策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

流離 弐 注

p6 雪中送炭 せっちゅうそうたん。困っている人に物資などを送って手を差し伸べ、助けること。
p6 叔弼、季佐。しゅくひつ、きさ。孫権の弟たち。孫翊孫匡
p8 温泉。グーグルマップで南京周辺に出てくるから、あると思う(笑)
p10 春の出水。はるのしゅっすい。でみず。孫権は手紙で教えてやり、さらに別の手紙で「あなたが死なずば安心できない」とストレートなことを言い、曹操孫権の言うことを信じた。曹操曹丕より孫権にあまくない?
p11 酸梅湯 スアンメイタン。梅の飲み物。夏バテに効く。烏梅湯とも。
p21 銀木耳の甜心。ぎんきくらげのてんしん。冷たいスープ。美味しい。滋養がある。
p26 靠枕。カオジェン。クッション。カタカナ語を使うまいとして中国語を持ってきました。三国機密で賈詡郭嘉が乗っていた車のイメージ(わかるか)じじいと病人に優しいのね。
p26 阿利。あり。谷利のこと。
p37 大公子。だいこうし。長男の敬称。孫登を指す。
p37  羹。あつもの。肉、魚のスープ。当時のごちそう。
p40 ひいおじい様。孫鍾。謎の瓜作り名人。孝行者だったそうな。
p42 魯班の年齢。史実では不明ですが、周瑜の長男に嫁いでいること。態度が異常にでかく、まわりもそれを、容認していることから孫権の最初の子(はじめて育った子)だと想定して書いています。
p43  公文。こうぶん。政府で役人達のなかで往来する文書。
p46 客餞。きゃくせん。宿屋。
p46 肌が白いのから~。後年、孫権はローマの商人と会見したことがある。海洋貿易が盛んだった。
p48 細作。さいさく。しのび。スパイ。
p50 箜篌。くご。ハープのこと。
p51 霊蛇髻。れいだけい。形は不明。甄夫人が夢にみた蛇の形に髪を結ったことからという説がある。くねくね?
p51 涼亭。りょうてい。庭のあずまやのこと。
p52 束脩。そくしゅう。当時学問など弟子入りするには、干し肉を束ねた束脩というものを先生にお礼にさしださねばならなかった。
p53 顧曲。顧曲というのは周郎の別名。
p61 江。「長河吟」という周瑜が作曲したかもしれないとされる曲がある。
p62 惻隠の情。そくいんのじょう。たとえば、幼児が井戸に落ちそうなのをみれば、どのような人であっても哀れみの心(惻隠の情)がおこってくる。これは利害損得を越えた自然の感情である。孟子。よくテストに書いて先生の同情を買おうとしていた。
p65 お花のお風呂。中国後宮ものではお約束。
p71 手炉。しゅろ。手を暖めるための小さな暖房器具。
p71 二少爺。にしょうじい。アルシャオイエ。二番目のぼっちゃま。周瑜は次男という設定なので、爺やは未だにこう呼ぶ。
p72 玉墜。ぎょくつい。高級なストラップとか根付けみたいなもの。これも中国ドラマでよく出てくる玉飾り。
p81 師嚝。しこう。中国春秋時代の晋の平公に仕えた楽人。 盲人。名手だったが気難しかったり、主君にも諌言してはばからなかった。
p104 披風。ひふう。マント。
p107 博山炉。はくざんろ。崑崙山を模した香炉。
p107 袁夫人の養育した子ども達。みな育たなかったという。養育能力に問題か、または他からの妨害から守ることができなかったのかもしれない。袁氏という血筋では皇后に近かったが、隙がある人だったのかも。
p109 内官。ないかん。宦官。
p119 裘。かわごろも。毛皮の外套。
p133 陳脩と陳表の母は仲が悪い。
p136 織室。しょくしつ。罪人の関係者、女性が放り込まれることが多かった。
p138 虚証。きょしょう。漢方で陰よりの体質。
p140 冷宮。れいぐう。罪を得た妃嬪がおくられるところ。寂れたところ。
p141 趙夫人の子殺しは創作ですが、多才なのに失寵したのは事実です。案外兄のほうが迷惑かけていたかも。
p152 投壺。とうこ。壺に矢を投げ入れるゲーム。外すと罰杯として酒を飲まされる。本当は、いろいろしきたりがあるらしい。
p157 皇后に~君臨~。皇后は詔勅が出せる。一緒に国を治めることができると、この孫権はいいように思っている。
p165 対食。たいしよく。もともと宮中で一緒にご飯を食べる宮女同士のなかよし関係だったり、宦官と宮女の関係を指す。
p190 花鈿。かでん。孫和の妻の一人鄧夫人が怪我をして薬(赤い)を塗ったら、美しく見えたことが起源の一つ。南朝宋のお姫様の顔に梅の花が降りかかってきたのが有力な説。赤、緑、黄色でお花模様を描くお化粧。
p191 怪力乱神を語らず。死後のことやお化けとかは君子は語るべきではない。『論語
p191 地味な媼。呂蒙の母。甘寧と息子のけんかを仲裁できる肝っ玉母さん。
p192 巾幗。きんかく。女性の髪飾り。頭巾。
p194 建安二十五年冬。呉では建安二十七年まで使った。記した木簡竹簡が出土している。
p197  浮図。ふと。仏教徒のこと。
p198 銀絲。ぎんし。しらが。黒髪は青絲。
p198 大変な知恵者。支謙のこと。
p200 暦。周瑜の先祖の為せなかったこと。
また、精確な暦こそ権力者としての威厳。
p202 龍涎香。りゅうぜんこう。マッコウクジラからとれる。
p205 周の文王は~。「文王飲酒千鍾,孔子百觚。」杯の大きさも違うのですが、ざっくり書きました。
p207 張尚書郎。張衡のこと。地震儀とか作っちゃった人。天才。
p208 当時の尚書令は、周興の上司であり、尚書に引き抜いてくれた門生故吏なので逆らえなかった。大幅な変化を望まなかったため九道法はボツにされた。あと単純に難しかったのもある。
p210 大変傲慢な使者。邢貞。けいてい。張公に、「江南に一寸の刃もないと思っておられるのか」と一喝された。かっけー張公。
p219 杏仁餅。シンレンビン。アーモンドクッキー。
p222 周の邑姜。周の武王の后。子どもの成王が幼く、代わりに出陣した。
p222 伯邑考。はくゆうこう。長男だが次男の武王や周公旦が優秀だったため人質に出され、のちに羹にされたとする説がある。
p222 好孩子。ハオハイツ。いいこ。
p225 馮昭儀。ふうしょうぎ。馮媛。ふうえん。前漢元帝の妃。あるとき、猛獣ショーを帝と妃たちが観覧中、二頭の黒熊のうち一頭が檻からでてきてしまった。悲鳴を上げて逃げ惑うもののなか、馮媛だけは元帝の前に立ち塞がりあわてなかった。
p238 冊書、印璽。一応妃も役人なので任命書と印鑑をもらう。
p243 潘氏が251年に皇后に立てられて、252年に急死(絞殺)し、孫権は同年に71歳で風邪で崩御。歩夫人の皇后位は死後贈られた。
p244 蕭何。しょうか。漢の三傑。孫策虞翻に「わが蕭何となって欲しい」とささやいている。人たらしめ。