策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

(術策)「有花堪折直須折」by潜規則之路先生34

「何夕」(特別な夜)

 彼ら二人が俯いて囁きあっていても、誰もなにも気にしなかった。
 それはその瞬間、人々が帷の入口から入ってきたその女子を振り返ってみていたからだった。

 彼女は二十歳前で、身のこなしはしなやかで、柔らかな薄絹を身にまとい髪には鮮やかな絹の毬の簪を挿していた。一歩歩くごとに雲の上を歩くようであった。
 彼女は容色は美しいが、顔にはまったく喜びの色はなかった。伏せた目には哀愁が浮かんでいた。

 彼女は袁術の側に座り、依然とし愁眉をややしかめ、幾分断りたい風情であった。
 袁術は何とも感じておらず、笑いながら彼女の耳に小声で何事かを囁いた。瞬間彼女の面には紅い霞が浮かび、頭は更に下を向いた。

 酒宴は深夜まで続き、その場には舞姫楽人がずらりと並び、音楽の音が纏わり付き、豪奢な楽しみが尽くされた。周瑜は酒の酔いに負けたとして、叔父さんもまた休むと、お先に下がりますと言った。
 彼は周尚が休むのを世話してから、天幕を出て、一人で水辺の林の間を歩いていた。まだかすかに大きな天幕の中から人の笑い声が聞こえてきた。彼は顔を仰のき、目を閉じ、深々と一息春の夜に充満する花や草の香気をまとった清らかな風を吸い込んだ。やっと胸にわだかまる濁りを吐き出した。

 再び目を開けると、夜空に三つ星があった。
 暖かくて強靱な身体が背後からぴったりと張り付いてきた。相手の頬もくっつき、やや熱かった。
 彼は下を向いた。水中に映る揺れる影を見た。
 孫策は彼の背によりかかり、顔を半分見せて、目は星より煌めいていた。

 周瑜は笑った。
「きみもこの姿勢がひどくやりにくいと思わない?」
 孫策はもったいぶってため息をついた。
「オレはちょっと酔った。天幕の中へ戻ろうぜ」

 帷の前には数名の兵士が守っており、兪河が前に立っていた。周瑜に向かって一礼した。
 孫策は言った。
「ここの者はオレの手の者だ。心配いらない」

 今回の上巳の踏青(ピクニック)は、軍事行動ではなかった。孫策はまた新しく袁術から褒美を貰っていた。帷の中には布団が積み上げられていた。中は狭いといえど、却って器物は揃っていた。机の上には筆と墨が用意してあり、一巻の白い絹が広げてあった。

 帷の中で静かに二人は肩を並べて座っていた。周瑜は小声で言った。
「いったいどうしたの?」
 孫策は彼の肩に寄りかかりながら、曖昧に呟いた。
「どうしてオレに必ずや何事かあるとわかる?」
 周瑜は言った。
「きみの呼吸がだんだんゆっくりに、だんだん長くなっている。心に緊張していることがあって、自分を無理やり抑えて、平静に戻そうとしている。別人は騙せても、わたしを騙せるとでも?」

 孫策は突然笑い出し、周瑜は少し温く湿った感触を首に感じた。くすぐたかった。
「おまえはあの女子を知っているか?」
 周瑜は頷いた。
「少し聞いた事がある。先の尚書郎の馮方の娘で、馮家は十常侍の乱の後南下して、一路苦労していた。今は揚州に避難している」
 周瑜孫策がくっついてくるのを躱して、訝しんだ。
「この女子の美貌が、きみの恩寵を奪って、きみは妬いているのかい?」

 孫策は笑って彼を叩いた。
「なにバカ言ってる」
 彼は口をつり上げ、目の底は暗かった。
「あれはオレ自ら袁公路に勧めたんだ」

 上元のあの一夜、孫策袁術に付き従って提灯を観賞していた。袁術は古い事をまた持ち出してきて、言った。
「策児は意中の令嬢がいるのか、袁叔叔が縁談をもちかけようか?」
 孫策は笑った。
「今寿春城には確かにひとり国色の美人がおりますね。わたしは欲しいとは思いません」
 袁術は驚きながら、自分が聞いたことのない話で、好奇心をもち、我慢できずに訊いた。
「なぜだ?」
 孫策は言った。
「この女子は人相が人とは異なっており、言うこともできないほど貴いのです」

 周瑜はため息をついた。
「きみのその一手はよいところの女子を虎狼の穴に送り込んだんじゃないのか」
 孫策は言った。
「馮家ももしその気がなければ、どうしてあの日にお嬢さんの顔をさらして提灯観賞の人の群れに紛れ込ませる?オレはきっかけを作ったに過ぎない、それが人情だよ」
 彼は話を変えた。
「このたび戻ってきてから数日中に、袁公路は楊弘に命じて吉日を選ばせ、オレに加冠の礼を行う予定だ」

 彼は机の前に行って、筆をとった。
「おまえは知っているか。オレの父が昔下邳にいたとき、我が家の兄弟数人に、字を決めていたことを」
 伯符、伯は長を示し、符は竹から。
 絹の上に墨をたっぷりつけて書いた。孫策は灯りのもと、しばし端然としていた。振り返り周瑜に言った。
「叔父上は遥かに遠い。舅父はまた袁術の部下、考えるに反対はしないだろう」

