策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

(術策)「有花堪折直須折」by潜規則之路先生41

「易幟」(国旗を変えること)

 五更(午前四時から六時)、女官が帷の外で柔らかな声で水時計の時刻を告げた。外の空の色は深く濃く、銅の灯りの覆いは外され、動く光りの光線はだんだんと明るくなっていた。女官の跪く姿の影が細長く引き延ばされ、壁にゆらゆらと揺らめいていた。
 それから内侍たちが次々と入ってきて、袁術が身を起こすのを待っていた。彼の髪に櫛を入れ、顔を洗い着替えさせるために。
 袁術はすでに天地の間の新しい主だと自ら認識しており、おおよそ以前より勤勉になっていた。衣冠は華麗で荘重になったことは疑う余地がない。しかし、尊い位についてからすでに半年、彼の情熱はいささか減退してきていた。
 事務は繁雑で、戦事は思うようにならない。さらにはこの一年江淮の間の天気はとても寒くなるのが早くなっていた。空がまだ未明の頃に、寝台の布団から身を起こすのは確かに辛いことである。

 重々しい銅の門が彼の目の前には戸が次々と開け放たれていく。背後にまといついていた暖かな空気が湧き出でて、顔には寒さがまっすぐに当たった。白玉の階段には無尽蔵に灯籠が二列に並べてあり、夜ごと火をつけられ、銅柱の下には戟を手にした兵士が立っていた。火焔の中にはかすかにヒハツが音を立てていた。
 あるものが玉の階段の末端で頭をもたげて彼を見つめていた。

 遠く離れていて、彼は知っている顔なのかはっきりとは見えなかった。しかし、その火の光に照らされた両眼は間近に思えた。
 孫策は鎧兜をきっちりと着込み、ずっと立っていたかのようで、銀色の兜の下の眉毛にはうっすらと白いものがくっついていた。目はさらに明るく輝いている。
 袁術は一段一段下り、孫策は頭を低くした。伏せた睫毛はまわりの灯火に染まり金黄色になっていた。彼の口もとにはうっすらと笑みがこぼれていた。孫策はこの場での再会に、袁術ほどの歓喜を表してもいなかったが、あきらかに対抗するような敵意もなかった。

 袁術は喜んで言った。
「やはり、策児はまことにわたしに背かなかったな。孫家の人間はみな恩を知り報いようとする。そなたの舅父従兄はそなたとは再会し江を渡った、まことに当然のこと。劉繇も王朗もみなそなたの敵ではなかった。本当にそなたの父よりもさらにすぐれた虎将である。今帰ってきたからには、さらに大きく助けとなってくれ」
 孫策はただ笑っていた。彼は以前別れたときに身につけていた上着を着ていた。あの初夏の季節がきらりと目の前に蘇った。背後の赤色の大氅(マント)も鮮やかでまるで新しいもののようである。これもあの日袁術が贈ったものである。
 袁術は心を込めて熱心に言った。
「王甫が与えたそなたのあの明漢将軍は、筋が通らないものだ。そなたが帰り次第、わたしをよく助け、天下に名を轟かす呂布と一戦し、もし勝てたなら、どんな将軍封号も、袁叔はすべてそなたに与えよう」

 孫策が唇を開いたとき、袁術は空気が揺れ動くのを感じた。だが声ははっきりと聞こえない。それから目の前の景色も水紋のごとく散り散りになって、だんだんぼやけていった。
 袁術が驚くと、手を伸ばした。冷たい空気の中柔らかく細い手が受けとめた。

 彼は目を見開いた。大きくため息をこぼす。
「皇后はどうしてきたのだ?」
 馮氏の美貌は変わりなく、この薄ら寒い朝に頗るしっかりと装いも厳重にしていた。問いには答えなかった。
「陛下は今日西苑にお出かけにならないのですか?」

 西苑は寿春の西に位置し袁術の即位の一年前から着工していた。両京賦のなかの漢の武帝の上林苑を彷彿とさせ、湖池を開き、林木で囲み、その中に五色の楼閣を建てた。また数多の珍しい鳥や獣を放った。
 袁術はとてもこの場所を気に入り、完成した後は、三日、五日と開けずに来ていた。
 そのなかでも最もお気に入りなのが、扶南から送ってきた三対の孔雀である。

 暖かく湿った地方からやって来た巨鳥は感動するほど艶やかで、華美な様は喩えることができないほど。袁術は若いとき洛陽で漢の宮廷で見たことがあった。数十年忘れ得なかった。
 彼は手に持った凍った梨を集まっている孔雀の前に放り投げ、彼らが静かに啄むのを見ていた。その様子は高貴で争わない。彼は明け方見た夢を思い起こした、心の中でそろばんをはじき、たぶん吉兆だと思った。

 一人の侍者が慌ただしくやって来て、奏上した。
「楊弘長史が参られました」
 楊弘がもってきたのはよい知らせではなかった。

 今年の夏は大日照りで、収穫も不足し、寒い冬が訪れるのが異常に早かった。今ある役人が上奏した。おそらく民は暮らしが苦しくなり、飢えと寒さにこもごも迫られるだろうと。民心を安撫するために、彼の早い決断を求めていた。  
 彼は上奏文を見てから、笑って言った。
「舒仲応はちっぽけな沛相ながら、想ったより多くもっていたな」
 楊弘は身を屈めて問うた。
「その陛下の御意志は……?」
 袁術は言った。
「よい、よい、吉日を選んで、再び郊祀を行う。必ずや上天の加護を得られて、無事冬を過ごせるだろう」

 時は仲家元年、秋。


 

