策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

よちよち漢語 三十五 需要愛先生「思為双飛燕」

十五章 人之初 ひとの初めて

 孫策は次の日には周家から出発していった。それから長いこと、孫権はお兄ちゃんに会わなかった。ただ孫策から送ってくる手紙の中から、大体のことは知ることができた。孫策袁術の下でしばしば戦功を立て、袁術もみんなの前では褒めているけれど、口先だけで実の伴わないものだった。孫策はずっと本当の自分の抱負を実現できていなかった。父の元部下達を取り戻し、拠って立つ土地を得ることを。
 孫権のほうでは、これらの手紙の中のことは遥かに遠かった。舒城と寿春の間はそんなにも遠くないが、軍営と周家では雲泥の差があった。
 幼いころから戦争、忙しない生き方を見慣れていて、現在孫権は二つの世界がはなはだ離れていると感じられた。
 居心地の悪いいっときを過ぎて、孫権も落ち着いてきた。あの書房の外で聞いたことはもう思い出したくなかった。ただ周瑜にくっついて先生の四書五経の講義を聞いたり、練武場で周家の武術の先生について教わったりした。もともとは孫権は武術の練習は好きではなかった。けれど、あの日からまじめに練習した。そもそも、孫策が言った、身体が丈夫だから耐えられる、というのが孫権には深い印象を与えた。孫権は突然意識した。いまは周瑜は見たところお兄ちゃんの孫策よりも背が高く、さらに体型は少年の頃の繊細でほっそりとしていたころより丈夫になっている。
 あの日書房の外で聞いたお兄ちゃんの言った、周瑜はプライベートでは人を殴るのが好き、と言う言葉。自分の貧弱な身体に考えがいたり、孫権はちょっと悲しくなった。転ばぬ先の杖、災いは未然に防ぐもの。もし、将来周瑜お兄ちゃんとプライベートで自分もお付き合いするのなら、強くて健康な身体がなくてどうする?ぼくだって耐えてみせる。このような考えでもって、孫権は毎日剣術を練習して、以前より成長した。
 
 たちまち数ヶ月瞬く間に過ぎた。孫権はさっぱりと忘れてしまった。まるで昨日周家に来たばかりみたいで、すべてがまだ新鮮で面白く、日が経つのが早かった。
 しかし、一大事が発生した。孫権は言い知れぬ恐怖に襲われ、びくびくと一日を過ごした。
 事件はある普通の早朝に起こった。いつもと同じく孫権が身を起こして、洗顔、歯磨きに行こうとして、布団をめくろうとしたとき、手は突然空中で止まった。身体の下の敷き布団になんだかしめっぽい箇所があり、孫権は驚いて思わず叫び出しそうになった。
 もう十二歳なのに!おねしょを?手で撫でてみるとほんの少しの大きさのシミで、パンツにもあり、孫権は目を丸くし口も呆けてシミを見つめた。侍女が戸をノックしたのにも気づかなかった。幸いにもシミは大きくない。孫権は内心思った。
(湯飲み茶碗をひっくり返して、侍女にきれいに洗わせに持っていくよう命じればいいのだ)
 その事件はそれで終わった。
 しかし、三日後の早朝、孫権は布団にまたわからないシミができているのを発見する。何度も続いて、孫権はひどく恐ろしくなってしまった。
 自分はなんの不治の病にかかってしまったのだろうか?幼い頃を思い出せば、周囲には道半ばで夭折していった幼馴染みを見てきた。孫権は鳥肌を抑えられなかった。この病は夜間知らないうちに発生する。まったく不思議でならない。その上、起こった場所もまたなんとも他人に恥ずかしくて言えないのである。
 孫権は一時ぼうっとしていた。考えれば考えるほど気持ちが悪く、苛立ち、軽率に他人に言えない。数日間悲惨な状況で、食欲さえもなく、ついにはたちまちひとまわり痩せてしまった。
 周瑜はこの何日か外を駆けずり回っていた。屋敷に戻って静で空いた一日ができて、孫権の様子をちょっと見てみようと思い立った。
 しかし、見ると孫権は両眼が落ちくぼみ、顔の表情はひどく暗く、ぼーっと窓辺に座っていた。
 周瑜が部屋に入ってくると、目を向けてきた。
 やっと十二、三歳の頃である。小さな顔は今にも泣きそうで、目には悲しみと絶望が見え隠れしていた。
 周瑜はこれにはただ事ではないと驚いた。孫策が弟を自分に預けたのである。ここ数日気にする暇も無かったのだが、その間にいったい何がおこったのか?!
「仲謀、きみどうしたんだい?」
 周瑜はあわてて孫権の側に座り、優しく訊いた。
「なにも」
 孫権はぼーっとしていた目線を周瑜にぴたと止めて、何か言いたげだった。その後も周瑜がいろいろと尋ねたにも関わらず、孫権は歯を食いしばって絶対口を開かなかった。周瑜は何度も尋ねたけれど効果はなく、そのまま終わった。