策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

よぼよぼ漢語 策瑜同人 nashichin先生 『蜜月』八

 傾心 下

 夏の終わり、過去には忙しくても遅くなっても空が明るくなる前には家に帰ってきていた周瑜が突然頻繁に徹夜して帰らなくなった。一人の夜、孫策は喜んでベットに横たわりオックスフォード辞典より厚みのある化学の専門書を読みふけった。たまに建物の下で車が通り過ぎライトの光りが目に入ると、彼はすぐさまバルコニーまで、車からあの疲れ切った影が出て来ないかと見に行った。
 二人が顔を合わせる時間はだんだん少なくなっていった。孫策は何も聞かず、周瑜も自分から言い訳することもなかった。夏が終わったある日、孫策は朝早く新聞を取りに行った。娯楽版のトップニュースの写真にはよく知った横顔があり、一瞬のうちに彼の注意を引きつけた。
 写真での周瑜は金属が散りばめられた真っ赤なノースリーブと長さが左右不揃いなズボンを身につけていた。足元には銀白色の靴が彼の均整のとれた脚を際立たせていた。手を彼の肩にかけているのは黒ずくめの服の郭嘉。二人の後ろにはあの暗闇でも目を引く白のオープンカーがあった。そしてかれらの目の前には郭嘉が買い求めて間もない個人の別荘があった。
「目撃!同居?郭嘉の新恋人?」と下品な黒の大きなタイトルが娯楽新聞の低級な趣味を示していた。そこで公の人物のプライバシーを報道するのがまた最も読者の目を引きつけてやまない「トップニュース」なのだ。スマートフォンを取り出して時間を見ると、孫策はざっと内容に目を通す時間はなくて、新聞紙を折ってティーテーブルの一番下に放り込んだ。
「ただいま」
 鍵を回し抜き取る小さな音がして、赤い服の周瑜が、銀白色の靴を穿いて孫策の目の前に現れた。
「茶葉がなくなったんだ、一緒に買いに行くか?」
 茶葉の缶を振ってみせ、孫策の口調はまるであの新聞の影響を受けていないかのようだ。
「いいよ、シャワーを浴びるから待って」
 客間に赤のシャツを床に脱ぎ捨て、周瑜は彼の優しげな風貌と似つかわしくない体を隠そうともしなかった。
「Tシャツ取ってきてくれないか、自分で行くのも面倒だ」
「うん」
 床に落ちた毒々しい匂いの香水の染みついたシャツを拾い上げ、孫策は洗濯機に放り込み一人言を言った。
「マジでこんな匂いが我慢できるな」
 夏の終わり秋の初めの昼、天に昇った夏の太陽が大地の最後の涼しさを吸い取った。
 ふつうで着心地の良い綿のTシャツ着て、上品とは言いがたいが休みには最適なサンダルを穿いて、孫策に手を引かれる周瑜は賑わう茶葉の市場を行き来して、彼らはずっとお気に入りのローズティーを探していた。これがなければ彼らは平凡な日常を送ることは難しいだろう。
「明日また大学に戻らなくちゃならないんだろう、少し茶葉を寮に持っていくかい?」
 腰を曲げてイングランドローズティーの茶葉を二袋持ちながら、周瑜は顔を傾けてしゃがみこみそうな孫策に尋ねた。
「いらない」
 にこにこと周瑜の足に寄りかかりながら、孫策はとぼけて頭を振った。もう黒に戻していて短く整えていた髪が擦れて、周瑜は思わず手で彼の敏感な首の後ろを摩った。
「じゃあこれからは毎週毎週飲む茶がないってやって来てわたしのベッドでさわがないでよ」
 周瑜はまた茶葉を目の前のまじめな茶葉売りの人に差し出した。
「すみませんちょっと包んでもらえますか」
「おまえのベッドはオレのベッドでもあるんじゃないのか?」
 顔を上げて周瑜の美しいあごを見上げた。孫策はまだ地面に蹲り、立ち上がるつもりもないようだった。
「そうは言っても、学校に持っていっても誰もオレのためにお茶を淹れてくれないし」
「じゃあきみは毎週来るしかないな、そうじゃないとこんな大きい袋の茶葉が早々に悪くなってしまう」
 孫策が横顔を支えていた右手を引き、周瑜は仕方が無さそうな顔をした。
「立てよ、わたしはお腹が空いたよ」
