策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

推しのグッズが欲しい…。

八月ですね。早いものです。

絶賛夏バテ中です。
運動して循環をよくしたり、梅精舐めたり、サプリメントで頑張ってはいますが、湿気にやられています。 

そんな弱った体と心になにか潤いが欲しい…。

推しのグッズないかしら?
(先日策瑜の可愛いオリジナルチャームをゲットしました)
 
去年の大三国志展…無双コーナーにすら策瑜も孫権もいなかったよ(T-T)逢えなかった。

それじゃあ自分でイメージグッズにして愉しむか。
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シャンプージプシー?です。
香りと洗い心地優先で普段は柑橘系のものを選んでいますが、竹とアロエ、ミントのシャンプーに挑戦。
なぜ、竹?
孫策は策も符も竹かんむりですよ。
だから、竹のイメージ。
青いさっぱりとした匂いと洗い上がりですね。夏向きかな?

そして、コレ。
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エリザベスアーデンのグリーンティーのバンブーです。これも竹。
もとのグリーンティーは甘味の強めな爽やかな香りです。
以前グリーンティーロータスを使っていて、それはみずっぽい?朝露のような優しい香りですきでした。
このバンブーはシャープですね。個性的です。
やっぱり青い匂い。少年から青年になる頃のイメージ。と勝手に思いました。

そして、これも。
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竹枕です。首が短いので高さがあまりあってないような…?
ときどき使います。涼しい。
これも竹。

じゃあ周瑜のイメージは?と言われると難しい。
北方三国志周瑜だったら牡丹かな。大輪の真紅の牡丹!
ほかだと、もうちょっと控えめなイメージ。白の芍薬

香りだと優しめの白檀かな。個人的に。
線香の焚く前の香り。鳩居堂とか松栄堂の甘さ控えめの上品なタイプ。
自分で持ってる香水だと武蔵野ワークスのサンダルウッドがあるのですが、これはきっちりとお堅い感じがして未亡人後の周瑜のイメージですね。

また、同人小説で緑豆湯を興奮して鼻血を出した孫権にすすめるシーンがあったので、一度食べてみたいですね。
緑の豆の薄皮を剥く手の込んだスープ?デザートらしいのですが。

なんか、気分転換して元気がほしいです。
(現実逃避)

四重渓温泉の想い出。

台湾南部に四重渓温泉というところがあります。
ガイドブックには四大温泉の一つと書いていますが、ホントかな?
戦前、日本の皇族が新婚旅行に訪れた由緒があるところだそうです。
いたって鄙びた小さな温泉です。泉質は薄く濁ったアルカリ温泉で、とてもいいです。

その時見た台湾のガイドブックで、他の温泉は若者がキャピキャピしてるのに対して、四重渓温泉の写真だけおばあちゃんたちが、がっはっはと笑っていたんですよ。
当時、非常に疲れていたわたしは「ここに行ったら楽しいかも…」と思い、実際に行ってみることにしたのでした。(ガンダーラを探しに行ったんだよ、きっと)

高雄、墾丁(イケイケビーチな観光地)に各1泊してからバスで移動。
高雄高鉄の左営駅から墾丁までは墾丁快線他、いろいろバスがあります。停まりたいところに乗れるように要確認です。
快線でなくても、各停でもバスは海岸線爆走するので早さは気にしない。車中で飲んだ台湾ビール(プレミアム)が旨かった。ビール党じゃないのに旨いのはとくに日差しが暑いから。
墾丁から恒春(ここのバス停は行李房、荷物預かり所があるので楽)というところでちょっと観光してお昼を食べ、お酒屋さんでワインを購入。(温泉まちには酒屋はセブンイレブンしか無さそう?)
八百屋さんでライチも買う。ライチ値段書いてなかったんだよな…疑惑のライチ。でも、終わりの季節らしくそこしか売っているのをみつけられなかった。お菓子屋で地元名物のシガーみたいなロール型のサクサククッキー?(無残に割れた💔)やパンも買ったり。

