策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

公開ラブレター 其の二


一日一策瑜 

「公開ラブレター 其の二」

三国志魯粛伝の裴注の江表伝から、「初瑜疾困,與權牋曰:『瑜以凡才,昔受討逆殊特之遇,委以腹心,遂荷榮任,統御兵馬,志執鞭弭.自效戎行…』」
死の床にあって孫権に宛てて書いた遺書ですが、書き出しが孫策からの恩顧より始まる。
貰った孫権はどんな気持ちだったでしょうか?
「いきなり兄貴の話かよ」
と惚気られたと思ったでしょうか。
孫家との付き合いの歴史を考えれば別におかしくもない書き出しなのですが。
今の主は孫権オレだぞと。
今は無き某国サイトで指摘されたことなのですが、

孫策周瑜に対しての好意や信頼を言葉や贈り物で何度も表しているのがわかる。けれど周瑜孫策に対してはっきり言葉で表しているのは遺書だけだ」と。

ハッとさせられる言葉でした。
周瑜は態度で惜しみない忠誠を示す人なので、気づきませんでした。
もしかすると、言葉として残っていないのは、彼の愛情はきっと得意の音楽によって奏でられ、孫策にも伝わっていたんじゃないかと思います。伯牙と鐘子期みたいに。 

周瑜がしゃべった記録って、本当に重要な時の発言しかない。
孫策みたいに冗談とかがない。
せいぜい蒋幹の時くらい。
軍事上の裁量権があって、記録に残さないのも彼の裁量によるものだと思います。情報統制、秘密主義なとこもあるとおもいます。
琴を弾く時は、こころがなぎの時で、香をたいて弾くのですよ。
そういう時間を共有していたと思うと、(*´Д`*)