 周瑜が差し出した手を見上げるなり、孫策の目線は彼の自分を映している両目に止まった。数秒間の静けさの後、突然嬉しそうな笑顔を露わにした孫策は立ち上がるなり周瑜を抱き締めた。
「いいぜ、帰ろう、オレのためにローズティーを淹れてくれ」
 次の日、孫策は多くもない荷物を持ってまた大学に向かった。部屋を掃除しているとき、周瑜ティーテーブルの下からおとといの新聞紙を発見した。思わずおかしくなってしまった。
「ばかだなぁ、見せたくないのはきみの愛情表現と同様に隠すべきなんじゃないのか」
 会社に向かうと、大きなサングラスをはずしたばかりの郭嘉がすでに勝手知ったるとばかりに仕事場で笑って周瑜を待っていた。
「ハローかわいこちゃん、わたしたちは新聞に載ってしまったね、これは大変だなぁ」
「あなたは新聞に載って何を恐れるの?家に人を招くことを恐れるの?」
 部屋に入ると毒々しい香水の匂いがした。首席スタイリストの周瑜としてはいつもこういう多くの人と似つかわしくない濃厚な香水で触れてきた。
「当然恐ろしいさ、かわいこちゃんがもうわたしと家でデートしてくれなくなると心配だね」
 周瑜の目の前に飛び出し口を突き出す様は、スターの輝きを伴わない郭嘉は見たところ二十六歳にはとても見えなかった。
「あ、あなたの曲は完成したのですか?どうです、郭さんはまだ周瑜を想ってあなたの『たからもの』と歌詞を付けますか?」
 郭嘉がかわいそうな振りをしているのも気にせず、周瑜は彼が懐に抱えているファイルを指さした。
「わたしのスタイリストの仕事もけっこう大変なんですよ」
「ハハ、作詞は当然自分でするよ、ラブレターをどうしてかわいこちゃんに代筆させるんだい?」 
 郭嘉はにこにこと笑ってファイルを引っ張り出した。一束の分厚いA4用紙に細かに九曲分の音符がいっぱいに書かれていた。 
「だが、この間はほんとうにきみに感謝しているんだ。わたしが曲を書き換えたあの夜……」
「おや、そんな遠慮深い郭さんはわたしは初めて見たかな」
 周瑜は突然まじめになった郭嘉が初めて見たときのあの軽薄さは大スターと同様に疎遠に感じた。そこから比べると、彼はあの高級レストランや社交クラブでまじめに自分と曲について話し合っている郭嘉や、あの別荘でピアノの側で目を閉じて九つの曲を弾いて徹夜していた郭嘉の方が好もしかった。
「ハハ、かわいこちゃんこれは恥ずかしい?」
 再び周瑜の顔に近づき、郭嘉は嘆く様子で、そっと言った。
「明日わたしは閉じこもって作詞を始めるんだ、かわいこちゃんはまたわたしにもう一度ローズティーを淹れてくれないかな」
「いいですよ」
 郭嘉を押しのけ、周瑜は冷たいミルクと混ざり合ったローズミルクティーを彼に差し出した。
「今回は自分でどうぞ」
「かわいこちゃんさぁ」 
 前回同様甘く香るミルクティーを嗅ぎながら、郭嘉はすぐには飲まなかった。
「わたしはひとつ尋ねたいことがあるんだよ」
「うん」
「わたしはローズティーを希望した。なぜきみは毎回わたしにローズミルクティーをくれるんだい?」
 手の中のガラスのカップを揺らし、郭嘉は意味ありげにピンク色のミルクティーを見つめた。
「それはわたしが只一人のためにしかローズティーを淹れないからです」
 茶葉の缶の蓋をし、周瑜は残ったミルクを冷蔵庫にしまい、頭を振りかえずに答えた。
「えっ?」
 ローズミルクティーとローズティー比べて周瑜にとってどんな特別な意味があるのかわからなかった。郭嘉は一口ミルクティーを飲む。
「でもミルクティーの方がさらに甘やかじゃないかい?」
「そうですね。でもミルクティーというのは底が見えないし」
 ティーテーブルの上のいくつかの美しい茶器に触れながら、周瑜は考えているようでもあった。
「でも漆黒のカップの中のローズティーでは、わたしの姿が映って見えます」
「おやおやわたしのかわいこちゃんや、きみは意外にそんなにナルシストだとはね、お茶を淹れるのにも自分の姿を見たいとは!」
 我慢できずにハハと大笑いして、郭嘉はほんとうにまさかこの二ヶ月曲の構成を助けてくれた天才がなんとこんなに可愛い一面があったとは。