(術策)「有花堪折直須折」by潜規則之路先生40

「議兵」

 袁術は榻椅子に端座し清い風が吹き、池には温い水気があり、空の色はいよいよ遅くなり、複雑な緑の葉が重なり暗い影を落としていた。深く重い墨がかった青色が沈んでいて、花の香気もいよいよ濃くなる。
 彼の袖の中にはあの玉璽が隠されていた。時々手を伸ばして、ちょっと摩った。気持ちは思わず喜びの色が、眉の上に現れていた。

 楊弘は座席を与えられ、側に座った。彼はただ微笑み、質問もしなかった。袁術がまず口を開いて、それから話し始めた。
「殿はいつ孫郎に出兵を許されるおつもりですか?」
 袁術が言った。
「彼の自分の意思に応じる、呉景孫賁には後退させてはならない、いわんや兵は神速を貴ぶという、もし劉繇が防備を固める前に出撃できるなら、もちろん早ければ早い方がよい」
 楊弘はしばし考えていた。
「殿はすでに孫将軍の元部下多数を孫郎に返していて、そのうえこのたびかれの舅父や堂兄を助けるために、精悍な将兵が入れば、一度奇襲ができる。良い条件だ。しかし、兵糧、秣が準備が必要ですな。しかし、そんなに多くは必要ではない。ただ夏に横江を奪回できれば、その後は南渡し、彼ら自身に準備させることができます」
 袁術は言った。
「徳広とわたしが思うところは、おおよそ変わりない。見たところ差し支えない。このように、わたしは孫氏には恩徳を施している」
 一つ間を置いた。
「兵糧、秣は多くは渡せない。もし曲阿が取り戻せたら、彼に寿春に取りに来させたらよい」
 楊弘は笑って言った。
「殿の御意志では、戦線は長過ぎない方がよいと?」
 袁術は語る。
「曲阿のことは、彼はもう何度か頼んでいた。彼の母や弟妹はまだあちらに留まっている。劉繇は自分に仁義を命じておるが、ただ陶謙の前のことのように、心配は免れない。もし何かあれば、彼は必ずやわたしに恨みを持つだろう。もし心を尽くさなければ、人情を全うしたことにはならない」
 楊弘は頷いた。
「将軍は御明察です。しかし」
 彼は左右を見回した。
「さっき侍者が知らせに出てきたとき、孫校尉もいますと言っていました。今またどこに行ったのですか?」

 袁術は微笑んだ。
「ちょっとしたものを取りにやらせた。しばらくしたら戻ってくる」
 彼はついに我慢できずに、袖口を少し開いた。
「徳広はこれを知っているか?」
 楊弘はやや驚き、すぐに跪いた。
「おめでとうございます殿!」
 袁術は玉璽を隠した。
「立つがよい。明日、広間で、そなたは如何にすべきがわかっていよう」

 庭の外で侍衛が大声を出した。
「孫校尉がお着きです」
 孫策は手に玉の箱を捧げ持ち、まず袁術に捧げ、それから楊弘にも挨拶した。
「お手数をおかけ致します。楊長史」

 楊弘は言う。
「校尉はなんのお話をしているのかな。もし横江を奪回できたら、曲阿を攻め落とす。これは袁公の徐州の戦いに大いに有利になる」
 袁術は玉の箱を開けて、玉璽を注意深くその中にしまった。それから二人の話に加わった。
「丹楊の民は勇敢で、精兵を多く出す。もし順調に取り戻すことができたら、西北と東南の両戦線から徐州に進撃可能になる」
 彼は孫策を見た。また昔のことを思い出して言った。
「策児はまだ幼かったころ、この地で劉備に会ったことを覚えているか?」
 孫策は笑った。
「ぼんやりわずかな記憶しかありませんし、はっきり覚えていません」
 袁術も笑った。
「そうだな。そなたは初めは彼には本当に会わなかったのだ。彼が来ると聞いて、下がりますと言った。わたしはさらにそなたに尋ねた。どうして去る必要があると」
 彼は指で孫策を指し、楊弘に言った。
「徳広あててみよ、あのころ策児はまだ十四で、何を言ったか?」
 楊弘は笑ってお断りした。
「どうしてあてられましょう?」
 孫策も首を振った。
「ほんとうにわかりません。袁叔はまだ覚えておられるのですか?」
 袁術は言った。
「英雄は人を忌む。笑わせるかな劉備がいかなる英雄か?」

 楊弘立って下がった。空の色は遅くなっていた。明日の広間でのこと、三人ですでに定まった。思うに時勢をわからぬものはおらぬだろう。
 袁術はただ言った。
「策児はもう少し留まれ、そなたとは話すことがある」

 孫策は彼の榻椅子の側に座り、袁術は指の腹で彼の目尻をそっと擦った。
「そなたの要望に応じた、心の中ではいささか手放しがたい」
 孫策はすでに真の成人男子で、彼の眉は硬く、目の色は深く、唇はふっくらとしていて多情で、笑うときれいな白い歯が見えた。
「袁叔まだなにかお申しつけが?」
 袁術は言った。
「わたしはそなたが母や弟妹を心配しているのを知っている。家族の危機となっては行かざるを得まい。曲阿を奪取したら、家族をみな寿春に移しなさい」
 彼はちょっと考え、また一言を加えた。
「そなたの母がここに来たら、わたし自ら彼女と相談しよう。長男の結婚については、彼女も必ずそなたを結婚させようと急いでいるはずだ」

