策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

『香りの詩学』読書メモ。

詩がむずかしいな。
ここから難関。
でも面白いので発見。
「蘭湯に浴し、香芷に沐す」~乾燥した香草(藤袴?)と香附と白芷?(漢方)
というのが楚辞にあるとな。
中国後宮ドラマでよくある、贅沢花びらお風呂シーン。あれは健康にする実用性と、神聖な儀式でもあるのかも。

司馬相如の歌がいやらしい。いやーん、えっち。武帝が読みたがったとか、武帝もえっち。

後漢の中後期から外国からの香料が伝わったようで、室内履きの靴に外国の香料を薫らせる…足ですか。やっぱり足フェチなんですな。

曹丕曹植の美女と香りの表現。
曹丕は音楽が出てくる。普通に女楽も詠うからおかしくはないけど、この人の場合お母さんが理想なのかな、とちらりと思う。
曹植はビビッドだね。解説をよみながら詩を読むと。
香気、氣の表現を再発見し、使いこなしたのはこの二人であると。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚へと感覚が拡がっていく…意欲的な表現。
やっぱ、このふたり天才だったのね。
ただのスイーツ好きと酔っ払いではないんだわ。

阮籍では、美女ではなく美男が登場。おおう。
美女が香るのはあたりまえ、美男も香る。

美男潘岳が書いた亡妻を思っての詩、
「流芳 未だ歇くるに及ばず」
故人の匂いが遺っている。
悲しい。

陸機がとりあげられている。楽女の表現が華麗である。陸機兄弟は陸景とちがって、張氏の血は入ってないのだけれど、この文彩はどこからきたんだろうね。ふしぎ。

むむ、「呉の地方の民歌である神絃歌を孫氏は宗廟登歌にした…」神絃歌、民謡を宗廟に上がるときのテーマソング?ということ?
地元愛でよいね。
かの有名な爾汝歌もまた民歌であると。

時代が降るにつれて、神女、女楽、妻へと詠まれる美女が変化した。

音楽と女性、妓女あるいは聖性をもつ巫女、神女ともとれる。

六朝の民謡「子夜歌」の第一首。
「芳香 已に路に盈てり」
この行の前までは夕方、門で思い人の女性を見つけて、その美しさに感じ入っている…。
路に拡がるほどの香り…。
現代ではアカンやつや。強すぎる。
詩として、視覚から嗅覚へ拡がりを見せるところが、特筆すべきところらしい。
魏晋以降のころには香料は盛んに上流では使われていたらしいからな…。

さらに時代がくだると「芳滑」体が香りしっとりなめらか…エッチさに、磨きがかかる。
対象の美女との距離感が狭まってくる。
嗅覚から触覚へ。

女性の汗がでてくる。香りだけでなく、温度と手触りを、示し女性の身体を描いている。
夫の不在の妻、こうあって欲しい欲目なのかな。思婦があせをかくはよくわからぬ。

第一部はここまで。