恒春からは車城へバス。鈍行、普通のバス。
バスターミナルで待って座っている間、ずっとじいちゃんが話しかけてくるが、外国人…結婚…ベイビー…隣の娘が…。ごめん、じいちゃん、わたしのリスニングでは理解は無理だった。

車城は道教信仰のお宮があるらしいのだが、ワインと車城で買い足したバナナで重くて動けず。
台湾バナナはねっとりしてうまい。懐かしい。

六角六冷飲というドリンクスタンドでタクシー(白タク、白タクだから普通の車と見分けつかないよ💧)を呼んで貰う。わたしのときは200元。
白タクでいよいよ、四重渓温泉の清泉というホテルへ。清泉はもとは山口旅館という日本旅館だったのを、割とレトロな雰囲気を活かしていまでも日本風をテーマに営業してます。

実は他のやや安くて、農業が本業という民宿?にメールしてみたところナシの礫。(一応メールは留学生に添削してもらった)ライチ狩したかったー。
少々お高い清泉でもやや安い?旧館のほうの和室風を選んでみました。
新館だと、昼間は日帰り入浴で出入り激しいかな?と思ったんで。昼間お昼寝したかった。
ホテルのお姉さんによると、その時訪ねた六月は忙しくないって。
秋が温泉シーズンみたい。暑いもんね。

温泉の内風呂に入っているうちに、テレビの配線のあたりからありんこが…パンが一個やられた(笑)
なぜか隣のチョコレートは無傷…。
添加物を見分けているのかしら?
和室風の部屋で8畳間あるかな?お風呂はよかったです。内風呂で満足して外風呂(一応水着用意しましたが)結局入らず。暑かったし。
お風呂入って、夕飯は外でカエルの甘辛い炒め物を食べてみました。骨が多くて可食部分が少ない。これは養殖してもみんな食べにくいかも。
セブンイレブンがまちの中心でほかには数軒ホテル、飲食店があり、いずれもお高めです。(一番安い飲食店は休みだった…)
2泊して、翌日はお風呂はいったりテレビ見たり、外にぶらつきに行った(暑くて参った)。
窓ガラスが全部割れた廃墟のホテルがあって、廃墟マニアにはたまらないかも。足湯のところで、日本風の鳥居や仏像を見たり、セブンイレブンでアイス買ったり。
帰ってまたワイン飲んでテレビ見たり、お風呂はいったりをダラダラしてました。
大山羊肉爐という有名なお店で羊のホルモンとキュウリの和え物(涼拌羊肚)と酒漬けで凍った鶏(醉鶏)を頂いて残ったので、お持ち帰りして自分の部屋で肴にして飲みました。涼拌羊肚はコリコリしてイカみたいな感じ、臭みがない。お酒が進みました。

清泉は朝ごはんもよかったです。あっさり。湯治に来てるって気分。
帰りはタクシーをホテルで呼んで貰って車城まで。この時は150元。バス停を教えてくれる丁寧なドライバーさん。しかし、車はベコベコで道中心配だったよ…。車城農會(農協)で名物の蜂蜜茶を買いました。袁術も飲みたい蜂蜜茶?
車城から高雄左営駅まで蜂蜜茶飲みながら、健全にノンアルコールで戻りました。

四重渓温泉の何がよかったかというと、温泉の泉質ですね。しばらくツルツル肌でした。
硫黄の匂いも薄く、気持ちのいいお湯です。
そして、何もないところ。ぼんやりできる。
でも、最低限はあるところ。


そして、なぜいい想い出になっているかというと、ぼやーっとテレビを見ていたら「軍師連盟」をちょうどやっていたんですね。
一部と二部両方。それをじーっと見ちゃったんですよ。
第二部なんか、曹叡の問題の女装シーン(母が恋しい可哀想なところでもある)で度肝を抜かれました。曹丕は第一部では鞭で嬲られっ放しだし…。
ワイン飲んだくれて、ライチ剥きながら司馬懿さん家のホームドラマに見入ってました。
あと歌謡対決ショーを見てたかな。

高雄のホテルで続き見よう!と思ったら、高雄で泊まったホテルは、そのチャンネルと契約してなかった(T-T)

軍師連盟の本を読みながら、なんとなく四重渓温泉の楽しかったことを思い出した訳です。

お子さま連れ、アクティビティ希望の方には墾丁の方が楽しいでしょう。
疲れてぼんやりしたい方には四重渓温泉♨いいかも?

