策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

読みました。『東アジア仏教史』

石井公成『東アジア仏教史』

久しぶりに岩波新書読みました。
府抜けた脳みそにはちょっと硬かったかも。
でも面白かったです。

僧兵はなぜ強いのか?攻撃性を普段抑圧されていたから?集中力とか鍛え方や、連携攻撃なんかのリズムとか合わせやすいとかあるのかしらね。肉食してないで、菜食系のタンパク質、豆?で筋肉はどうなのかしら??

新羅の僧侶がすごい。中国各地に留学、さらには玄奘さまの翻訳メンバーにも入っている!国際的だわねーと感心していたら、反対に政情不安になると勉強しに行きたくても入れなかったり悲劇が…地続きの国の苦労は又別ですね。

地続きの国でもベトナムは唐代あたりまでは漢文で仏教を学んで、さらに学びたくなったら、今度インドに向かう。本場。これも国際感覚が広い。

日本は、とにかく保存が得意。
古い宗派も古い書物もとにかく残っている。
便利に頼られている。

宗教とともに、文化、建築、医療、各種技術が伝わる様子はもうちょっと知りたかった。
つやっぽい恋愛小説、詩に仏教が影響を与えているというのは初耳でした。
白居易楊貴妃の沐浴シーンもそうだとか。へー。

乱世の皇帝に度を超した仏教信者多いんだね。なんだろ?メンタルヘルスのカウンセラー的な役割?やり過ぎ感がすごい。
碩学高徳の僧侶を奪うために城を落とすとか…傾城の僧侶…こわ。業が余計深いわ。

そして、わたしが知りたかった三国、呉!
あんましなかった。
しかし、「……康僧会は残虐な王であった孫権を戒めるため、奇跡を起こして尊崇させたうえで、教訓の経典を示して導いたのだろう」
孫権、暴虐な王だって!!
孫皓と間違ってない?と思ったのよね。
そしたら、高僧伝でまず孫権が←やらかす
仏舎利欲しい。
何日か下さい。
祈る。
できない。
延長。
できない。
延長。
困った…できた!
みたいなのをやって、それから仏舎利の性能検査?壊そうとして壊れないのを確認するまでが孫権の分。
仏像におしっこかけたりさらにやらかすのが孫皓の分。
どうですかね。お坊様に無理難題言うことからしてもう暴虐なんだろうね。
孫権からしたら蜀漢からの使者を揶揄うくらいの通常運転です。

もうひとり、支謙さんには博士として東宮の教育係としています。
現代からみると、仏教関係者と括ってしまいますが、二人は立場がぜんぜん違いますからね。扱いも違ってくる。
支謙さんは在家の信者さんで魏からわざわざ呉を選んで移ってきた(呉の徳を慕ってきたからともとれる)から優遇ですわ。おじいさんは月支から移住してきたとき、漢から卒善中郎将に任じられています。それに六カ国語をあやつり、経書老荘にも詳しく博学、知恵袋と言われたお方です。
康僧会さんは同じく、中央アジア系の血でインド、交趾を経て建業に来たようです。孫権にしてみれば自領地からです。それに建業に来たとき仏教徒の変わった格好をしていらしたとか。あでやかなイケメンに目が慣れて育ってしまった孫権には清貧な格好はいきなりは理解できないかもしれませんね。最後にはお寺を建立するので、尊敬し始めたかも?

それにしても、とにかく珍しい人が来たら会うのね。孫権は。
海外情報が重要なのもあるだろうけど根が好奇心旺盛なんだと思うな。

*後日ですね、孫権が交趾、交州を制圧して搾取したことから、暴虐な王と言えるのでは?とご指摘がありました。
なるほど納得です。
中華思想にひたっていると気づきにくいですね。仏教における中華(中心)はインドで、より近い交州のほうが中華に近いといえるのかも。
交趾で育った康僧会には、文化に力を入れた統治の士燮から孫権に代わったとき、辛いことがあったのかもしれませんね。