策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

よちよち漢語 16 亮瑜啊亮瑜先生「伴君左右」

 周瑜は諸葛亮の言い訳などきにすることなく、昨夜のことを問い詰めようとすると、突然かわいそうな扉が踏み破られた音がした。それから涙を流しながら部屋に入ってきた。ベッドにいる諸葛亮をみると、頭が痛いような表情をした。
 来たのはまさしく劉備であった。
「軍師、子龍に聞いたぞそなたが病気だとな」
 劉備は諸葛亮のベッドの前に飛び込むと手を握って激しく泣き始めた。
 諸葛亮は劉備の手を振りほどこうとしたが、あきらかに手は振りほどけない。そこで恨みがましく劉備の後ろの趙雲を見た。趙雲はうちの軍師の目つきを見てすぐにあわてて、これは主公がぜひとも見舞いたいといったので、それがしのせいではありません、と言う顔になった。
 周瑜は人が来たのに気づくと、様子を察して人を避けて窓辺に座り、のんびりと諸葛亮の珍しく困った表情を眺めていた。この蜀の国の君臣上下は本当にさわがしい。思いもよらず劉備は爪を隠す鷹で、一見無能なように見えて、自分の臣下にはこのような姿勢を示すのだなぁ。自分のところの孫権の宮殿の中はいささか冷たさを禁じ得ないな。孫権はかつてプライベートで、そんなに礼に拘る必要は無いと言ったが、当時の自分は何と言っただろうか。君臣の別の類いのことを言ったのではなかったか。当時の周瑜孫権の帝王の位を強固にするため礼節に厳しくあった。江東の頂点はもう義兄の孫策ではなく、孫権であると……。
 東呉の皇帝。
 大耳がついに自分の心配な気持ちを述べ終わり趙雲と離れるとき、周瑜はすでに、半日座って過ごしていた。本来この部屋には人がいなかったら、彼は琴を弾いたり、習字をしたり、読書をしたりできたのに。しかし、もし人がいるのにそんなことをしていたら、おそらく諸葛亮は祟られていると言われるだろう。その実それほど諸葛亮のことははばかって、いない。面倒なことは起こしたくなかっただけだ。周瑜は小さい頃から謙虚過ぎる人だった。