「あなたは知っているかな、わたしが毎回彼のために茶器の中の薔薇色のお茶を黒のカップに注ぐ時、いつもひどく幸せな感覚に陥るんです」
 周瑜の声はとても柔らかで、まるで虚空にたいして自分の気持ちを述べているようだった。
 周瑜の側に座り、郭嘉はこの時の周瑜がいつもとはぜんぜん違っていると感じた。だが、彼は依然としてあの目立つ服を身につけ、強烈香水をつけた首席スタイリストだった。
「それからわたしはバラ色の中に映る自分の笑顔を見るんです。あの笑顔は自分でも思わず考えてしまう――こんな笑い方をする人はきっととても幸せな暮らしをしていると、とても愛し合っている恋人がいるんだと」
 振り返って黙っている郭嘉を見て周瑜は続けた。
「わたしをこんな笑顔にしてくれている人が、まさしくわたしの最愛の人なんだ」
「わたしと一緒にいて、きみはきみの最愛の人生について疑いをもたなかったのかい?」 
 しばらくの沈黙の後、郭嘉は二ヶ月間周瑜はいつも自分と曲について話し合って深夜まですごしていても、行き先を尋ねる電話がなかったのを思い出した。
「もたないですね」
 昨日の立ち上がったときの孫策のこぼした笑顔を思い出し、周瑜は柔らかな口調からリラックスしたものに突然変わった。
「ずっと、彼はわたしを疑ったことなどないよ」
「ハハハ、自信家だなぁかわいこちゃん」
 立ち上がりファイルをつかむと、郭嘉は帰るそぶりを見せた。
「わたしに少しその自信を貸してくれないか?なぜだかわからないがうちの荀ちゃんはわたしがこのアルバムを彼のために作っていても、なんの反応もないんだ」
 荀彧の名前が出ると、郭嘉はワガママな口調から優しく愛のこもったものへと変わった。 
「安心して、荀兄さんはあんなに聡明な人だもの、どうしてあなたが女遊びをしてみせるのは彼をパパラッチから隠しておくためだとわからないわけないよ」
 郭嘉がさっさと帰ろうとすると、周瑜は仕事場のドアを開けた。廊下の奥にマネージャーの格好をした荀彧が静かに本を読んでいた。
「あれがローズティーかぁ……」
 すでに外に出ていた郭嘉はなにかを思い出して周瑜の耳元でそっと一言囁いた。彼が突然顔を紅くすると笑って帰った。
 輝く街灯の下、会社から出てきた周瑜は一目で愛する青年を見つけた。
「今日やっと一緒に帰れるな」
 早くも溶け始めたアイスを差し出し、孫策周瑜の肩にかけたバッグを取り上げた。
「明日は授業はないの?」
 周瑜はアイスを舐めた。清涼感こそ夏の日のもっとも優しい友だちである。
「お茶が飲みたいな」
 繁華街の大通りで肩を並べながら、孫策はゆっくりとした歩調で周囲の慌ただしい人々とひどく違って見えた。
「その、あの新聞は……」
 早朝ティーテーブルの下から発見した新聞紙のことを思い出し、周瑜は立ち止まった。
郭嘉とのあれか?」 
 繋いでいた周瑜の手を突然放し、孫策は相変わらず気にしたそぶりもなかった。
「うん、わたしは……」
 言い終わらなかった話を孫策に止められ、周瑜は彼がこちらに向き直ったのを見た。
「香り付けされたミルクティー周瑜は彼らのもの、強烈な香水と派手な服を身につけている周瑜も彼らのもの、スターやお嬢様の目の前でうまくやる周瑜も彼らのもの」
 孫策周瑜の目を見つめながら、ぽつりぽつりと語った。
「でもオレのために爽やかなローズティーを淹れてくれる周瑜孫策のものだ。オレと一緒に平凡な格好で街中を歩く周瑜孫策のものだ。ほんとうの周瑜は、ずっと孫策のものだ」
孫策
 またぎゅっと孫策の手を握り、周瑜は俯いた。自分の赤く染まった顔を隠そうとした。
「うん?」
 周瑜の気持ちがわかって、孫策は彼の手を引いて再び前を進んだ。
「今日郭嘉がわたしに一言言ってきたんだ」 
 孫策の歩みに付いていきながら、周瑜の声は恥じらっているように聞こえた。
「彼が言うには茶を注ぐ(傾茶)というのは、その実わたしがきみに対して――心をひかれている(傾心)にすぎないんだそうだ」