 周瑜は黙っていたが、心の中では幾分予想がついていた。
 孫策は彼の前で膝をつき、彼の袖の中の手をつかんだ。
「義弟は年はオレと一月しか離れていないが、思うにおまえの叔父君ももうすでに用意してあるんだろうな?」

 周瑜は立ち上がり、伯符の側に二字付け加えた。
 公瑾。

 孫策の表情は厳粛で、もう半分も酔いは残っていなかった。
「公瑾、おまえは今ここで、オレのために加冠の礼をしてくれるか」

(術策)「有花堪折直須折」by潜規則之路先生33

「修禊」(三月三日の水辺での邪気払い)

 春の水辺、大きな錦織の幕が張り巡らされていた。赤や緑の着物の女達が集まり、笑い声が絶えなかった。
 周瑜は壺で水を掬い、侍従のもつ銅盆に注いだ。またその中に蘭草(フジバカマ、香草)を浸した。その花はとても小さく暗紫色の花芯が水面に浮いてきて、あたかも彼の袖の色と模様に似ていた。

 彼の叔父と袁術はまだ相談していた。彼が来ると、袁術は笑った。
「甥御さんは久しく会わないうちに、玉樹のような立派な人物になられた」
 春の気候は暖かいといえど、周尚は病がまだ癒えず、しっかり着込んでいた。周瑜は自ら銅盆を捧げ持って、叔父に手を洗わせ、上巳の川の畔の禊をさせた。そして袁術に答えた。
「わたくしは叔父に対して長年養育の恩があります。その情は山の如く、返しきれません。左将軍はどうぞお笑いになってくださいませ」
 周尚は周瑜の肩をそっと触れると言った。
「周家の若いものの中で、瑜児は最も嘱望されているものです。これからはどうか公路兄にもよろしくお願い申し上げます」
 彼はあたりを見回した。
「ご令息は不在ですかな?」

 袁術は首を振った。
「あれは使えない」
 彼は立ち上がって高みへと数歩進んだ。遠くを望む。数名の侍衛が付き従い、遠からず囲んでいた。
 周尚はびっくりした。もともと袁術の背後にいた楊弘が微笑んだ。身を屈めて来て言う。
「袁公は孫郎をお待ちなのですよ」
 彼の声音は高からず、低からず、側に座っていた人々に聞こえて、みな小声で笑った。
 ある者が口を挟んだ。
「孫校尉はまだ着かないのか?袁公は寛大でいらっしゃるから生意気な小僧を咎め立てなさることはあるまい」
 楊弘は笑った。
「孫郎は数日前にやっと盧江から軍を率いて戻ってきたのだ。まさに大功がある。袁公は彼に対して至極寵愛をなされておる、前夜は酒宴をひらいてやった。またどうしてこんなささいなことで罰を与えることがあろう」

 周瑜は侍者に盆を片付けさせ、水辺へ向かった。
 数匹の駿馬が走ってきた。近づいてきて脚を緩める。まず現れた一人が暗紅色の狩りの出で立ちで肩は広く引き締まった腰をしていた。乗っていた駿馬は細長い耳をして脚が長く光る煤玉のように黒かった。
 水辺の草木は濃い緑をしていて、三月の風景は美しく、あたりには咲きたての花が広がり、陽光が小さな影を地上で飛び跳ねさせていた。林の間では鳥の声が音楽よりも軽やかな音色を奏でていた。
 周瑜は思った。初めて彼と出会った年みたいだと。
 春風が馬を乗りこなし、人を笑わせる桃の花のようで、とても絵になる光景だった。

 その人は樹に馬をくくりつけると、馬の笞でそっと柔らかな枝を払い、周瑜に向かって笑いかけた。
「周公子、お久しぶりですな」

 孫策は周りの者に言った。
「君たちは先に行って、袁公に報告してくれ。話したらわたしもすぐに行くから。わたしと周公子は話がある」
 彼は明らかに袁術が待っているのを知っていて、馬を降りて、周瑜と肩を並べて歩き始めた。

 黒い馬は彼の後ろで俯き大人しく落ち着いていた。
 周瑜は小声で聞いた。
「かまわないの?」
 孫策はただ笑った。突然腰を屈めて道端の蘭草を摘んだ。大声で話した。
「周公子、わたしはこういうことには通じていない、助けてちょっと見てくれないか。これは今日使うのに相応しいものか?」
 彼は周瑜の目の前に見せて、彼に近づいた。
「かまわない。オレは彼の話を聞くし、また彼の話を聞きすぎることもできない」
 周瑜は失笑した。
「きみはこの兵法を、よく学んでいるよ」

 彼ら二人はゆっくりと進んだ。孫策はときどき道端の花を摘んで、ついには袁術を一時間近く待たせた。やっと目の前に現れる。
 袁術孫策の手を引いた。
「何を懐かしんで、そんな長いこと話すことがあるのだ?」
 孫策は笑った。
「昔話というよりは、実のところ感謝を述べていました」
 彼は侍従を招いて言いつけた。
「水を持ってきてくれ」
 そして、周尚にも挨拶した。
「このたび盧江を落とせたのは、周氏の功績です。わたくしめのものではありません。当然お礼を申すべきかと」

