策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

子孫について 孫策編


一日一策瑜 
「子孫について 孫策編」

孫策は息子に孫紹、孫に孫奉がいます。
孫紹は最初呉侯でしたが、孫権の長男孫登の子の孫英に譲る形で上虞侯となっています。
この上虞という地は古の聖人舜の生地とも、禅譲した後に舜の子孫の移り住んだ地とも言われ、孫策から孫権へ正当な地位の継承を表しているとの説があるそうです。
孫策は長沙桓王の諡号で子孫は侯しか与えられず、他の従兄弟のように表舞台に立つこともなく安全を期してはいたものの、孫皓の暴虐の前には為す術もありませんでした。
孫策の娘は三人といわれてますが、二人で、そのうちひとりが再嫁している説もみました。
陸遜の妻となった娘は、孫陸両家の架け橋となった偉大な女性でした。
その息子の陸抗はお片づけができるいい子で、孫家の血も意識しています。
孫の陸景は母親代わりだった祖母の為に喪に服しています。敵同士だった両家の融和がひとりの女性によってなされたと思うと感動です。


掲示板みたいなところで聞いた説だけと、陸遜の子孫は全滅していなくて、六氏と姓を変えて生き残ったとか。自称する人もいるし。面白いですね。
陸績系の子孫は「懐橘堂」という書堂を建ててます。「あのミカンの~」で有名だったんだろうね♡