よぼよぼ漢語 策瑜同人 nashichin先生 『蜜月』七

 傾心 上

 おおよそ蜜月のスイーツのメニュー表をめくったことのある客ならみんな知っていることだが、各種コーヒー、ミルクティーフルーツティーなどのドリンク類の最後に特別なこともなさそうな、だが非常に特殊なイングランドローズティーというセットがある。特徴がないといったのは、そのお茶の原料そのものにはふしぎなところもなく、この二年多くのスイーツ店ではみなロンドンの雰囲気を漂わせるローズティーを出している。非常に特殊と言ったのは、それはこのお茶を飲みたければ、必ず愛する人を連れてきて、相手の手自らお茶を淹れて貰うのである。
 それゆえ、彼女いない歴二十四年間の不運な編集者陸遜はこの四回目の蜜月の訪問で、ひどくかわいそうに周瑜が清潔なテーブルクロスの上には美しい茶器を並べるのを見ながら「独身とは公害だ」とひとり思っていた。
「ほら、この茶葉の香りはどうかかいでみて」
 ひとつのきれいなお茶の缶を開けて、周瑜はひとさじ茶葉をすくって陸遜の手のひらにのせてあげた。
「とてもいい匂いだろう?」
 手にのせられた暗紅色の茶葉を、陸遜は鼻の下に持っていく前に、もう濃厚な薔薇の香りがしていた。薔薇の花が咲いたときの爽やかな香りとは違い、すでにお茶に加工された薔薇の花弁の香りはさらに鮮烈で、思わず考えてしまった――薔薇の花咲く摘み取られたときの最も美しい姿や色が全てこの濃厚な香りとなって細かな茶葉となっているのではないかと。
「いい香りだ!」
 目を閉じるといつも人に「ロマン」を連想させる薔薇の香りが感じられる。陸遜は自分の目の前の周瑜がまた別の美しい精巧なの缶から茶葉を取り出し、ローズティーを淹れていることに気付かずに座っていた。
「香りがいいのは当然」
 やや赤みを帯びた茶を黒い茶器に注いでゆく。周瑜はまったく陸遜にも味わうことを許すつもりはなかった。
「飲みたかったら、今度恋人を連れてくればいいのさ、男女は問わずね」
「瑜兄さんは本当に……」
 陸遜周瑜が茶を淹れるとき微笑みながらも注意深く漆黒のカップを見つめているのに気づいた。突然なにゆえなくお茶の中に映る周瑜の顔を見てみたいと思った。いま自分が見たのは揶揄い好きな瑜兄さんとは違うのかどうかわからないが、いつもより優しい目元をしているのでは?