 周尚は彼を助け起こした。
「孫校尉ご遠慮なさいますな。周家と袁家は代々付き合いがあります。助け合うように努力しないのは、恥ずかしいことです」
 袁術は手を振って、笑った。
「わしはよくわかっておる。余計なことは言う必要はない。もし周家が門を閉じて助けを拒んでいれば、陸康はまだ長々と生き延び、また時間がかかったろう。すでに劉勛を盧江太守に命じた。このたびは表面上では感謝を示すことはできないが、かならずや別の場面で考慮しよう」
 侍者は戻ってきて、禊の水を用意した。孫策は自ら袁術の前で、彼の袖を捲り上げた。やることは鄭重そのもので、一糸も乱れなかった。
 空の色はだんだん暗くなり、袁術は今夜はこの水辺で泊まると言った。人に命じて大きな天幕を用意し、皆の者と宴会をした。
 孫策周瑜のために酒を注ぎ、耳元に小声で笑いかけた。
「自分の獲物を得ていないのに、先に周家の分を確保するのを助けてやったぞ。この一回分、おまえはどうお礼をしてくれる?」 

(術策)「有花堪折直須折」by潜規則之路先生32

「上元」

 袁術は出かけるとき最も前後に従者を無数守り囲まれるのを好む。
 さらに刺客の事件からそれほど経っていなくて、警護の衛兵はまた一層厳しくなった。群臣と提灯を観賞するといっても身近な文武の腹心数人である。他の者は城頭で少し見物して、簡単な褒美を貰い直ぐに帰る。

 孫堅の元部下の数人はその他の人達とはぎりぎりで入れず、挨拶の言葉を交わし、早々に下がった。
 袁術孫策の袖を引っ張り、笑いながら言った。
「徳謀、わしは策児をそなたに託す。この度は盧江に征くのに、必ずや守って、また傷など負わせぬようにな」
 程普は頭を垂れてはいと言い、振り帰って城楼を下りた。韓当、黃蓋もみなその後に従った。

 三人は十数丈歩いて、やっと侍衛からの囲みから脱することができた。吐き出した息は白く夜の寒さがはっきりと見てとれた。
 韓当は憤って言った。
「袁公路の人となりはなんとまぁおごり高ぶってうんざりする。我らが小将軍の成長するのを見守ってきたのだぞ、どうして彼が託すなどと言える?」
 彼らが振り返った時、孫策は錦衣に玉冠、高い城頭で立っていた。背後には灯火が輝き天上の星や月の輝きを覆うようでもあった。
 黃蓋の性格は気性がまっすぐで、さらに怒っていた。
袁術は孫家の子どもを彼の養子と望んでさえいる。恩寵はかくの如く、実の子よりもしっかり取り囲んでいる」
 程普は小声で囁いた。
「公覆口をつつしめ。別の場所で改めて話そう」
 韓当が不思議そうに言った。
「どこへ行くって?」

 向かったのは孫策の屋敷で、意外な人が先に着いて彼らを待っていた。
 兪河は自ら門に出てきて、使用人達は皆すでに提灯見物に出かけたと言った。黃蓋は屋敷の広間にいた人物を見てびっくりした。
「君理なぜここにいる。もう戻ってきていたのか?」
 
 正月前に孫策が怪我をして、屋敷に戻った後、孫権はお兄ちゃんをおいてゆけず頑なに正月までぐずぐずしていた。やっと朱治が母の元へ送っていった。朱治はこのとき四十近く、跡継ぎがいなくて、孫策は自ら書状をしたため、厚く礼物を用意して、朱治が曲阿に戻ったときに姉の子を後継に迎えていた。

 黃蓋は尋ねた。
「旅程は順調だったか?曲阿の城中はどうだった?」
 皆の者が座ると、朱治は話し出した。
「曲阿は劉繇の手の中にあれども、損害はない、我らに難癖をつけることもない」
 程普はしばし沈黙した。
「劉繇は自ら正道を命じ、王室の後裔でもある。決して孤児や寡婦を痛めつけるようなことはないだろう。策児は前もって考えることは周到だ。幼い弟に烏程侯の位を継がせた。無用の名号とはいえ、畢竟朝廷に封じられた位だ。今呉氏と孫氏の軍が歴陽にみな撤退しても、孫家の女子どもは曲阿に留まって無事でいられる」
 朱治は頷いた。
「さらに呂子衡と門客数百人が守っている。劉繇も易々とは手出しできまい。わたしもまた百人近く連れてきた、思うに今のところは無事だ」
 黃蓋は言う。
「わしはわからん。すでに開戦しておるのに、なぜ早くに家族を督軍中郎将のもとに連れて来ないのか。劉繇がもし急に迫ってきたら、我らはどうするのだ?」

 門外から誰かが答えた。
「それはまさしく言い訳なんだ」
 孫策は門を開けて入り、手を振った。
「皆の者は我が父上の兄弟、わたしも叔叔と呼ぶ。どうしてわたしのような後輩に遠慮することがある、座ってくれ」
 兪河が酒を運んできた。孫策がまず杯を捧げた。
孫策はここにおります。まず各叔伯を敬して一杯」

