策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

よちよち漢語 三十二 需要愛先生「思為双飛燕」

十三章 兄弟

 孫権は周家の屋敷で最初にしたことは、荷物を整理整頓することではなく、周瑜のお母さんにご挨拶することでもなくて、屋敷の内から外から一周して回ることだった。
 ここは公瑾お兄ちゃんの書房、あっちは武道の修練場、奥は中庭、公瑾お兄ちゃんの臥房はこっち、孫権は見るからに嬉しくてたまらない様子だった。周瑜孫権がこんなに興奮しているのは、小さな子どもがうちの屋敷の造りに面白みを感じたのだとしても、ちょっと不思議だった。
 しかし、孫権のしたいようにひとまわり見物させておいた。
 一方、孫権が見たところでは、周瑜が成長し、暮らしているところを一遍見まわるのは、非常に心躍る出来事であった。以前舒城に住んでいたときには、そのような機会はなかった。
 中庭に戻ってきたとき、孫権周瑜の結婚したばかりの夫人にであった。周瑜の側に立つその女性は痩せてちんまりとしており、見るからにちょっとひ弱そうだった。孫権は孫氏一族の一連の姉妹達が日頃豪快で武芸を好む気風の持ち主達であることから、周夫人をちらと見ただけで相応しくないと感じた。彼女の話しかたは小さな声でか細く、行動はゆるゆるとしていた。
 自分の部屋に戻ってから、孫権は竹簡を取り出し、次々と刻んだ。周夫人は体が弱い、おそらく多病、天命も長くはないだろう。などと書いておいて孫権ははっと意識した。自分でどうしてこんな話を書いておいて、自分の義理の嫂の天命も長くはないとは、大変礼を欠いている!
 小刀を持ってこの部分を削りとろうとして、また手を止めた。心の内にこっそりと何とも言いがたい気持ちがあふれた。孫権は心の内で思った。どうせこの竹簡は自分の身の回りの品である。周瑜は孫家の人である。すでに孫家のひとであるなら、身内である。あの周夫人はただの遠方のお客さんである。いささか周瑜と孫家の間が多少疎遠になったみたいだった。これは孫権に心中ひそかに憤らせた。さらには、あの周夫人は街にドライフルーツを買いに行きたいと言って、周瑜と一緒に連れ立って行った。
 孫家の女性陣でそんな些細なことで夫を連れて行くことはありえない。言わずと知れた孫堅は長年戦続きで不在で、呉夫人は一人で孫権達兄弟を苦労して育ててきた。そして、孫策の妻は孫策と外におでかけしたことがあるのだろうか?
 このことは孫権に不満を抱かせた。それから突如として思い立ち、お兄ちゃんは孫権が周家に到着したら、平安無事を手紙で知らせるようにいいつけていたのだった。
 ちび孫権は筆と墨を取り出し、手紙にすべて平安と書き、ちょっと考えて、屋敷でぼくが見た周夫人のことを書いた。我ら孫家の女性陣とはすこぶる違い、ぼくが密かに思うにこの人は甚だ婦徳が無い、と。
 書き終わると、孫権は少々気がとがめて左右を窺った、書簡を巻いてしっかり括ると、心もやや落ち着いた。
 孫策の返事はとても早く返ってきた。まず真っ向からぐっさりと孫権を二、三罵り、孫権は周家の客なのだから、決してそこの奥さんに失敬なことはしてはならない。もしこれらの行為をオレの前でやらかしたら一発ぶっとばすからな。罵り終わると、孫策はまた二言三言言いつけた。孫権に外に出かける際は何事も注意深く自分で考えて行うこと、呉夫人が心配している、とか云々。終わりに、孫策は付け足していた。甚だ婦徳が無いとはどういうことなんだ?
 お兄ちゃんのこの書簡を受け取るやいなや、孫権は筆をふるってさっと書いた。自分が周家で見た周夫人がいかに自分の夫に纏わり付いているのか、いかに一時といえども夫に離れない様子なのかをすべて書いた。書き終わって孫権は足りないように思えた。また、周家は来客が多く頻繁で、色々いて、周瑜の同窓で学んだものは、周瑜ととても仲が良すぎる。その中のもっとも仲良しが蒋幹といい、常に公瑾と手をつないだり、はては榻を同じくしている。孫権はまた考えてから、重ねて強調することにした。昔のお兄ちゃんといえどもこんなに公瑾と情愛が過ぎることはなかった、と。