 孫策はうっすら微笑んだ。話は十分堂々としていた。
「昔霍去病が言いました。匈奴が滅んでいないのに、なんで家が要りましょう。今わたしはまだ殿のために江東を平らげていないのに、またなんで一時を急ぐ必要がありましょうか」
 袁術はため息をついた。
「わたしはそなたの心をわかっておる。このたびのそなたの出兵には、袁叔が上表して新しく封じよう」

 彼は指の先で孫策の下顎を持ち上げた。
「初めこの袁叔も二十歳前に洛陽を離れて出仕し、折衝校尉に封じられた。今またそなたは二十となり、我が袁氏の大旗を揚げ、兵を率いて出征していく。同じく折衝校尉の位を授ける」
 

(術策)「有花堪折直須折」by潜規則之路先生39

「懐璧」

 袁術は中庭で、目を閉じて静養していた。榻椅子のもとには二人の侍女が跪いていた。やや遠くには二人の刀を持った兵士がいた。
 刺客事件の後、彼はやることにかなり注意深くなっていた。
 孫策は中庭に入ってきたとき、とくに少し重々しく歩いてきた。

 袁術も身を起こして、直接彼に手招いた。
「座りなさい」
 また侍女に言いつけた。
「用意したものは使えるか?」

 付き従う女は大人しく、孫策に向かってお辞儀をした後立ち上がった。長袖を捲り上げ、雪白の腕を水の中に浸し、透明な水晶の瓶を取り出した。琥珀色の液体を銀碗の中に注ぎ、袁術孫策の目の前に差し出した。
 袁術は言った。
「これは酒ではない。医官に言われた。最近酒を避けるように、また氷を用いてはならないと。なので蜂蜜を混ぜた水を流れる水の中に置き、少しは涼しく流れるのを感じられる」

 孫策は彼に相伴し、ゆっくりと一碗の蜜水を飲みきった。彼と少し話をした。袁術の目線はなんとなく彼の手許をさまよい、問うた。
「ここにくるのに、何を持ってきた?」
 孫策は立って身を起こした。
「袁叔にはどうかお側のものを下がらせて下さい」
 袁術は眉をしかめた。
「なぜ?これらの近侍は、無二の忠臣で、絶対に口を割ることはない」
 孫策は俯いた。
「だから袁叔もむざむざ彼らの命を無駄にしたくはないでしょう」
 袁術はせせら笑った。
「どんなに珍しいものなのか、命を取るほどのものか?わたしがまだ見たこともないものか」
 さらに手を振った。
「そなたたち下がれ、門の外で待っておれ」

 孫策は外の包みを外すと、中の錦の箱を鄭重に捧げ出した。
「まさしく天下でもっとも貴く、重要なものです」
 袁術はすでに座り直した。つるつるとした絹の表面を撫でた。手指はかすかに震えていた。彼もまた中身を当てていた。周囲は静だった。彼の血液はこめかみのツボで激しく脈うち、ぴーぴー鳴っていた。
 孫策は二歩下がって、片膝を折った。
「殿、どうぞ」

 受命于天、既寿永昌。
 秦王は天下を平定し、和氏の璧を磨いてこれをつくり、万世に伝えられた。二十年たたずして、子嬰は咸陽で左道に献げた。さらに二百年して、王政君は夢に月を見て生まれ、天命を受けて世に現れたが、ほどこすすべもなく、怒って玉璽を壊した。夜に玉璧はつやがあり、柔らかなきめが細かい。欠けた一角は伝説では金で補っている。手に捧げ持ち、十分に細かく見た。万里の河山を持ち上げるように。
 袁術は内心感嘆していた。
(つかんで手放せなくなる、そんなに重くはない。まるで、手放すのに忍びないように)

孫策は声も表情も揺るがず、袁術の様子を見ていた。緊張から一瞬の放心と狂喜、そしてつぎには迷夢を見ているごとく、幻境にいるようだった。
 それから袁術の顔色が落ち着いてきた。

 彼の下顎の線は不満と傲慢でこわばった。
「策児、そなたが兵を率いて丹楊に行きたがっていることについては、われわれは二度話していた。そなたはこのときこれをわたしに献じようと思ったのか。わたしが喜んでそなたの求めを許すと?」
 孫策は首を振った。
「袁叔がそういうのも道理です。わたくしの魯鈍、無理解をお許し下さい」
 袁術は座り直し、玉璽を膝に載せ、ゆるゆる摩った。
「初め、わたしはそなたの父親に聞いたことがある。洛陽で玉璽を得たのかと」
孫策は瞬きした。
「父上が言ったのは、噂や嘘です」
 袁術は言った。
「それではこれはなんだ?」
 孫策は声を出さなかった。
 袁術は重ねて聞いた。
「そなたの父親が生きているとき、信義を以て天下に聞こえていた。却ってこのことではわたしを騙していた。すぐに亡くなった。そなたはわたしの麾下に数年いて、わたしはそなたをいかに遇した?そなたは依然としてこのことをわざと隠して出さず、一字も言及することもなかった。そなたの父の元部下の何名かの将は、おおよそが我が手にあり、盧江攻めの折に尽く返した。今この時玉璽を献上して、我がもとの何と交換しようとしているのだ?」
 孫策は首を振った。
「もしわたしが言ったら、兵馬、兵糧、秣、なんでも要りませんと言ったら、袁叔は信じますか?」
 袁術はせせら笑った。
「本当になにも要らなかったら、そなたはどうして舅父や従兄を水火から救おうとするのか?」
 彼の表情にはあざ笑う様子が見えた。
「しかし、そなたの舅父従兄は、もし先の早さで負けて撤退したなら、そなたの出征を待つまでもなく、彼らは寿春についてしまうぞ」