 彼の声は明朗で、容貌は美しく、身にまとうのは袁術から贈られた裘だった。そのように手の中の酒器をこねて、口もとに笑みを浮かべた。まさによく見通した大胆な計算があった。
「いま叔父上、従兄はみな歴陽に陣を撤退させている。わたしには勿論理由がある。筋道立てて袁公路に派兵することを求めるのだ。わたし自らに兵を率いさせて、再び丹楊に割拠する」
 韓当が尋ねた。
「袁公路は盧江太守の位を許さないのですか?」
 孫策は一笑した。
「義公今日劉勛を見たか?袁術の返事は、何度どこに落ち着くものかわかるか?しかしながらわたしの本意は、もとから盧江にはない」
 彼は兪河を手招きした。
「食べるものがあったら、早く持ってきてくれ。薄いスープなんか体裁ばかりのものは許さんぞ、腹が減ってひどい。わたしが江都にいた頃、張子綱をまず訪ねたとき、程公は一緒に行ったな。当然我々が考える計策もよく知っていよう」

 人々の目は程普に集まった。彼の一字一句ゆっくりと語られるのを聞いていた。
「袁揚州よりまず兵を求め、丹楊の叔父と力を合わせて、各地を転戦し、呉会の地に割拠し、父の仇を報じ、朝廷の外藩となる」
 驚く者はなく、却って会心の笑みを見せていた。

 孫策朱治に微笑みかけた。
「君理お疲れさま。また息子さんを危険に晒すことになって申し訳ない。これからは権弟と一緒に張子布に学ばせる」
 朱治はお礼を言った。杯の酒を飲み干した。
「お心遣いには感謝いたします。中郎将の書状も持って帰りました。意思は変わりませぬ」
 孫策は頷いた。また程普らに振り向いた。
「程公はこのたびわたしと盧江に向かう。我らは三月以内に城を攻め落とす。その他の我が父の元部下はおのおの気持ちはどうなのか、義公と公覆に細心の注意をよろしくお願いしたい」

 彼は灯りの下で、衣服は華麗で、姿勢は余裕があり、目を細めた姿は錦織に刺繍された猛虎のようだった。
「江東、オレは長いこと江東に帰っていない」

(術策)「有花堪折直須折」by潜規則之路先生31

「裳裳」(衣服)

 孫策が内室に入ったとき、袁術うたた寝から醒めておらず、しかし侍女達は察しがよく、彼を阻んだりはしなかった。
 彼は静かに寝台の前に立った。袁術のまぶたがぴくぴくと動いていて安穏と寝ているようではなかった。

 彼は袖の中であの銀の刀をつかんでいた。
 これを憎み、その死を願ったのに、却って自分の手でこの人の命を助けた。
 ことここに到っては、どうしてこの功を尽く捨て去ることができようか。

 つやつやと光る刀は彼の手の中で見ると、刃は鋭く薄く、暗い部屋の中、灯火の側、見ていると決してあの当時のまばゆいきらめきほどではない。
 銀の刀を袁術の前でキラリと反射させてみた。夢の中から突然驚いて目を覚まして、叫んだ。
「策児?」
 孫策は返事をして寝台の側に座った。
 袁術は起き上がり座った。ため息をつく。
「そなたの傷をみせてみよ」

 傷口は彼の左胸、鎖骨から指半分下にあった。傷口はくっついたが、桃色の皮肉が巻き上がり、まだかさぶたとなっていない。
 袁術は目に嘆き惜しむ色をいっぱいに浮かべて、また問うた。
「まだ完治していないのに、なぜ急いで盧江に戻る必要がある?」
 孫策は口の端をつり上げた。
陶謙がすでに死に、わたしはもちろん陸康が生きているうちに急いでいきたいのです。盧江を攻め落とす、それでこそ心中の心残りも少なくなりましょう」
 
 袁術は彼の心臓の上の皮膚を撫でていた。思わず感嘆する。
「策児、知っておるか、わたしはまさにあの日の情景を夢に見たのだぞ?」
 孫策ははいと応じて、彼が続けるのを待った。


 袁術はすでに長年自ら敵に向かう戦陣にのぞんでいなかった。もし、孫策が瞬間彼を押し退けていなかったら、彼はきっとあの刀を避けきれていなかっただろう。
 彼は石畳に躓き、全身ぶつけて痛くてたまらず、目の前には金星が舞って、血しぶきが散っていた。

 あの女子は激しく叫んでいて、それで袁術は彼女が誰か思い出した。
 鄭氏、自称鄭旦の末裔の少女で、呉郡のもので、自尊心が高く、舞をよくし、剣舞もする。
 袁術剣舞を好まなかったので、彼女に腕前を披露させたことはなかった。しかし、このとき、彼と孫策には身に何もつけておらず、鄭氏の手には刀があり、ひどく危険ではないのか?
 この袁術は生まれてから以来、初めて死期を最も近く感じた瞬間だった。