 

 十八歳のあの年、違う人生の進路を選んだ後、周瑜孫策は各自の生活がだんだん遠くなってきた。大学入試も終わり、名門の化学の大学に合格して孫策は市内の中心部から遠い学生寮に引っ越した。進学を諦め有名な造型専門会社に入社した周瑜は市内の仕事場所から遠くない中心部にワンルームを借りた。二人が六年間住んだ「勉強部屋」は再び六年前の静けさを取り戻した。引っ越しの日、周瑜の母親も想いがこみ上げてきた。
「二人の息子も、それぞれの未来に向かっていくのね」
 十九歳の年、大学に入りたての孫策は群れ集う女学生に大わらわになっていた。一方先輩にアレコレ呼びつけられる見習いとなった周瑜は好みのうるさい顧客の対応に忙しかった。
 二十歳の年、早々に大学の学生会会長になった孫策はますます難しくなる学業に集中しただけでなく、大学内の各事務処理にも時間を割かねばならなかった。だんだん自分の顧客ができてきた周瑜はすでに通常の造型デザインに自信をもち、また一流どころのパーティーにイメージスタイリストとして関わっていた。
 二十一歳の年、学生会での著しい貢献と同様に一目置かれる成績があり、孫策は一年後これからもさらに研究を深めていくのか、それとも社会人として就職するのか考え始めていた。豪華な展示会で成功し、一流スタイリストとして名をはせた周瑜は未来についてあまり多くを考えなかった。それは彼がすでに長いこと会社に所属して仕事をしようとは思っていなかった。
 二十二歳の年、孫策は順調に修士と進み、周瑜は会社の主席スタイリストとなっていた。
 大学卒業後のあの夏、大学の寮から引っ越した孫策周瑜のいる市の中心地に小さな部屋を借りた。それは広くはないが周瑜のインテリアコーディネートで十分温かく馨しい部屋となっていた。孫策はその実まったく知らないわけではなかった。大学のこの四年、期末テストの時期、学生会の活動を除けば、彼は週末にやって来ては二日間を過ごしていた。だんだん忙しくなる周瑜も週末の約束は全てキャンセルして会っていた。二人は広いベッドの上で横たわり、たまには長時間何も言わずに、黙って相手の目を見て抱き合い、一緒に笑い出して止まらないこともあった。
 スタイリストの仕事をしていく上で、各種の様々な一流人とのおつき合いをしていかねばならなくなってきた。周瑜は幼い頃からつき合い上手であったから、今や主席スタイリストとしての誉れもあり、彼は仕事に余裕があるときには多くの名家の貴公子、お嬢様、スターから贈り物を貰った。あるときには暗号パスを書いた銀行のカード、あるときは高価なおいしい特別なチョコレートだった。周瑜はそれらを壁の隅の戸棚にしまい込み、仕事中に各種の茶葉を揃えて顧客たちを招いた。
 孫策はある晩、薄着で周瑜の会社のビルの下をゆっくり歩いていた。ほとんど毎日残業する周瑜を待って一緒に帰ろうとしていた。
 だがこの夏ずっと、彼は一度も周瑜を迎えることはなかった。それは会社全体が電気を落として閉店した後、周瑜の仕事部屋は依然として明るく、明るい窓の下には主を待つ白いオープンカーがあった。
 一度、夜中に暑さも冷めたバルコニーに座ってタバコを吸っていた孫策はまたあの見慣れた白いオープンカーを見た。周瑜が助手席から出てきて、さよならを言うときには昔からの知り合いみたいに運転する青年に手を振って微笑んでいた。
 白いオープンカーを運転していたのは最近芸能界で人気上昇中の郭嘉だった。この人は数多の女性スターと浮名を流し、また噂によるときれいな少年にも興味があるとか。七月初め、新しいアルバムを制作し始めたばかりで、スタイリストには相当金を惜しまない郭嘉はあの目立つ白のオープンカーを運転して会社を訪ね、周瑜に自分のスタイリストの全権を指名した。
「ほんとうに美しい人だなぁ」
 右手で周瑜のあごを持ち上げ、郭嘉は初めて周瑜と出会ったときすぐに仕事場中を埋めるほどの薔薇を贈ってきた。
「ありがとう郭さん」
 多くの一流世界の遊び人を見てきて、周瑜はこの人が自分よりたった四つ上だが、一挙手一投足が成熟した男性で、立派でハンサムな青年そのものに見えた。
「初めまして、かわいこちゃんなにか飲むものをくれないか?」
 仕事場のドアを閉め、郭嘉はドアの側のバーカウンターに置いてある十数個の美しい茶葉の缶を見つけた。
「郭さんお好きなのを選んでください。フルーツティーもあるし、プーアル茶……」
 話が終わる前に、周瑜は温かな感触を唇から感じた。郭嘉のキスは孫策とは違い、前者は軽薄だがうっとりさせ、後者は情がこもっているが未熟だった。
 ほんの少しで終わったキスの後、郭嘉はちょっと周瑜が失神することを期待していた。茶葉を選ぶつもりもなく艶やかな薔薇を手に取った。
「かわいこちゃん、わたしにローズティーを淹れてくれないか」
「いいですよ」
 薔薇の花弁を一つ一つ剥がすと、奥の花芯だけが残った。周瑜は優雅な手は赤いシャツに包まれていてさらに白く嫋やかに見えた。
「このきれいな手が、わたしのためにいろんなデザインを生み出してくれるのか」
 何のこともないように周瑜の左手を握りながら、郭嘉は彼が右手で慣れた手つきでお湯を薔薇の花心を入れた茶器に注ぐのを見ていた。
「おーかわいこちゃんの手は器用だなあ」
「このお茶はローズミルクティーといいます。郭さんのご希望のローズティーよりもさらに甘く香りがよいです」
 落ち着いた様子で左手を郭嘉の手の中から抜き出した。周瑜はローズティーの中に半分冷たい牛乳を無色のガラスカップに注いだ。「味わってみてください。郭さん」
「うん~かわいこちゃんはほんとうに優しいな」
 ガラスのカップを取らず、郭嘉周瑜の握ったカップの残りのローズミルクティーを飲み干してしまった。
「郭さんが気に入ったならかまいません」
 魅惑的な姿勢で周瑜は落ち着いていた。
「それでは、仕事の話をしましょうか?」
「ハハ、さすが首席スタイリストさんだ」
 気ままに頭を周瑜の肩に載せ、郭嘉のこの時の表情はまるで天真爛漫な子どものようだった。
「でもね、わたしの賢いかわいこちゃん、きみはわたし郭嘉が今日来た目的をわからないわけではないだろう?」
「わたしは力を尽くすだけです」
 最近一年、いつも社会人としてとしてのつき合いの場で裏方から出没するようになった周瑜はいつも客から勝手に「美人さん」とか呼ばれてきた。この呼び方は、敢えて訂正しようともしなかったが、受け入れるという意味でもない。
 その初めての仕事場での出会いから、郭嘉は頻繁に周瑜を誘った。話題は造型の話からだんだん人生や音楽へと変わったのにのみならず、二人が会う場所も会社から高級レストランや社交クラブへと変わった。