金粟柱ってなんだろう?

臨時 一日一策瑜

金粟柱ってなんだろう?

「听箏」という詩があります。
作者は唐の詩人李端さん。

「听箏」

鳴箏金粟柱
素手玉房前
欲得周郎顧
時時誤拂弦

「箏を聴く」

箏を弾く金粟柱
白い手がお部屋の前で
周郎の顧みるを得ようとして
時々わざと誤って弦を鳴らす

テキトー訳です。
金粟というのは金と穀物、または菊の花を意味するそうです。
柱は箏の音をチューニングする弦の張り方を変える部品です。木製、象牙などあるようです。
菊の装飾があるのかな?
金粟柱で箏の名器という説もみました。

十三弦だそうです。
楽器で琴、箏は龍に相当し、箜篌鳳凰に相当するそうです。
周瑜の娘に箜篌を与えた周女墳のエピソードを思い出しました。
周瑜魯粛ほど、「漢王朝はあきらめましょう!」とは立場上言えなかったのですが、孫権を君主として独立させようとしていたのは、その魯粛慰留の際の説得で伺えます。
この箜篌も娘の将来の鳳凰(皇后のシンボル)を狙っていたかな?
いや、ただの音楽好きからか(笑)

唐の時代でも周郎顧は通じたのが面白いですね。

ドラマでも、皇帝が音の間違いを指摘すると、「陛下は周郎のごとき耳をお持ちですのね❤」
てなシーンがありました。ドラマのタイトル忘れちゃった。
周瑜と言ったら耳がいい!というのが浸透しているんでしょうな。

真夏の怪異、ゾンビ夏侯淵…。

ちまちまと『軍師連盟』二巻目読んでいます。
曹操が亡くなり、いろいろあって曹丕の代になりました。

曹丕がいよいよ禅譲、即位という時期、曹氏一族、夏侯氏一族はこれまでの功労が報われて王侯になれるだろうと期待をしていました。
また、曹丕への態度も一族の若者くらいの態度で、主に対するものではありませんでした。
苦々しく思う曹丕
そこに、陳群と司馬懿が新政の計画を上奏し…。

てな、ところまで読み進めております。

で、怖いの。
夏侯淵がまだ生きてるの。

呉の民でも知ってるわよ。
定軍山の戦いぐらいで亡くなっているはずでしょう??
曹操より先に亡くなってるの。
ちゃんと、曹操が復興した洛陽で、これまで亡くなった息子や典韋、曹安民、関羽らと共に夏侯淵も供養の対象になっていたのに…。

単純なミスなんだろうけど、なんか曹氏一族、夏侯一族の得体の知れ無さがあって怖い。

新三国のドラマでも、建業をずっと建康にされてて、同人小説でもそのまま建康だったりした作品もあったんですよ。

本場でも、プロでも、ミスはありますから、三国志関連の創作されてる方、これから創作しようかなと思われている方、肩肘張らずに創作してもいいんじゃないでしょうか?