 彼の頭の中はわんわんと鳴り響き、手脚は身じろぎもできず、口も舌も固まって、話すことも、人を呼ぶこともできない。
 彼はただ目を見開き呆気にとられたまま、孫策が相手の腕をつかんで、活き活きと背後に捻りあげ、手刀で鄭氏を地面に気絶させる様を見ているしかなかった。紅い鮮血が彼の胸から流れてきて、湿った地面に滲んだ。
 孫策は俯いて彼を見た。目の色には翠色が浮かんでいた。
「お願いします。袁叔、侍衛と医師を呼んで下さい」


 袁術は言う。
「あの二方の名医は元々は馬翁叔のために呼んだのだ。惜しいかな結局彼の病気は重く、回復の見込みはない。正月は越せまい。この城に留まっているのは、彼らのおかげだ」
 孫策は笑って襟を整えた。
「袁叔は地位が貴く、すでに自ら戦陣に望むことも久しくなかったでしょう。我らは軍人です。こんな小さな傷を負ったとしても恐れることはありません」
 袁術は身を起こした。卓上から一巻の文書を取り上げた。
「わたしはすでに程徳謀に彼が一千の兵馬を率いるのを許した。そなたと一緒に盧江に向かう。彼はそなたの父上の元部下。麾下にはまた精鋭、熟練した老兵が多くおり、ひとたび行けば必ずそなたが早々に城を落とす助けとなろう。速やかに戻ってくるがよい」
 孫策が手を伸ばすと、袁術はまた手を引っ込めた。
「今はまだ急ぐでない」

 袁術は語る。
「今日は上元、わたしは城内に提灯を架け、色糸を飾ることを命じた。夜には文臣武将を率いて、城楼に上がり観賞する。そなたは我が身辺についておれ、一緒に行こう」
 彼は手を打つと、すぐに何名かの侍女が次々と入ってきて、盆を運び、そしてすぐさま下がっていった。

 卓上の金の花瓶には数枝の金鐘梅が生けてあった。部屋の暖かさで香が馥郁と漂う。
 裳裳者華、芸其黄矣。(みごとに咲き誇る花の色は黄色)

 袁術は笑って言った。
「策児はまだ覚えているかな、昔我が家に初めて来たとき、袁叔叔がそなたに贈り物をした。一揃いの衣裳を」
 今のこの一揃えはさらに精彩で、さらに華麗。まさに袁術の好みで、孫策がそのような格好をしていることは極少ない 。
 我覯之子、維其有章矣。(我が子たる臣下を見れば、見事に規範に則っている)

 彼は自ら孫策の着替えをした。帯を締めていると、動作の間、息がお互いに聞こえた。耳と鬂の髪が擦れ合った。
 その後のことを想像した。孫策の手を引き、城楼に登り、景色を眺める、さらに人から見られる。洋洋と得意な気分になり、酔い痴れた。
維其有章矣、是以有慶矣。(規範に則った彼らを見て、多くの喜びを身に受ける)

(術策)「有花堪折直須折」by潜規則之路先生30

「重帘」(重ねた帳)

 室内には重々しく安神香のの香が立ちこめていた。孫権はまぶたが重く、何度か誰かが呼ぶ声がしたが、どこかわからぬ深い井戸から伝わるようで、遠くもなく近くもなく曖昧模糊としていた。それからしっかりとした手が彼の肩に触れて、寝台から助け起こした。それでやっと無理やり目が開いた。

 昨夜彼を案内した侍者で、彼が目が醒めたのを見ると、すぐに手振りで示した。自分は片方に下がり、侍女達が孫権の洗面とうがいを手伝うのを見ていた。また誰かが窓の格子を開けた。寒風と室内の暖かい空気がぶつかり、しーしーと音をたてた。

 孫権の脳は少しずつ少しずつ醒めてきた。簡単に髪を解いて結い、また食べものも少し口にした。そこでやっと袁術に会いに行くのだと告げられた。お兄ちゃんもそこにいると。
 彼は人に連れられて庭を通り過ぎた。気温は寒く冷たかったが、太陽の光りは明るく、池には蓮の枯れ葉が残っていた。松柏の枝の緑もしんしんとした冷たさを感じさせた。上に架けられている絹の飾り紐は見たところ夜間のきらびやかさほどではなかった。昨日の夜いったいどの道を歩いたのかわからなかった。
 いくつもの窓を通り過ぎたあとに、紋様が華美な衣裳がちらりと見えて、離れがたかった。
 侍者は身を屈めて、軽く咳払いをした。
「左将軍の中庭に入っております、どうか公子にはあちこちご覧になりませぬように」

 孫権は顔をちょっと赤くした。小声で返事をする。俯いてひたすら歩き精神を集中した。
 しかし、また疑惑が起きた、すでに孫策がいるのに中庭で会う必要があるのだろうか。
 彼はいっとき集中しすぎて、人にぶつかりそうになった。意識を戻すと侍者はちょうど脚を止めた。

 ある女子が出迎えた。侍者は孫権に向かって言った。
「ここは左将軍の内室です。わたくしめは入れません。孫二公子はこのお嬢さんについて行って下さい。くれぐれも失礼のないように、人を煩わさないように」
 孫権は訳もわからず頷いた。女子についていく。

