策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

子孫について 周瑜編


一日一策瑜 

「子孫について 周瑜編」

周瑜の子、周循は騎都尉となり、後に悪名高き孫魯班と結婚しました。残念ながら早死にでした。
(そんなとこまで似なくてよいのに…)
次男の周胤は某家系図によると孫皎の娘と結婚したそうです。
孫瑜じゃなくて孫皎なところがリアル?)
若くして都郷侯の位を貰いましたが、後に平民に落とされ、流刑に遭っています。
重臣達が揃って庇っているのと、子孫が周胤公と尊敬しているのをみるとそんなに世間で言われている程悪い子ではなさそうですよ。
娘は一説によれば周徹ちゃんと言うそうです。
孫登の妃となっていますが、これまた早死にでした😢
妄想ですが孫登の夭折した長男孫璠は玉偏が付いているので、周瑜の孫ではないかと。
それと、策瑜的には紹も胤も継ぐという意味なので周瑜孫策に合わせて息子に名付けたのではないのかな? 


周瑜の娘、徹ちゃん説、徹は漢の武帝の諱なんで、これを周瑜がつけた名前なら相当挑戦的ですよね。
張公に怒られなかったのかしら??
もう、漢なんてどうでもいいもんね~って態度が透けて見えます。

※徹は周胤の別名とも、別の男子の名前ともいろいろ説があります。1800年前だからね(*´∀`)