 孫策は立ち上がって、椅子の方へ二歩寄ってまた跪いた。仰向いて袁術と見つめ合った。
 彼の瞳の深いところはよく知った翠色がにじみ出していた。袁術は突然話をやめた。もし孫策が彼の膝を押さえていなければ飛び跳ねていたかもしれない。

 その両手は温かく落ち着いていた。半寸上にずれて、玉璽の上のあまりょうに触れた。
 孫策は言った。
「そのとおりです。わたしの父はこの物のために、命を捧げました」
 彼は胸の前の襟を開き、傷跡に手を当てた。
「わたしは袁叔のために、半分すら死を恐れるものではありません」
「今この時、わたしは我が父と自分の生命を、すべて袁叔の手の中におまかせしています」
 彼はまっすぐ上半身を伸ばし、袁術は息をひそめた。
「殿にはわたしを信じて頂きたい」

 袁術は彼を見つめた。しばらくしてついに言った。
「服をちゃんと着なさい」
 外に向けて大声で呼ばわった。
「楊長史を呼んで参れ、相談することがある、速やかに呼んで参れ」

(術策)「有花堪折直須折」by潜規則之路先生38

「天火」

 孫氏の部将が勝つと、両岸の歓声は雷のようである。その他の船は橋の下でそれぞれ揺れていた。あるものが船頭上の孫策に向かって挨拶した。すると、岸壁の方へこぎ始める、接岸の用意をした。

 船上の兵士達が次々と水中に飛び込むと、孫策は船頭に座り、手から鮮やかな赤色の花球を放り投げた。水中の兵士達は笑い合って受け取った。さらに接岸すると数人の将軍達の手中に手渡された。

 すでに勝ち、すぐに安心して待っていた。最後に岸に上がるとき、小舟があり、橋の下から軽やかに揺れていた。彼を目指して奔ってきた。船の上にいる人はまさしく袁家の屋敷の侍者の服の色で、顔もよく見知っていた。
「孫校尉、どうぞ速やかに岸に上がられよ」
 孫策は眉をしかめた。
「何事ですか?」
 相手はまた言った。
「校尉どうぞ早く」
 孫策は答えず、直接水中に飛び込み、岸辺まで泳いだ。とっくにそこで待っていて、彼のためにそそくさと薄衣を着せかけた。前の馬車を指さした。
「校尉どうぞ馬車にのってください」

 孫策は一瞬目を閉じて、もはや問わなかった。帷を開いて大股で乗り込んだ。
 馬車の外には濃い色の帷がかかっており、車中は薄暗く彼の視線を飲み込んだ。
 意外でもなく、暖かい手が近づいてきて、彼の胸と腰や腹の間を撫で回した。次の瞬間には、肩に着せかけられた衣も乱暴に引き裂いた。

 さっき身体の上についていた水の珠もまだ完全に衣服に吸われておらず、彼の額の上には汗水が滴っていた。
 
 時間がやや経ち、孫策の目もだんだん車中の暗闇に慣れてきた。振り返って笑った。
「袁叔は来ないと仰っていたはずでは?」

 袁術は彼を再び押し、口の中で曖昧に言った。
「あるものがわたしに告げたのだよ。この頃そなたは多くの兵士と一緒に長く練習していたと。今日も考えるに自ら参加するだろうと、果たしてその通り……」
 彼は孫策が船頭に立ち、若く健康な赤裸々の身体を思い出していた。日光にさらされていて、淡い小麦色にやけているのが、千人、万人の目に触れたのだ。
 日光は河の水に倒れ込み、波の光りが融けた細かい金のように流れた。孫策は船頭に立ち朗らかに大笑いした。眉がつり上がった。
 車中はもともと蒸し暑く、全身の毛穴がみな尖った熱が、先を争って皮膚を痛めつけた。却って潜り込むこともできずに、すぐに喘ぎを抑えられない。

 彼は孫策の衣服を引き裂いた、肌の上の水の跡はかわいていなかった。まだ肌にはかすかに涼しさがあり、貪り吸いつくのをやめられなかった。
 袁術は先の景色を思い出し、また言った。
「来年は参加することは許さぬ」

 帷がかすかに揺れ、細く光りが目に刺さってきた。孫策袁術を押し倒した。横になり、目を閉じた。
 先ほどの侍者が車外から小声で聞いてきた。
「殿は馬車を降りますか?皆の者は孫校尉が馬車に乗り込んだのを見ただけで、ここにおられるのを知りません」
 袁術は我慢できなかった。
「奴らには会わぬ。わたしには急用があり、校尉を速やかに屋敷に召し帰したと言え」

 孫策目を見開いた。車の装飾的な華麗な帷の模様が軽々と揺れた。阻むものもなく、馬車は帰り道についた。

 袁術の手が孫策の腕の上を滑りおり、彼の腰に落ち、ゆっくりと摩った。
 さっきはあんなに急で、焦った若者のようであった。今は時間があるが、誰かが邪魔する保障はなかった。

 孫策の身体の上の水分はすでに蒸し暑い空気にとけず、車中の香気が絡み合った。彼の腰際のへこみにはうっすらと塩辛い汗が滲んでいた。
 車輪を軋ませ走り、馬車は揺れと衝撃を時々受けた。袁術はうっとりとして、手の下の身体には震えともがきが起こり、抵抗なのか受け容れているのかわからなかった。
 汗水は皮膚をさらに滑らかにし、表面の柔らかな触感と柔軟な筋肉と硬い骨、さらには滾る鮮血の流れ、若い雄の身体の中には外よりも更に激しい火があった。まるで淫らに燃える袁術の体内の熱毒に炙られたかのように。