 彼が一歩踏み入れると、全く知らない世界に入ったと感じた。
 内室だというが、部屋は深く広い、一層一層紅梅色の薄い帳が張り巡らされてあり、外から見ると室内に靄がかっているように見えた。
 この靄は暖かな馥郁たる香気を帯びていた。孫権は少し前にこの香気で目覚めたが、この室内で焚かれている香はさらに上物で純粋だった。

 だんだん中に入っていくと、太陽の光りは暗くなっていき、灯火が必要になって、結局は灯りが不足した。
 最後の一幕をめくりあげると、数人が振り返った。一人は寝台のあたりに座る袁術だった。もう一方に二人跪いていたが、知らない人だった。
 孫権のお兄ちゃんは錦の帷の中で眠っており、顔色は蒼白で様子は落ち着いていて、身じろぎもしなかった。
 孫権は頭の中がわんわんと鳴っているのを感じた。恐れが湧き上がり、室内の纏綿とした香気が彼の胸の内に巨大な蛇のようにわだかまり、息すら苦しく感じた。

 跪いていた一人が彼の目の前までやって来た、小声で言う。
「小公子、あなたのお兄さんは無事です。わたくしめが調合した薬で、安眠させているだけです」
 孫権は彼の目を見つめると、一気にゆるゆると落ち着いてきた。

 袁術は立ち上がり、そっと孫権の肩に触れた。彼と医者に出て行くように示した。二つの幕のそとに出て行くと、やっと口を開いた。
「昨夜よからぬ者が潜伏していて、わしを刺そうと狙ったのだが、そなたのお兄ちゃんがまことに忠義で守ってくれ、傷を負ったのだ。あの二人は江淮でも最も有名な医者だ、彼らがいれば、当然無事だ」
 身辺のその人は頷いた。
「あの女は一撃も成功させることもできず、力も足りなかった。反対に孫校尉に捕らえられるところとなり、大ごとにはならなかった。血はいささか流れたが、皮肉の外傷のみで、筋骨には及んでない。彼は基礎体力がとても優れている。安心休息しているだけで、気血の巡りもよくなるだろう」

 孫権は不思議に思った。
「女子?うちのお兄ちゃんは武芸もとても優れています、なのに一人の女刺客に傷をつけられたの?」
 
 その医者は俯いた。
「もし平時であれば、当然そんなことはないだろう。ただ校尉は先に急いで寿春に戻られ、連夜駈け続け、寒さが身に染みていた。それから……いささかお疲れであったし。あの女子は少しは武芸を嗜み、突然騒動を起こしたが、校尉は混乱中に将軍を守って刀を阻み、またみずから女刺客を手捕りにした。みな忠心からであり、焦ったのだろう」

 孫権は我慢できずにあたりをみまわした。袁術が言う。
「さっき薬を塗るときに、そなたの兄が会いたいと申しておったので、そなたを呼びに人を遣わしたのだ。しかし、途中で煎じ薬を飲み、ここでは安神香を焚いており、結局我慢できずに眠ってしまった。いまは邪魔しないほうがよかろう、でなければ……」

 もう一人の医者が帷から出てきた。微笑んで言う。
「将軍、孫二公子、兄弟を思う心は繋がっていますな。校尉が目覚めました。二公子お入り下さい。ちょうどよい、我々も傷口の薬を取り替えよう」

 孫策は寝台に寄りかかっていた、孫権が入ってくるのを見て、彼に向かって笑った。孫権も思わず笑った。お兄ちゃんの側に座る。二人の医者が彼の里衣の肩を解くと、包帯に滲んだ紅いあとが見えた。我慢できずに無事な方の手を握った。
 孫権は傷口を見ることができなくて、目を天井に吊された明珠の柔らかな明るい光を見ていた。彼はそれを見たことがあったが、どこで見たのかは思い出せなかった。

 孫策は弟の手を握っていたが、目は袁術を見ていた。
「袁叔、わたしのお願いを聞いてくれることを、忘れないで下さいね」

 袁術は優しい声で答えた。
「それはもちろん。かまわずどんどん申してみよ。そなた何が欲しい。わたしはすべてあげよう」

(術策)「有花堪折直須折」by潜規則之路先生29

「銀刀」

 袁術は水中で指を洗い流し、五指をまた広げた。透明な魚たちが指の間を泳いでいた。軽く声を上げて笑う。
「策児も年を越したら二十歳だ、喪も明ける。わたしが叔父となって自ら加冠と字をつけてやろう、また容貌の優れたお嬢さんを探して、結婚させよう。そなたもわかったろう、なぜ正月の前に寿春に戻らなければならなかったことが?」

 孫策の呼吸はだんだんと静かになりつつあった。声音は低く掠れていた。
「袁叔どうぞ教えて下さい」

 袁術は指先で彼の肩のひきしまった滑らかな皮膚をなぞった。それから手やひじ、硬く痩せた筋肉を撫で、とても軽い触れかただったが、孫策の腕には痙攣を引き起こした。
「我が家は四世三公、民が帰すところとなり、すでに、漢の侯に封じられ将を拝しておる。まさに臣下を治めて天地を祭るのに相応しい。来たるべき日、わたしはそなたを義理の息子とする礼を行い、こうすれば、あれこれいうひともいなくなるだろう」

