向かって言った。
「聞いたところによると、孫策にはあちこちでただ飯を喰らっている弟がいるとか。小さいときに孫堅について北方まで行き、曹操に利口だと褒められたとか。不可思議きわまることが伝わっている。まさか今日ここで会うとは」
 ただ飯を喰らっている?この話は聞き捨てならない。孫権は内心激しく憤った。陸議を指差して言う。
「おい、おまえーーおまえはぼくたち孫家に昔から恨みでもあったのか、なぁ?」
 陸議少年は痛いところを突かれたかのように顔色が変わった。側の仲間たちもすぐさまテーブルを叩いて立ち上がった。
孫策は盧江城を攻め陥し、その仁義が天下に知れ渡る盧江太守の陸康を殺したのだ。おまえの目の前に立っているのは誰か?伯言兄は陸太守の族孫だぞ」
「あ……陸康……」
 孫権は思い出した。その人が、そう古くもなく孫策の手紙のなかで話題にされていた。陸康は盧江太守で、以前から袁術とは仲が良くなく、袁術がお兄ちゃんに命じて盧江城を攻めさせた。城市の陥落も今回の出発前のことである。まさか自分がここまで遊学して陸康の一族に出逢うとは。
 余計なことをするよりも控えめにしたほうがいい。孫権は内心自分は遊学の旅に出たのであって災難を引き起こしに来たのではない。さらに孫策が手紙の中で陸康はもともと名望がわりとある言っていた。城も落ちたし、本人も亡くなった。陸康の一族と揉めるようなことはするまでもない。
「無知なこどもだ」
 孫権は自分がまだ大人でもないのに、他の人を無知なこども呼ばわりしたがった。
「それぞれが主のために尽くしたのみ。言い争う気はない」
 自分の随従に手を振って休憩は終わりだと合図すると、東屋を出て出発しようとした。
 そこで孫権一行が立ち上がって出ようとすると、東屋を五、六歩も出ないうちに、後ろから陸議の大声が聞こえた。
「陸家の兄弟たちよ、やれ!」
「はっ?」
 孫権はどうしてこうなるのかと思い、さっと振りかえると、目の前には人影がざざっと動いて、十人ばかりの少年が飢えた虎のように孫権一行に殴りかかってきた。
「君子は口を動かしても手は出さないものだ!」
 孫権は言い終わらないうちに、一人の武人の格好をした少年に殴り倒された。もともと孫権は小さい頃から武術は上達しようと努力せず、十数年来でほんとうに真剣に練習し始めたのはここ三ヶ月程度だった。それに周家の屋敷で周家の武術の先生に習ったけれど、お兄ちゃんは言わずもがな、孫権の弟にもはるかに及ばなかった。この一撃は、孫権をよろよろと打ちのめしたにとどまらず、顔を地面に打ちつけて鼻に鈍い痛みを与えた。
 側に居た随従はこの有様を見て、驚いて叫んだ。忙しなく少年達とケンカを始めた。東屋は小さく、テーブルは多く置かれ、三十数人が乱闘になった。話し合いもないうちに、側のテーブルも椅子も、茶碗も全部壊れた。ケンカは混乱を極め、最後には取っ組み合いとなり、壊れるたびに東屋の主人が傍らで泣き叫んだ。
「お客さんやめてください、やめてください!」
 このとき、孫権は両手を素早く随従に助けられ東屋の外に連れ出された。痛くてたまらない鼻をさすりながら、孫権は睨んでいると陸議も外に出てきた。孫権の側付きの随従が陸議がリーダー格で書生の格好をしていることから、一発殴って懲らしめてやろうとした。鼻をさすりながら孫権が大声で止めた。
「無礼なことはするな」
 孫権は鼻をさすりながら言った。
「陸議といったか?おまえはこんなにぼくと揉めようとしたいのなら、いっそのことおまえのところの陸家の大人も呼んでこい。ぼくが名刺を出す手間が省けるというものだ」
「ふん!」
 陸議は怒って怒鳴った。
「おまえが陸家の屋敷を訪ねるだと!」
「何を恐れることもない」
 孫権は袖を払った。
「お若い人、ぼくがみるにきみは世渡りの経験がないね。天下の争いの道理もわからない。ぼくが今日きみに道理をちょっと教えよう……」
 続けて話そうとしていると、陸議は仲間の子弟を集めてさっと逃げ去った。
「どうして逃げるのか」
 孫権は随従のほうへ向かって自分の鼻を指してみせた。
「腫れていない?」
「二公子、大丈夫です。腫れていません」
「うん……」
 孫権は衣服の埃を払った。
「予定も変えることはない、明日呉県の陸家を訪ねよう」
「公子本当に行くのですか?」
「もちろん」
「でも……われわれは陸家が公子に何かするのではと心配で……」
「心配無用、陸家は呉郡の名門大族、ぼくが一人で訪問して、彼らがもし力任せに乱暴するというのなら、世間の笑いものとなろう」
 孫権は落ち着いて顔を上げた。顔色が一変した。
「ぼくたちの馬は?」
 随従たちがあたりを見回すと、本来乗っていた馬たちはほど遠くない木陰に繋いであったのに、いまはぽっかりと空で、一匹の馬も見えない。
「アイヤー!」
 一人の随従が驚いて叫んだ。
「きっとさっき振り向いた時に、あの陸議とかいうガキがわれわれの馬を盗んだんだ!」
 孫権は怒りの余り顔も青くなった。
「こんなに大勢で、一人として馬が盗まれるのに気づかなかったとは、ほんとに、マジで……」
「われわれはまさかあのガキの陽動作戦にやられるとはおもいませんでしたな、公子」
「そうだな」
 孫権は呟いた。
「ぼくは陸家に取り返しに行く。呉県の県境はまだだが、歩いて行くしかない荷物は無事かちょっと見てみろ!」
 その夜、孫権の一行は次の駅宿まで長く長く歩いた。夜中に宿で、孫権は持ち歩いている小さな竹簡を取り出して、忌々しげに刻んだ。
『馬盗賊陸議、後日必ずおまえの過ちを懲らしめてやる!』