策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

臨時 一日一策瑜 関係性の深さ

 久しぶりの策瑜ネタです。三国志のなかで男性AとBの関係性に何らかの意味を見いだすのがBL的楽しみのひとつです。
 また、昨今はビジュアル等の好みなどから、なんら接点もない男性AとBをくっつける拉郎配もあります。
 ワタシは燃料がないと萌えない派なので、接点があるほうが、断然盛り上がります。

 今回取り上げるのは、孫策とBL的可能性がありそうなのはだれか!?

 まず最初は、太史慈。後世に残る一騎打ち!お互いに兜と手戟を奪い合い(プレゼント交換?)しました。帰順した後は、孫策からは信頼され各地を転戦、南方の慰撫を任されています。これまで仕えたどの名士よりも若い主でしたが、強い信頼をよせてくれました。太史慈もこれに応え活躍し、曹操が当帰という漢方の薬草を贈って「北に帰って来いよ」のラブコールをしましたが無駄におわりました。

 二人目は虞翻!古の狂直などといわれますが、孫策時代の虞翻さんはかっこ良かった!医術で活躍!オリンピックアスリート並みの足腰で馬に追走!会稽で帰順してから、ラブラブです。孫策からは「蕭何」と喩えられ、「御史床」という立派な長椅子?をプレゼントされました。
許昌の朝廷に使者になってくれないかと頼まれたときは、わたしは「明府家宝」(とののたからもの)なのだからめったに余所に出すものではない、と虞翻さんらしく断っています。孫策亡き後も、富春の孫家の親戚のゴタゴタを収め、その後も活躍するかと思いきや、孫権とは合わなかったようで、グレます。孫策ひと筋の虞翻さんでした。

 三人目は孫河(兪河)!なにせ、孫策から愛されて、孫姓をもらい、不遇の時代も共に乗り越えた仲間ですよ。愛され←すごいパワーワードだなあ。

 同じく呂範も不遇の時代から支えた臣下でした。孫河さんはもともと親戚筋だからわからんでもないけど、呂範さんは孫策のどこが良かったのでしょう?やっぱり顔?あと二人で囲碁を打つ描写が仲の良さを窺えます。最古の棋譜(らしい?)が残っているというのも、呂範さんの一族が遺した?

 そして、周瑜。幼馴染み青梅竹馬。断金。双璧。セット扱いだよ。君臣だけど、友達で義兄弟で連襟。とうとう姉妹を嫁に貰ってほんとに親戚になっちゃった。最初は家格が周瑜の方が上で、孫家の武力を利用しその家族を保護する意味で両家は付き合っていたけれど、出逢いも周瑜が迎えに行ったから。歴陽の南渡も周瑜が追っていったから。袁術のところから離れるのも周瑜が決めたから。矢印は常に周瑜から見えるのですが、袁術の元から帰ってきた後は、孫策の喜びを表すかのように、家屋敷、地位、軍、ほぼ親族を除くと筆頭に置いています。さらには中護軍に任じています。プレゼントのトドメは鼓吹の一隊ですね。袁術の使っていた部隊ですから、ほぼ皇帝の格式?それをポイとあげる。音楽好きの周瑜には最高の贈り物でしょう。

ラストは張昭さま!おじさま、なぜ孫策のために出盧されたのですか?やっぱり顔ですか?父性が刺激されましたか?保護欲?孫策も張昭に、仲父と管仲に喩えて(ついでに自分も桓公に喩えてる)持ち上げるんですよ。人タラシだなあ。長沙桓王の諡号は張昭が考えたんじゃないかな…。

 ほかにも孫策と関係が深そうなのは、命を助けた呂蒙、会稽で出逢った賀斉、文人肌の張紘とかいろいろいます。
火 鳳燎原だと凌操とかも入ってくるかな。

 さて、策瑜の関係性の深さに対抗してくるのはだれか!?