策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

よちよち漢語 四十四 需要愛先生「思為双飛燕」

二十二章 雲遊 旅に出る

 孫権が呉夫人に行ってきますと挨拶をした時、呉夫人は二言三言文句を言った。
「あなたはもう大きくなって、お兄ちゃんの後を追って、家では一日とて待てなくなって、外に行くことを覚えたのね」
 孫権は無理に笑顔をつくってみせ、呉夫人に言った。
「お母さん、ぼくは今賢能の士を捜し求めて出かけるのです。これも孫家の未来のために働いていることです。お母さんもぼくを認めてくださいよ」
 呉夫人は首を振った。
「わかったわ。行きなさい。ここに居ても、心あらずなら役にもたたないわ」
 孫権は大人しく黙っていた。呉夫人は突然何かを思い出して、ふいに顔を上げると孫権を見た。孫権はギョッと驚いた。呉夫人はためらいながら聞いた。
「あなたまさか舒城に行くつもりではないわよね」
「えっ?」
 孫権は振り返った。
「お母さん。ぼくはもちろん舒城には行かないよ。公瑾はぼくたち孫家の人だもの。ぼくがまた行く必要がある?」
「そうね」
 呉夫人はぎこちなく話題を変え、孫権にその他のことを注意し始めた。
 十数人の随従を連れて出発し、曲阿を離れいっとき山高く水豊かな自然を孫権は心から自由きままに数日間楽しんだ。彼らは予定通り曲阿の付近を巡り半月後、一行はまず北へ向かい孫権の旧友の何人かに再会し、また南の呉郡に向かった。
 灼熱の太陽が空に浮かび、孫権は随従を連れて道路脇の東屋に避暑した。孫権は俯いて凉茶を飲んでいると、側から誰かが芝居っ気たっぷりで話しているのが聞こえた。
「大通りに砂塵がもうもうとして現れた。みんな誰だと思う?これこそ袁術の麾下の懐義校尉孫策だ。その孫策は、なんと二十前の若さで、その父江東の虎と呼ばれた孫堅の風格がそこはかとなく感じられる……」
 孫権はここで誰かが自分のうちのお兄ちゃんのことを話しているので、すぐさま耳をそばだてた。その人の話には孫策を頗る褒め称えていた。孫策は勇猛で万人の敵となるくらい強いと言ったかと思うと、また孫策は軍も謹厳にまとめていて民を害することもないと話していた。孫権は聞いていて嬉しくてたまらず、振り返って随従に言った。
「ぼくは前から言ってただろう、お兄ちゃんはすっごく早く天下に名を馳せるって……」
 孫権の話が終わらないうちに、テーブルをひとつ隔てたところから大きな音がした。茶碗が叩きつけられる音だった。孫権は思わず振り返って見た。そのテーブルには十人くらいの少年がいて、年はまだ幼く、みんな二十前の様子だった。束袖の服にブーツを履き、一見して武人とわかるものと、それに二、三人孫権と変わらない年頃の少年は文人の格好をしていた。
 その文人の格好をしているもののなかでも、特に吊り眉、狐目で唇は朱を点したような少年が最も目立っていた。このとき、その少年が茶碗を叩きつけ怒鳴った。
孫策は恩知らずで、信用もできない、無辜のものをみだりに殺した。みなこいつを誅すべし!」
「あーー!」
 孫権はそれを聞いてさっと立ち、ぐるっとその少年の方を見て睨んだ。手を前に伸ばし指はその少年の鼻にまっすぐ突きつけて怒鳴った。
「どこのどいつが馬鹿をいっている!」
「呉郡の陸議だ」
 少年はまったく怖じる様子もなく、孫権をにらみ返した。
「おまえこそどこのどいつだ?」
「富春の孫仲謀だ」
 孫権は眉をしかめた。
「孫仲謀?」 
 陸議は側の仲間に向かって言った。
「聞いたところによると、孫策にはあちこちでただ飯を喰らっている弟がいるとか。小さいときに孫堅について北方まで行き、曹操に利口だと褒められたとか。不可思議きわまることが伝わっている。まさか今日ここで会うとは」
 ただ飯を喰らっている?この話は聞き捨てならない。孫権は内心激しく憤った。陸議を指差して言う。
「おい、おまえーーおまえはぼくたち孫家に昔から恨みでもあったのか、なぁ?」
 陸議少年は痛いところを突かれたかのように顔色が変わった。側の仲間たちもすぐさまテーブルを叩いて立ち上がった。
孫策は盧江城を攻め陥し、その仁義が天下に知れ渡る盧江太守の陸康を殺したのだ。おまえの目の前に立っているのは誰か?伯言兄は陸太守の族孫だぞ」
「あ……陸康……」
 孫権は思い出した。その人が、そう古くもなく孫策の手紙のなかで話題にされていた。陸康は盧江太守で、以前から袁術とは仲が良くなく、袁術がお兄ちゃんに命じて盧江城を攻めさせた。城市の陥落も今回の出発前のことである。まさか自分がここまで遊学して陸康の一族に出逢うとは。
