策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

周瑜の祖父(従祖父?)周興さん。

臨時 一日一策瑜

周瑜の祖父(従祖父?)周興さん。

廬江周氏出身の最大のスターは周瑜に違いない。
では、一番の天才は?というとこの方、周興さんぽいよ。

では、なんちゃってダイジェスト、スタート。

周興は若くして有名で、永寧年間(120~121)に尚書の陳忠さんが上奏して、安帝に推薦した。

陳忠さんは後漢書陳寵伝で出てきます。法律家の家柄で沛国の人。周興さん以外にもたくさんの賢才を推薦したとされています。
その推薦文がすごい。

「わたくしが思いますに、古代の帝王の号令というものは、言葉が優雅で温かみがあり麗しく、古典のなかにのこり後世に伝わりました。孔子は唐虞の文章を褒め称え、周代の文化をあがめていたのです。わたくしが見まするに光禄郎の周興は孝行者で友情に厚いと家庭でも著しく、その清らかで高い志は故郷でも知られています。古今に通じ博聞です。『三墳』(古代の神々三皇)『五典』(五帝)で彼の知らないものはありません。彼が書く文章は観賞に値します。尚書の職務は皇帝の命を下すところ、すなわち咽と舌であります。わたくしたち(尚書)は愚昧にして文に暗く、俗っぽく優雅さに欠け、毎度詔を書くのに、内外に知らせて、あちこちにお願いしています。またあるものは、お願いしなくとも、却って独りよがりで、言葉遣いも田舎くさく頑迷です。周興は奇才があり、遅れて生まれてきたのがまことに残念です」

周興さん激褒め!もすごいけど、この尚書…大丈夫?
書類書くのも、授業で作文やレポート書くのも嫌ですよね(よっぽど好きなことでもなければ)
光禄郎だったんですね。
宮中門戸の宿衛?を司る。兵士を指揮する官僚なのかな?イメージよくわからない。
どういう経緯で賢才ぶりを発見されたのかしら?
夜中宿直していたら詔を書けずに悩んでいた尚書郎の誰かに捕まって「頼むから書いてくれよ~締め切り明日なんだよ~」とか言われたのかな?
妄想するとおもしろいね。

安帝は深くその通りだと思い、詔を下して周興を尚書に召し出した。

周興さん尚書に遷りました。

作文能力、表現力の巧さって、周家のお家芸なのかな?
周瑜の発言は少なくて寡黙な印象ですが、蔣幹が来訪したときのイヤミとか劉備へのディスり(蛟龍)にもピリッとしたセンスが感じられます。
孫権陸遜との回想で、呂蒙周瑜の意見の述べ方には、修辞的に差があるっていってましたよね。
比べちゃ呂蒙が可哀想ってもんですよ。DNA的に叩き込まれているセンスなんですから。
むしろ、追いつこうとしてきた呂蒙がすごい。

さて、後漢書周栄伝では周興さんここで終わり。
でも、律歴志には登場されてます。
これがワケワカメなんだ(>.<)

さらに華麗なる周家の歴史は続く!

夏バテ中プラス後漢書難しくて…もう大変。
古典の知識もない上に現代語も、母国語のはずの日本語も怪しくなってるから訳が厳しい~!!
ボケが進行してる💧