 熱力と情欲、汗水が全身の毛穴から湧き出していた。ゾッとするほど抑えきれない快感だった。
 火の如く苦しめられ、雲の如く上りつめ、骨を蝕み魂を融かした。
 逃げきれない情欲が潮を引き墜落した。袁術は喘いでぐったりと倒れた。

 馬車の中は一時安静になった。孫策は突然座り起きた。着ていた長衣を脱ぎ捨てた。窓の帷をめくった。
 風が入ってきて、汗で湿っていた身体に吹きつけた。袁術は我慢できずに震えた。
 彼がまだ口を開く前に、外の馬上で命令を待つ侍者がいて、聞いてきた。
「校尉、なにかお申しつけですか?」
 孫策は却って尋ねた。
「今はどこですか?」
 侍者が言った。
「すでに南門に近く、もうすぐ入城いたします」
 袁術は眼を細め、孫策横顔を窓の明るいところに押しつけた。輪郭がはっきりとしていて優美だった。声は少し掠れている。袁術は肘で身体を支えた。彼の肩を引き寄せようとする。
 孫策は言った。
「先に将軍府に戻らないで、道を変えてわたしを自分のうちに送ってくれ」

 袁術の手は空中に止まっていた。孫策が振り返ってから尋ねた。
「なぜ?」
 孫策は声を和らげ、顔を低くし、宥めるように、また誘惑するようでもあった。
「袁叔は先に半日下さい。洗顔して着替えも必要ですし、その他の人に言い訳もしなければ。わたしもやることがありまして、晩膳を摂ってから、お屋敷で再び相談しましょう」
 袁術も疲れていて、言った。
「晩に来なさい」

 晩になり孫策は訪ねてきたとき、騎馬に乗ってきた様子はなかった。
 袁府の侍衛、従僕は彼のことを何度も見ていた。だが、彼がこのような濃い色の服を着て、冠を被り、佩玉を付けているのを見たことは少なかった。車から降りてきて、手の中に絹の包みを持っていた。
 袁府の内路は十分彼は知っていたので、侍従の供を断り、彼らも無理強いをしなかった。

 日光はすでに隠れ、晩風は涼しく爽やかで、地上から浮いてきた熱と庭の垣根の上の薔薇の花の香気が混じり、昼間よりもさらに爽やかで甘やかだった。
 外から引き入れた水が静々と音がした。天上に星が無数に輝いていた。

 彼の歩くのはとてもゆっくりで、歩きながら、考えていた。
 穏やかな夏の夜、錦繡に包まれている。 

(術策)「有花堪折直須折」by潜規則之路先生37

「竟渡」(競艇)

 袁術は病と称し、端午競艇に、袁耀を先に行かせた。文臣武将が二列となって後に続き、水辺で天地龍神を祭った。
 これは民間の祭りで、大きな式典ではない。主催者が不在なので、着るものもいささか適当であった。祭祀が終わると、袁耀はいろんなことをほどよく手配した。振り返ると、黒い縁取りのある赤色の袍服を着て、腰に皮の帯を締め、左に長剣、右に短剣、刀を揃えていている、武将として標準的な武将の格好をしている孫策がいた。ただ頭にはきらきらとした宝玉の冠を被っている。張勛ら将軍らと話をしているところだった。

 袁耀は人の群れを抜けて、孫策の後ろに寄っていった。皆の者は次々と身を屈めてお辞儀した。
「大公子」
 袁耀は笑って言った。
「伯符、今日の午後の宴会では、きみはわたしの次の席に座りたまえよ。我々二人でしばらく酒を飲んだりしていないじゃないか」 
 孫策は目を光らせて、頭を下げた。
「今日諸将の中で、わたしは経歴が浅いほうです。軍功に関しては更に言うに及ばず、皆様方と席を同じくはできません」

 ある文臣が近づいて来て、袁耀の側の小声で囁いた。
「大公子は初めて責任者となります。人情は知るべきものですが、礼節は更に重んじるべきです……」 
 袁耀はむっとして喜ばず、彼の話を打ち切った。
「なにがでたらめだ?孫校尉とわたしは幼い頃から知っているし、更にわたしの父の義子だ。彼が次席にいても、どうして人情礼節に背くことがある?」
 彼の肩が微かに重くなった。孫策の手が宥めるように二の腕に置かれていた。袁耀は振り返ると、孫策は無言で首を振っていた。口の形が「怒るな」と作っていた。
 楊弘が袁耀が座に着くことを頼んできた。笑いながら側に立ちつくす者達の中から彼の手を引いた。
「大公子、孫校尉は父の元部下達のことを思って、疾うに彼らと同席すると言っていました。公子はどうぞ入って下さい。張将軍もどうぞ」

 孫策は身を屈めて、彼を見送った。人の群れのなかで誰かが大声で笑った。
「どうして人を育てると言っても、江州の瓜が洛陽の花を咲かせられるものか」
 孫策は首を傾け、薄笑いを浮かべ、程普黃蓋らに取り囲まれ、水辺に行った。

 未の刻(午後一時から三時)をすぎたばかり、陽光が一番激しいころ、侍者は知らせてきた。
「大公子、時刻がすでに過ぎました。競艇の試合を始めましょう」
 袁耀の身体の後ろは一カ所広々として空いていた。遠くでは河の上に数多の船が船尾を高々とはね上げていた。塗り立ての漆色が日光の下できらきらと光り、人々の目を奪った。船頭はみな布で遮られ、まだ見えてはいない。