読みました。『ルドルフとノラねこブッチー』

斉藤洋先生『ルドルフとノラねこブッチー』

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杉浦範茂先生のおしゃれでスパイシーかつどこかあったかい挿絵と共に新刊が出ました。

斉藤洋先生は『呉書三国志』の作者でもありますが、ほんとネコを書かせたら世界一なんですよ。
とくに虎猫!
だから、孫家三代書いても最高なのです。

で、今回の新刊。
シール付き!
大人でも嬉しいと思いますよ。

内容は、これから読む方のために、あんまり言わないでおきましょう。

物語中、ネコはなぜ飼い主に会いに行こうとしたのか。
ミステリー風味あり、任侠あり、教養あり。
人間側のさまざまな都合もありつつ、胸に刺さりました。
そして、イッパイアッテナは本当に格好良かった…。
じーん…。
抱かれたいオス♂ナンバーワン。
モフモフさせて欲しいナンバーワン!
知力99 武力100 魅力300のネコなんてそういないですよ。
ルドルフも気の遣い方がだんだん大人になってきて、婉曲的な優しさがあふれてます。
新メンバーも現れる。

待っててよかったー。
そして、また新刊がでるのを首を長ーくして待つのね。

石井仁先生「富春孫氏考」

臨時 一日一策瑜

石井仁先生「富春孫氏考」

http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/title/?lang=0&mode=2&opkey=R159524429198885&facet_key=title&facet_item=vol&facet_val1=70&facet_val2=ZZZZZZZZ&next_facet=list&chk_schema=100%2C200%2C300

精読していませんが、ツィッターで紹介されていたので、おすそ分け。

乱暴にまとめると、孫家はそんなに貧乏でも卑賤な出でもないよ、ということかな?

アカデミックなことは余所にお任せして、これを読んでいて気づいたこと。
もともと会稽郡は広く、三国時代の呉郡、建安郡を含む領域であったこと。

呼び名の変遷

秦代 会稽郡

漢初 呉郡 その後→楚国→荊国→呉国→会稽郡

後漢 129年に会稽郡が広すぎて不便という理由で
会稽郡北部を分割して呉郡と分かれる。

後漢末は県も細かく分割されていることから、北方からの人口流入と生産力アップがあったのかな?

呉郡の南端にある富春県に住まいする孫氏一族はもともとは会稽郡のど真ん中にいたということになります。


会稽まで文化圏が広がると、ムフフな乙女には思い当たることがあります。

「南風」=男色
男色、契兄弟が盛んな地域です。今の福建省あたりらしいです。
当人の男性同士だけの関係ではなく、お互いの家族も息子の相手が来たら歓待するというアットホームな関係です?女性を排斥するわけでもなく、弟分の契弟が結婚する際には、結婚式の費用も契兄が用意してやります。関係は歳をとっても続き仲良く付き合います。

孫策……この文化に触れていたんじゃなかろうか?
会稽転戦中に民情として知っていてもおかしくないな、とは思っていましたが、もともと孫家が会稽郡の真ん中に位置するならなおのこと!
生まれ育ったのは、江淮のあたりですが…
両親とも旧会稽郡の真ん中ですし。
実際、策瑜は親公認だし、周瑜の結婚式の世話というか、相手から式まで孫策持ちだし、周瑜の葬式は義弟孫権による国葬だから、このタイプに近い。

もし、策瑜がこの契兄弟なら、周瑜の独立説とか難しくなると思いますがどうでしょうね?

台湾の方による契兄弟解説
https://youtu.be/H5E-0TYf_Bg


石井仁先生の曹操解説は面白かったです。
素人でも読めると思う。用語が多少難しいくらい。

二世はつらいよ?

臨時 一日一策瑜

二世はつらいよ?

周胤くんです。
酒と女に溺れておる!と孫権に(それをよりによって孫権が言うかな?)咎められ、平民に堕とされ、流刑に遭い、流刑地でそのまま亡くなりました。悲しいかな周瑜より短命に終わりました。

周家の家系図では周胤公と大事な先祖の一人としています。宿松は烏が鳴いたから腰を据えた土地であるとも、周胤も嫁(孫皎の娘?)で、周胤の死後ショックで死んだとも伝えられています。夫婦仲良さそうな書きぶり。
そして、そもそも、流刑の理由も妹の夫である孫登が優しすぎるので、口出ししたところ、孫権の怒りを買ったという理由にされていました。
ご先祖である周胤を決して悪く書きません。
ですが、皇太子の外戚というのは、罪がなかなか許されず、重く見られている原因のひとつかもしれません。
肝心の妹の皇太子妃も早死にみたいですから、もしくは恃みにできなかったかもしれませんしね。