 余計なことをするよりも控えめにしたほうがいい。孫権は内心自分は遊学の旅に出たのであって災難を引き起こしに来たのではない。さらに孫策が手紙の中で陸康はもともと名望がわりとある言っていた。城も落ちたし、本人も亡くなった。陸康の一族と揉めるようなことはするまでもない。
「無知なこどもだ」
 孫権は自分がまだ大人でもないのに、他の人を無知なこども呼ばわりしたがった。
「それぞれが主のために尽くしたのみ。言い争う気はない」
 自分の随従に手を振って休憩は終わりだと合図すると、東屋を出て出発しようとした。
 そこで孫権一行が立ち上がって出ようとすると、東屋を五、六歩も出ないうちに、後ろから陸議の大声が聞こえた。
「陸家の兄弟たちよ、やれ!」
「はっ?」
 孫権はどうしてこうなるのかと思い、さっと振りかえると、目の前には人影がざざっと動いて、十人ばかりの少年が飢えた虎のように孫権一行に殴りかかってきた。
「君子は口を動かしても手は出さないものだ!」
 孫権は言い終わらないうちに、一人の武人の格好をした少年に殴り倒された。もともと孫権は小さい頃から武術は上達しようと努力せず、十数年来でほんとうに真剣に練習し始めたのはここ三ヶ月程度だった。それに周家の屋敷で周家の武術の先生に習ったけれど、お兄ちゃんは言わずもがな、孫権の弟にもはるかに及ばなかった。この一撃は、孫権をよろよろと打ちのめしたにとどまらず、顔を地面に打ちつけて鼻に鈍い痛みを与えた。
 側に居た随従はこの有様を見て、驚いて叫んだ。忙しなく少年達とケンカを始めた。東屋は小さく、テーブルは多く置かれ、三十数人が乱闘になった。話し合いもないうちに、側のテーブルも椅子も、茶碗も全部壊れた。ケンカは混乱を極め、最後には取っ組み合いとなり、壊れるたびに東屋の主人が傍らで泣き叫んだ。
「お客さんやめてください、やめてください!」
 このとき、孫権は両手を素早く随従に助けられ東屋の外に連れ出された。痛くてたまらない鼻をさすりながら、孫権は睨んでいると陸議も外に出てきた。孫権の側付きの随従が陸議がリーダー格で書生の格好をしていることから、一発殴って懲らしめてやろうとした。鼻をさすりながら孫権が大声で止めた。
「無礼なことはするな」
 孫権は鼻をさすりながら言った。
「陸議といったか?おまえはこんなにぼくと揉めようとしたいのなら、いっそのことおまえのところの陸家の大人も呼んでこい。ぼくが名刺を出す手間が省けるというものだ」
「ふん!」
 陸議は怒って怒鳴った。
「おまえが陸家の屋敷を訪ねるだと!」
「何を恐れることもない」
 孫権は袖を払った。
「お若い人、ぼくがみるにきみは世渡りの経験がないね。天下の争いの道理もわからない。ぼくが今日きみに道理をちょっと教えよう……」
 続けて話そうとしていると、陸議は仲間の子弟を集めてさっと逃げ去った。
「どうして逃げるのか」
 孫権は随従のほうへ向かって自分の鼻を指してみせた。
「腫れていない?」
「二公子、大丈夫です。腫れていません」
「うん……」
 孫権は衣服の埃を払った。
「予定も変えることはない、明日呉県の陸家を訪ねよう」
「公子本当に行くのですか?」
「もちろん」
「でも……われわれは陸家が公子に何かするのではと心配で……」
「心配無用、陸家は呉郡の名門大族、ぼくが一人で訪問して、彼らがもし力任せに乱暴するというのなら、世間の笑いものとなろう」
 孫権は落ち着いて顔を上げた。顔色が一変した。
「ぼくたちの馬は?」
 随従たちがあたりを見回すと、本来乗っていた馬たちはほど遠くない木陰に繋いであったのに、いまはぽっかりと空で、一匹の馬も見えない。
「アイヤー!」
 一人の随従が驚いて叫んだ。
「きっとさっき振り向いた時に、あの陸議とかいうガキがわれわれの馬を盗んだんだ!」
 孫権は怒りの余り顔も青くなった。
「こんなに大勢で、一人として馬が盗まれるのに気づかなかったとは、ほんとに、マジで……」
「われわれはまさかあのガキの陽動作戦にやられるとはおもいませんでしたな、公子」
「そうだな」
 孫権は呟いた。
「ぼくは陸家に取り返しに行く。呉県の県境はまだだが、歩いて行くしかない荷物は無事かちょっと見てみろ!」
 その夜、孫権の一行は次の駅宿まで長く長く歩いた。夜中に宿で、孫権は持ち歩いている小さな竹簡を取り出して、忌々しげに刻んだ。
『馬盗賊陸議、後日必ずおまえの過ちを懲らしめてやる!』