 彼は頷いた。次の瞬間太鼓が一斉に叩かれ、各路の人馬がもれなく揃い、次々と鎧を外して着替え、船に乗り込もうとした。諸将は前に行って試合を督戦した。文官はみな岸の上で観戦した。
 両岸はきらびやかな様で、役人の息子や娘がたくさん満ちていた、風流で美しく、多くのものはこの盛大な催しを観戦しに来ていた。たとえ競艇に半分も興味を持っていなくても、この場で参加する一人として存在していた。
 さらに、その周りに寿春の民衆がいて、なんとか無理やり前を占拠しようとしたり、あるいは遠くから観賞しようと、密に重なり合い、水も漏らさぬ様子であった。

 袁耀は積み重ねられた土台の上に立ち、両手を翳して日光を遮り、河の上の赤の帯に彩られた橋を望んだ、約三里離れていた。
 橋上の最高のところに絹の帯がかかり、城内で最も早く咲いたザクロがかかっていた。鮮やかな赤色のをしていた。各家の競艇の船が、先を争うだかではなく、橋の下に通り過ぎるときに花球を獲ったものが勝ちだった。

 袁耀は少し頭を下げてびっくりした。
「伯符兄!」
 孫策は数多の兵士と一緒に立っていた。刀剣を外し、武将の袍を脱いで孫河に渡していた。中衣も腰にくくりつけ、肩や背を露わにし、まず先に船へと飛んでいった。
 彼の姿は美しく、人は空中で身を翻し、あの幕をめくりあげ、動作の中では生まれつきのリズムが奏でられ、そっと船頭  に落ち着いた。
 彼の手中の錦織がはためき、目の前には竜頭の精巧な彫刻があり、こってりと丹砂が塗られていた。船上にはひとしきり波の光りが揺れ、彼の足下は上下していた。両岸では爆発的な喝采の声が上がっていた。

 袁耀は独り言を言った。
「ついに自ら参戦したのか、わたしには言っていなかったのに」
 ある人が後ろで答えた。
「袁公が重く見ているとしても、もともとは寒微な出身ゆえ、礼数を重んじず、兵士達の中に紛れ込むとは、魚は浅瀬で泳ぐのが、もっとも似合いますな」
 張勛は手を後ろにして後ろの方を軽べつして一瞥した。
「陳将軍のこの発言、もとより身分に合っている。もし部下に聞こえたらみなよく服従しないだろう。将たるものは兵士ともし甘苦をともにしなければ、どうしてうまくいくことができる?」
 陳紀は気まずそうな顔をしていた。
「張将軍が後輩を愛護なさるのは、十分彼に遠慮なさっておられますな。もし紀将軍がここにおられれば、孫校尉にこのように勝手気ままさせることはないのに」
 楊弘は笑って言った。
「紀将軍はすでに徐州の布陣に向かわれました。去年彼の部下が一等を得た。今年の競艇はやむを得ず、本当に惜しいことです」

 数人が談笑していると、全ての用意は終わっていた。河の上には八条の細長い船が並んでいた。みな五丈近く長さがあり、舵は前にあり、鼓手は後ろにいた、十八人が出発点に準備して、開始の命令を待っていた。
 袁耀は馬に乗り、赤い旗を振った。一路笞を振り、弦を弾かれたように船が走り出し、終点まで向かった。
 太鼓は密な雨のように急になり、大きな雷のようで、更には岸壁の潮のような騒ぎとどよめきがくわわり、観戦者の呼吸もだんだん迫ってきた。
 この種の先を争うのは快感があり、孫策は真上に飛び上がり、花球をつかんだ瞬間、ついに最高点に到達した。

 ある馬車が橋の側に停まり、帷をちらりとめくりあげた。その動きは静かでささやかで、満場が沸騰している中、注目するものは誰もいなかった。
 ある侍者がすぐに窓辺に近づき、小声で二言三言聞くと、「はい」と言った。

(術策)「有花堪折直須折」by潜規則之路先生36

「尋仙」*この章は難解でした。

 医官袁術の脈を触れて笑って言った。
「袁公ご安心ください。何でもありません。ただ今は昔とは違います。夏に入れば、天気は甚だ暑くなります。熱毒は少し気が塞がり憂鬱なことがあります。いささかだるさを免れません。発散されるのがよいでしょう」

 またさっとその他を診てみると、事細かに周りの侍従に言いつけた。天気は暑いけれど涼しすぎるのはよくない。毎日多く水を飲み、氷は少なくし、日光によく当たり、汗をかいて、熱毒を体外に排出することです。

 孫策は笑って言った。
「明日は端午競艇の日です。袁叔は観戦に行くのでしょう?それでは日にとてもさらされるでしょうね」
 医官は手を振った。
「孫校尉、激しい日に当たるのは、やりすぎです。袁公は庭で熱さをしのぐのがちょうど良いでしょう」

 孫策は加冠して字を付けたといっても、袁術は依然として元の呼び方を使っていた。
「このようだから、策児行って来なさい、袁叔は屋敷の中でそなたの勝ちをまっておるぞ」
 侍女が馮氏がお見舞いに来たことを知らせた。孫策は微笑んで立ち上がった。医官に座るよう示して、自分は下がりますと告げて、袁術の寝室を出て行った。

 初夏の花が盛りで、庭は濃い緑の影に満ち、庭の垣根に一棚の薔薇がかかっていた。灼熱の太陽の元で、一条の光輝く河のようであった。
 馮氏はたっぷりとした花影の中に立ち、衣装はあっさりとして姿は美しく、背後に二人の侍女が着いていた。
 孫策は彼女を見て、腰を浮かして挨拶した。
「夫人、ごきげんよう
 馮氏も微かに頭を下げ、礼を返した。
「孫校尉もごきげんよう

