策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

長生きしても危なかった周瑜さん!?

長生きしても危なかった周瑜さん!?

孫権はですね、史書のなかで、割と身近な家臣を字で呼んだりしてますね。
あと阿利(谷利)とか、~ちゃん的なラフな呼び方も。
一方、自由な呼び方も出来ないほど尊重しているのが、張公(張昭)、張東部(張紘)の長老たちです。
軍においても程公(程普)がいます。
(黃蓋さんはドラマ等のイメージでもっと白髭の
おじいさんのイメージですが、黃公とはならないですね、孫堅に仕えた時期が遅いのかな?)

張東部は官位からですが、公とは敬称です。
公とは
对亲属的称谓。
对某些职业者的称谓。
对平辈的敬称。
上对下的敬称。
对尊长的敬称。
一般的敬称。

百度百科ではこんな感じでいろいろな意味を含んだ敬称であることを説明しています。親しみもちょっと入っている感じでしょうか。

孫郎、周郎と呼ばれたふたりは若くして亡くなりますから、公がつくほどの年まで生きませんでした(T_T)

で、ここから妄想タイム。
周瑜がもし、長生きしたら。
周公です。周のぼっちゃまから周おじさまに格上げです。
ただの周公ならよいのですが、「周公」といえば、超有名人、かの孔子も憧れた周公旦さまがいらっしゃいます!
立場としては似ているんですよね。
兄武王(義兄孫策、義母呉夫人)から後継者成王(孫権)の後見人を頼まれる。
一族の反乱を抑えて国をまとめていたり、謎の説得力のシャーマンぽいところがなんとも……。
酒見賢一先生の『周公旦』最高なんで読んでみて下さい!

で、妄想に戻ります。
かの周公と同じ名称になったら、やっぱり、期待なんかもされちゃったりして、それが周りにも孫権にも面白くなくなったりするんじゃないかと思うんですよね。
周公旦も成王が君側の奸に唆されて、一度出奔してますから。
実際、朱治、朱公が呉でブイブイ言わせていると、孫権が腹をたてて、それを諸葛瑾が丁寧に解説して優しく諭していたりします。

あやうく(?)長生きして周公になっても、結構危なかった人生かもしれませんよ、周瑜さん。