策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

よちよち漢語 東呉武将から腐女のみなさんにおくる手紙AnnaLoki 先生

東呉武将から腐女のみなさんにおくる手紙AnnaLoki 先生

孫策
オレは公瑾と同居したからといって、結婚したわけではない。 戯という言葉は、以下のように、戯れかかるというよりは、むしろ冗談のような意味で使われるのだ。 公瑾の才能を知っていて、一人で大軍を率いることができると思ったから鼓吹の一隊を渡したのであって、親しいから渡したわけではないのだぞ。
オレが部下を指差して、孫権に「これはみなお前ののものだ」「あいつが大きな仕事を引き受けられるから、あいつに位を譲る」「あいつを喜ばせるために、国を譲ります」と言うのは、まったくもってナンセンスだ。
オレと子義が子義の手戟とオレの兜を奪い合ったのは、愛の証の交換だと誤解しないでくれ。オレが子義に「あなたはオレの腹心です」と言ったとき、「腹心は妻のようなものだ」「ソウルメイトは妻のようなもの」などという言葉はありませんでした。 升堂拝母の儀式はあくまでも通過儀礼なので、公瑾、子衡、子布とオレはあくまで家臣だ。
オレが「虞翻は明府の家宝」と認めたのは、仲翔がオレのキャリアにとって重要だからであって、オレの宝貝児(恋人)だからではない。
劉備諸葛亮に言ったのと同じように、子布にオレが権児を託したときに同じことを言ったからといって、私と子布の関係が劉備諸葛亮と同じであるというわけではない。
呉書には「伯海を愛している」と書かれているが、ここでいう「愛している」とは、正しい方法で好きという意味であるぞ。


公瑾、周瑜の字
子義、太史慈の字
子衡、呂範の字
子布、張昭の字
仲翔、虞翻の字
伯海、孫河の字