諸葛亮は周瑜に気をつけながら急いで住処に戻った。趙雲を捕まえて劉備の状況を訊ねた。その後、数人の将軍に練兵の強化を命じ、近く必ず出兵があると言い残した。
用事を言いつけ終わったのち、諸葛亮は部屋に戻って、片付けを始めた。周瑜はこんなにも真面目な諸葛亮の様子を見て、邪魔しなかった。彼が片付けものをするのを、めったに見ることはなく、むやみに触ることもしなかった。そばで大人しく座ってみていた。街角のことを思い出して、しばし寂しくなった。
孫策が死んでもう十年になったのか。自分はやはり彼に会えると妄想している。やはり希望をもつべきではなかったのだろうか。
諸葛亮も周瑜が見るかどうか気にせず、袖からさっき買ったものを注意深くきちんと包んだ。さっき街角で見た人物ははっきりとは見えなかったが、その人の腰には鮮やかな朱で書かれた呪いの札があった。諸葛亮にははっきりと見えた。もし発見されていたら、すぐに荊州を離れなければならない。先に予想していたが、劉備はたしかにこのとき勢力を拡張していて、ちょうど戦を助けることができる。いずれにせよ、絶対に周瑜は守らなければならない。もしあの人に発見されたなら、きっと悲惨な結果になってしまう。
今はただただ遠くへ行くことだ。
十二月、劉備と劉璋が決裂して、成都を攻めた。諸葛亮と張飛、趙雲が入蜀し、助勢した。関羽は留まり荊州を防衛する責任を負った。兵を分けて各郡県を平定し、劉備とともに成都を囲んだ。
214年、劉璋が投降し劉備は益州の主となった。諸葛亮は蜀軍の軍師将軍になり、左将軍府、大司馬府の事務を司った。