 彼女は二歩歩いて、また振り返った。
「孫校尉お待ちください。孫校尉は呉郡のお方ですか?」
 孫策は顔に意外な表情が浮かんだ。そして答えた。
「名義上で、父に従って先祖の祭祀に数回行ったのを除けば、ほとんど富春には戻っていません」
 馮氏は手の中の絹のうちわを揺らした。そっと「ええ」と呟いた。
「その……以前孫校尉と他の方が梅子真のことをお話ししていらっしゃるのを伺いましたの。よくご存知なのかしら?」
 孫策は笑って言った。
「亡くなった父はいろいろと忙しく、家ではほとんど母に育てられました。従者も多くは母が呉郡から連れてきたもので、よく当地の仙人の話をしていました。小さい頃から聞くことが多くて、それで知っています」

 馮氏は睫毛を伏せた。うちわの絹は上質で、青碧の江と山水が描かれている。
「多くの人が、仙人を求めるのは、茫漠として雲をつかむようで、無駄な骨折り損で、いまだ成功した者はおらず、人間の富貴の存在にはおよばないとされているのです。孫校尉はどう思われますか?」
 孫策は片方の眉をはね上げた。
「仙人となれない者が、いかに成功を知り得ますか?」

 馮氏は微笑んだ。
「またあるものが言います。仙人となりたい人が一日で成功し、持てる財産を放棄し、宝山に入って、振り返らない。身内や親友や愛する人にとっては、とても辛いことです」
 孫策も微笑んだ。
「夫人のお家は家学が淵源で、博識強聞です。どうして夫人一人が幸せを得て、その一族のみなさままで幸せにならないことがありましょうか?一族が幸せなら、その主人も栄光は無限でしょう」

 馮氏は頷いて笑った。
「孫校尉のご指摘、ありがとうございます。わたしは仙人の道に通じていないけれど、かえって梅子真の逍遥がとても羨ましく思えます」
 侍者が急いでやって来た。孫策に報告する。
「程普殿、黃蓋殿ら、みなさま外で校尉を長くお待ちです。言うには早くご相談なさりたいそうです。明日の準備のことだそうです」
 孫策は言った。
「夫人どうぞお入りになって。袁公はおそらくお待ちになっています」

 孫策の歩くのはとてもゆっくりで、なにか考えているようだった。門外について、程普黃蓋が待っていた。少し話して、その一群は軍営の中へと向かった。
 彼は馬に笞をくれて、進み、突然振り返って小声で呼んだ。
「程公」
 程普は彼の後ろに着いていて、馬に乗りかかっているところだった。すぐに着いてきた。
「何事ですか?」

 孫策はさっきの今日の馮氏言ったことを話して聞かせた。
「程公はどう思う?」
 程普はしばらく考えてから、答えた。
「答えのない話で、方法を求めるだけで、決定的なことを言う方がいいですよ」

 孫策は身体をすっと伸ばした。日光の下で目を細めた。
「程公とその他の諸将は、我々がすべき準備をしよう。決定的なことを……」
 程普は息をひそめ、彼の話を待っていた。
 孫策は言った。
「オレには考えがある」

 彼は馬に笞をくれて、遠く軍隊目がけて走り出した。振り返って大笑いする。
「程公、皆の者、明日の競艇の試合は我々が必ず勝つぞ」
 皆おおーっと叫び、馬に笞をくれ着いていった。

*梅子真は梅福。
梅福は字を子真、九江寿春の人。わかくして長安に学び、尚書、谷梁春秋に明るい。郡文学となり、南昌の尉の補となる。後に官を去り寿春に帰った。しばしば県道上で変事を言った。皇帝の行在所の危急にはかけつけ、知らせ、すぐに報告した。このときは成帝の時代で、王鳳が大将軍に任じられ、鳳の朝廷で権勢をほしいままにした。京兆尹の王章はもとより忠直で、王鳳をそしった。ために王鳳に誅せられる。……元始中、王莽が政をほしいままにした。梅福はある日妻子を捨て、九江を去り、今には仙人となったと伝わる。その後、ある人が会稽で梅福に会ったが、名や姓を変え、呉門に卒したという。

※親切なスーパーアドバイザー八月さんより指摘を受けました。
馮氏は孫策のスパイとして入宮したそうです。だから、二人の会話は謎めいているそうです。
梅福の生きたルートがそのまま孫策の侵攻の道を示唆しているのでした。

(術策)「有花堪折直須折」by潜規則之路先生35

「加冠」

 周瑜は目を閉じて、しばらく考えた。
「わたしはもちろん同意しないことはないよ。でもわたしは年長者じゃないし、徳もないし……」
 孫策周瑜の話を遮った。
「それに拘る必要はない」
 二人は指を絡め合った。手のひらには汗が滲み湿ってきた。
「当時、おまえが寿春に訪ねてきて、初めて会った、オレに何と言って来たんだった?」
 周瑜は笑い出した。
「わたしはまじめすぎた。どんな話でもきみにしてきた」
 孫策は指を離し、周瑜のややつり上がった目尻をなぞった。
「そんなちょっとの年がどうした。自分から王佐の才を誇り、必ずやいつか功を立て偉業をなし、万人の上を出る……オレと同じく無茶苦茶なことを言っていた」