 孫策はしばらく黙っていた。
「袁叔は本当にわたしを養子にしたいのですか。それも天下の人に明らかに告げてまで?」
 袁術は彼の顎を持ち上げた。
「そなたはよくよくわたしの言うことを聞いておればよい。天下の富貴栄華、何でも袁叔があげられないものはないだろう?」
 孫策は息を吸った。
「わたしは栄華を求めません。ただ二弟を家に帰すことが望みです。正月の七日までに戻れば、家の母に長寿の山椒の酒を捧げることができます。わたしは長子ですが、常に側にいられません、ですが、こうすれば安心できます」
 窓の外はすでに丑の刻であった。袁術は彼の腰を抱きしめ、ぴったりとさらに張り付いた。
「それならば、そなたはもう袁叔を長く苦しく待たせるなよ」

 浴槽の石畳には座布団があった。防水のため上質の牛皮に包まれていた。その上には細かな水滴がついており、裸の皮膚が乗ったとき、かすかに冷たかった。
 自分の体の下の身体は暖かく、また長くお湯に浸かっていて、漆黒の髪も鮮やかな唇も、長く濃い睫毛も伏せていて、いまだ躾けられていない。

 彼は長い間孫策に会っていなかった、このときは飢えた人の前に積み上げられた山海の珍味と同様で、心中苦しさが止まず、焦って口にした。しかし、一方で美食の道を熟知しているものとして、一口で飲み込むのは、つまらなすぎた。

 彼は浴槽の縁の金の酒器を見て、手にすると中身はまだ残っていたが、すでに冷えていた。
 酒が一条の流線となり、赤裸々な肌の上を流れ落ち、胸と硬い腹の上を通り、下へ滴った。

 

 部屋の中の喘ぎ声がついに静かになり、孫策は彼の腕の中で、物憂げに薄目を開いていた。なんの気力も湧かない様子だった。

 袁術は彼の肩を撫でた。
「何か食べて、休むか?」

 孫策の答えを待たずに、手を打った。
侍女が入ってきて、入口に控える。頭は上げずに。
 袁術は言いつけた。
「鹿肉を持って参れ、焼いたばかりの、柔らかいものだ。酒も持ってこい」
 袁術はしばし考えて、呼び戻した。
「よい。この時間だ、酒は要らぬ。氷室で冷やした葡萄を持って参れ」

 しばらくして運ばれてきた。
 先ほどの侍女が椅子の前に跪き、鹿肉を均等に薄く切り、その上に磨りつぶした調味料を振りかけた。
 鹿肉はやはり柔らかく、香ばしい、冷やした葡萄は甘く潤う。
 彼は剥いた葡萄を孫策の口もとに運んで、笑った。
「わたしに奉仕させるのは、そなた一人くらいのものだ」

 孫策は気にかけることもなかったが、袁術も怒りもしなかった。頭を下げて彼の耳元に近づけた。
「そなた達兄弟は暫く会っていない。数日過ごして正月を迎えたら、わたしがすぐにしっかり守って曲阿に送ろう。陸康のじじいは重病でもういくらも持たないだろう。いまある包囲で十分足りる。そなたも気にかける必要はない。上元を過ぎてから、盧江へ戻れば良かろう」

 孫策がついに振り返って彼を見つめたとき、目の内に流れる閃光が映った。
 袁術は突然振り向くと、ほっそりとした白い手が鋭い銀刀をつかんで彼の胸元目がけて、まさに命を狙っていた。

(術策)「有花堪折直須折」by潜規則之路先生28

 「拝月」

 袁術は濁った熱を吐き出し、ひとしきり孫策の顔に触れていた。再び室内の水蒸気がもうもうとたちこめる。
 彼は孫策の乱れた髪の一条を捻った。柔らかで黒々とした湿った髪からは水滴が零れ落ち、指に沿って流れ落ちる。
「あしたには朝雲となり、暮れには雨となる」
 彼はため息をついていたが、口ぶりは軽く話題を変えた。
「そなたの父が亡くなって数年、そなたも家にいることが少なく、弟達が恋しいだろう」
 彼はまた笑って言った。
「世間の人はそなたの二弟が生まれつき異相で、青い目だというが、却ってそなたが怒って、気持ちが昂ったときには、瞳の色が少し翠色を帯びることを知らない。そなたの家の祖先には胡人の血統があるのではないか?」

 孫策の眼は暗く、瞳は逆に輝いて、暗い火が飛び跳ねているようだった。
「わたしを拘束するために、袁叔は我が二弟を寿春に迎えましたが、もうわたしが寿春に戻ったからには、彼を曲阿に送り返して下さい。もし早ければ、家で年越しして、母を心配させることもありません」

 袁術は語る。
「おぉ、彼は寿春にいて、わたしは半分も悪い待遇をしていないぞ。今夜も周到にもてなしている」
 彼はつかまれている五指がやや力が抜け、そしてまたすぐにしっかりと握られるのを感じた。
 孫策の瞳の中の翠色の火はさらに盛んになり、唇は冷ややかにしっかりと閉じられた。
 袁術はまたため息をついた。
「わたしはそなたが生まれつき非常に力が強いとしっておる。わたしの手は痛くなってきた。そなたが放さなければ、わたしは声を出して、外のものにそなたの弟を連れて来させるぞ、そのときは……」
 孫策の顔は憤怒で赤みが上った。
 彼はついに手を離した。