清代の李安溪という政治家、文人が、周胤が酔うたびに、周瑜の功績を持ちだして語るダメな酔っぱらいの典型だったため罪に堕とされたのでは?と推測しています。
たしかに、嫌かも。孫権の大事な義兄ですからね。
又、「うちのパパはこんなに功績があるのに、子孫のオレは不遇~」とか言ってても腹立つことかもしれません。

ほかにも、女におぼれている、普通の二世坊ちゃんのやりがちなことなのに、なぜ咎められるのか。
彼の妻は宗室の娘、たぶん孫権のお声がかりでの縁組みで、娶った嫁なのでしょう。「うちの夫ったら又、女作って…」とこぼしたら、即罪に問われます。
「うちの一族の娘を馬鹿にしたら生かしておくものか!」ということでしょうか。

ほかに、咎められても、周胤の反省の色が見えなかった。
草創期にはよく見られる、人殺しちゃったけれど、反省の念がよく見られるので(その上成長が期待される人物だったり)許される、呂蒙凌統のパターンがあります。
その辺、ボンボンだった周胤はプライドが邪魔して頭を下げられなかったのかな?

そして、周胤をゆるしてあげてねの嘆願メンバーのすごいこと。
諸葛瑾は、公安での上司だと思います。
歩騭と全琮は元兄嫁の孫魯班が頼み込んだかも?
孫登と歩夫人の仲は良くもないけれど、対立もしていない。王夫人と孫和に対するには、義妹の嫁いだ孫登を支えていくしかない。
外戚として、周胤も必要とされたのでしょうか。
もしくは、亡き夫への情から助けたのかな?

諸葛瑾:大将軍、左都護,領豫州牧(元上司)
步騭:驃騎将軍,領冀州牧。(たぶん魯班ちゃん)
全琮:衛将軍、左護軍、領徐州牧(魯班ちゃん夫)
朱然:車騎将軍、右護軍、領兖州牧(?周瑜?)

朱然はわからないですね。単純に、周瑜に世話になったからかな?

周胤に、そして、このあと周護に軍を引き継がせなかったというのは、周家に当たりが強すぎる気がします。
これは、周瑜と周家は別に何か思うところが孫権にあったのではないかと思います。
孫堅が亡くなった後、孫策は周家から提供されていた家から出て行きます。
十七歳の孫策には、孫堅がいない孫家には利用価値が周家に無いことを自覚していました。
ですが、当時十歳の孫権には居心地の良い家を追い出されたと感じたかもしれません。幼い少年の心に傷がついたかも…。
周瑜陸遜に思い出を語るあたり、大事な部下であり義兄だと思いますよ。

さいごにコレ!↓
黒白鯨先生 《侯将周胤》
http://blog.sina.cn/dpool/blog/s/blog_48f11133010005g7.html?type=-1

小説なんですが、大胆な推理。
なかなか前線で活躍できない周胤は、皇太子に近づくことを思いつく。皇太子はちょうど呂壱の件で頭を悩ませ、譲位まで考えていた。それを叱りつける周胤。
元兄嫁の魯班が周循の面影を求めて誘惑してくる、それをけんもほろろに断る。怒った魯班に陥れられる周胤。(これは最高に孫権が頭にくる理由だなと思いました。同姓、同族にも手を出し、出される?魯班ちゃんならワンチャンありえる?)
全体的に甘っちょろい周胤にいらつき、可哀想にもなります。妹は皇太子妃としてよりも琴師として生きようとする不思議ちゃんです。

周瑜の家は、周瑜の代ですでに敗家(落魄)の気配が漂っていると思います。
廬江周家の最後の栄養分を吸い取りきってって周瑜という大輪の華を咲かせたのかもしれません。