 周瑜は言う。
「それから、きみの孫家の一族がいないよ。礼が成り立たないのでは」
 孫策は立ち上がって帷をめくった。
「伯海入ってこい。その他の者は用意をしろ」

 兪河は孫策の前に立ち、黙って待っていた。
 彼は孫家の親子に長年随ってきた。全身全霊で仕えてきた。
 孫策は言う。
「伯海、おまえは姓氏を変えて、今から我が孫家の人となるか?」

 兪河はまったく迷わず跪いて礼をした。
「孫河は肝脳地に塗れても、小将軍に従います。死すとも悔いはありません」

 必要なものはすでに準備してあった。孫策は孫河の着替えを手伝い、笑いながら、周瑜に言った。
「朝に遅れたのは、こっそりこれらの物を運んできたからだ。ばれるのを恐れて、何かが足りなくないか、何度も調べてから出発したんだ」
 孫河は黒い冠を捧げて周瑜の手に渡した。
 孫策はつやのない黒い深衣を着て、そこに座っていた。顔を上げて、まじめに周瑜をみつめていた。
 それは周瑜孫策と知り合って数年来、初めてまじめに感じた。彼はついに自分の先を一歩進んで成人となったのだ。

 白衣に着替え、皮の冠を被った。
 最後の一つは、赤と黒の二色の絹服と礼冠だった。
 周瑜孫策のために顎の下で紐を結んであげた。指先で濃く黒い眉をなぞった。
「孫伯符、礼は成った」

 孫河は米酒を準備し、三人で乾杯した。孫策は小声で言った。
「これでよし。伯海は出て行っていいぞ。夜の番を頼む。今夜は誰も入れるな」

 孫河は命を受け、振り返るときに、目の端に光るものがあった。軽い帷はすぐに元に戻された。
 彼ら二人は寝台の上をごろごろと転がった。手脚は錦織の布団の中に巻き込んだ。
 周瑜は笑った。
「伯符、いまさっきわたしは間違ったよ。礼はまだ終わっていない」

 孫策は眉をひそめた。
「まだなにか?」
 周瑜は彼を起こし、手を伸ばして腰の帯を解いた。
「まだ妨げる物は、全部脱いで」

 衣服を脱がせるのに、周瑜の手はごくゆっくりで、優しい。
 まるでその荘重な衣冠を破くのを恐れるかのように。
 かれの手指は細長く白い、琴の上を優美になでるように落ち着いていた。

 孫策は前に屈み、彼の唇にそっと触れた。
 この口づけはこんなにしなやかで、柔らかく、すっと去った。周瑜の唇にはうっすら酒の香りが残った。
 優しく慎重な動きでまるで孫策らしくなかった。
 彼の手指はそっと周瑜の生え際をなぞりあげ、整えられたもみあげを撫で、小声で言った。
「おまえの心臓の跳ねる音がすごい。おまえをオレが焦らしているみたいだ」

 ついに誠実に相見える
 上巳の節の禊を行い、川の中で身体は清潔につややかに洗われている。髪からは蘭草と流水の香りがした。
 孫策は裸の胸に一条のねじれた傷跡があった。今では目に触れて驚くほどではなかった。指で触れると、微かな隆起があった。
 周瑜の指の腹には傷ついた皮膚をゆっくり摩った。
「こんな傷を負っていたなんて……」

 孫策は口の端に笑いを含んでいた。
「何を恐れるか。傷なんて、顔にでもあるまいし」
 周瑜は突然俯いた。話している間の胸の振動がぴったり肌が張り付いているので伝わってきた。
「きみはわざとこんな話をしているの?わたしが怒るのが恐くないの?」
 孫策の声音は小声で囁いた。
「じゃあおまえは今怒っているのか?」
 周瑜は春の水のような眼は、白黒はっきりとしていて、温和で秀麗だった。ただ今は多情な眼から情感がほとばしっていた。言葉で語るより大声ではっきりと語っていた。今このときは磐石の如く硬く、火焔のように燃えていた。
 周瑜は下にすべりおり、唇が傷跡に張り付き、暖かい舌がなぞり、突然その上を一口噛んだ。
 その一口はきつく噛んでいなかったが、かえって効果があった。
 周瑜孫策が突然跳ねさせた腰を抑えた。憎々しげに言った。
「今夜きみはわたしに謝ってもらうよ」



 周瑜は立ち上がった。孫策は寝台に伏せて、臂で支えながら彼が髪を結い服を着るのを見ていた。にっこりと笑っていた。
「叔父君にごまかす工夫は、深くて測りかねるな」
 周瑜はため息をついた。
「周家と袁家は代々付き合いがあり、もちろんそんな簡単に態度を変えるわけにはいかないし、その上」
 彼はすでに上着を着ていたが、また孫策の側に座っていた。
「いまはまだきみがいつ抜け出せるかわからない。先に盧江を攻め、一芝居うち、何度もしているうちに、袁術がきみに対して忌みはばかるようにはさせたくない」
 孫策の眼は光った。
「素晴らしく振る舞うのもできない。彼がオレを用心するのも悪くない。オレを重用するのも悪くない。すべて面倒だ。ひどく振る舞うこともできない。人のいい口実になる。オレに兵を全て集めさせる。しかし、陸康も特別に困難で、あんなに長くかかった」

 周瑜は少し考えた。
「当初の計画は、まだ継続可能?」
 孫策は微笑んだ。
「心配いらない。三、五カ月間以上はかからない。おまえは丹楊でオレをまっていろ」
 周瑜孫策と指を絡めた。十指が握り合う。
「きみはすでに把握してる?彼はきみを手放せると?」
 孫策は起き上がって座り、彼と見つめ合い、深く目の中を覗き込んだ。
「オレに考えがある」