 孫権は茫然としばらく立ちつくしていた。突然足音が向こうから近づいてきた。金石がぶつかる音が混じっていた。多くを考えずに、すぐに隠れ場所を探した。急いで門の影の中に入る。一隊の武装した兵士が巡視に回ってきた。彼は暗闇にいて、身動きしようとしなかった。
 すぐにその部隊は遠くへ去り、孫権は立ち上がって、ほっと一息ついた。
 背後から柔らかな声が問いかけた。
「あなたは誰?どうしてここに来たの?」
 孫権はびっくりして飛び上がりそうになった。突然振り向いた。

 彼と同じくらいの年の女の子が、銀灰色の縁飾りのある上着を着て梅の木の下で蹲っていた。彼女の目の前には石の机が有り、机の上には一つの陶器のうつわがあった。
 その少女は彼を見つめていたが、突然驚きの色が顔に表れた。
「まぁ、あなたでしたの。あなたは孫校尉の……」
 孫権も訝しんだ。
「あなたはぼくを知っているの?」

 彼女は笑った。月光の下で見ると、清清しく可愛らしい。
「わたしが以前に太傅のお屋敷に薬をお届けしたとき、あなたがちょうど訪ねてきたの。男女のお客が相まみえるのはよろしくないから、太傅がわたしを屏風の後ろに隠したの。だからわたしはあなたを知っていて。あなたはわたしをしらないのよ」
 孫権は数歩近寄って、器の中の清水を見て、思わず好奇心を起こした。
「あなたはこの屋敷の侍女?この時間にここで何をしているの?」

 彼女はうっすらと頬を赤らめた。
「とくに何も。でも拝月の礼をしていただけよ」
 孫権はおぉと声をあげた。わかったように。董卓が討たれてより、女傑貂蟬の麗しい名は天下にあまねく広がった。女子の間では拝月の礼というのが盛んに流行になった。清らかな月夜に簡単なお供えをして、美貌と婚姻の縁を願うのだ。

 彼女は立ち上がろうとした。長いこと跪いていたようで、体が傾き、頭の歩揺に梅の枝がひっかかった。
 孫権は多くを考えずに、前に進み、彼女の髪と肩を守った。枝から固まった霜が彼の袖にパラリと落ち、袖から地に落ちた。
 孫権は意識して、自分が失礼なことをしたと感じた。また庭の外から人の声がした。彼女は孫権を押しやって、彼女の後ろの部屋を指し示した。隠れるように示して、来た人には自分が対応すると。

 月は明るく、彼ははっきりと見ることができた。まさしく彼に道を教えてくれたあの女であった。
「婧お嬢様この時間にまだお休みではないのですか?ここでしらない男の子をご覧になりませんでしたか?」
 彼女たちは小声で話していた。袁婧は突然声を大きくすると、冷たく言い放った。
「ないわ。早く別の所を探したら?もし父上が戻ってきて、そのひとが見つからなかったら、罪となるのでは?」
 その女は唯々諾々としてすぐに小さな庭から下がっていった。

 袁婧は上着をきつく合わせて、振り向いたとき、孫権はすでに側に立っていた。
「あなたは袁家のお嬢様でしたか」
 このとき二人は肩を並べて立っていた。年頃は同じくらいの少年少女だが、袁婧の方が少しだけ背が高かった。孫権は頭を上げて彼女を見た。
「袁お嬢様、あなたならおうちの庭の道筋をご存知でしょう」
 袁婧はため息をついた。
「あなたが抜け出してきたのは、孫校尉を探したかったからなのね?」
 孫権は頷いた。
「悔しいことに迷いました。でも袁お嬢様がぼくを助けてくれたら、きっと探し出せます。左将軍を探し出せたらいいのです。彼は仰いました。ぼくのお兄ちゃんと相談事があると」

 袁婧の顔色はやや変わり、俯いた。
 彼女はしばし思い悩んで、やっと口を開いた。
「屋敷の中は部屋がたくさんあるわ。わたしも父上がどこにいらっしゃるのかはわからないわ。わたしが元の部屋に案内します。安心してお兄さんが戻ってくるのを待ったらいいわ」

 彼女が前を進み、孫権は彼女の袖を引っ張った。彼女は身軽で体からは淡く梅の香が漂った。知らないうちに灯りの下へ着いていた。
 袁婧は手を抜き出すと、彼にお辞儀した。
「送るのはここまでです。孫二公子お元気で。後日孫校尉にもどうか……お元気でと」
 孫権も一礼した。鄭重に告げる。
「ありがとう袁お嬢様。あなた方袁氏の恩に、孫家は必ず報います」



「あなた方袁氏の恩義には、孫家は必ず報います」
 孫策の目の中の光りは、燃え上がったあと、だんだん薄暗くなっていった。
 袁術は彼が最後に自分の手の下でかすかにもがくのを感じると、首を仰け反らせ、両眼を閉じた。

 朝な夕な陽台の上にあり。
 ついに自分の手の中に戻ってきた。もう離すものか。