よぼよぼ漢語 策瑜同人 nashichin先生 『蜜月』六

繽紛 下

「大河は東に流れ、天の星々は北斗を讃える、ヘイヘイヘイヘイ、北斗を讃える、生死を共にする誓いに一碗の酒よ……」
 朝っぱらから電話がうるさくて、周瑜は電話の「招待」の後で十八歳とその未来についての問題に関して考えざるをえなかった。
「あ――」
 鏡の眠っていない自分に向かって長いため息をもらし、周瑜は突然一種の「自分はもう若くないのだ」という挫折感を味わった。
「どうした?」
 鏡の中で上半身裸の孫策周瑜の手から絞りきってほとんど無い歯磨き粉を受け取った。
「お前のクラスの担任がまたお前を探していたのか?」
「今回はついに逃げ切れなかったよ、あ――」
 歯を磨きながらため息をついた。周瑜はクラスの担任の程普先生が電話で言った「今週末ご両親に時間を割いてもらってきみと話しあって貰う」という言葉には歯ブラシの速度ものろのろとしてきた。
「理科総合がまたダメだったのか?」
 鏡の中の周瑜の落ち込んだ顔を見つめ、孫策はこれから毎日彼の理科総合の模擬答案を監督してやるべきかと考えた。
「また不合格か、あ――」
 三回目のため息をこぼし、周瑜は自分が高三になってから三回目の理科総合の不合格だと思い出していた。
「……」
 右手でパジャマ越しに周瑜の腰をつかみ、孫策は何か言いかけて止めた。
「なんだよ、笑いたければ笑えよ、ちぇっ!」
 鏡の中の孫策をちらりと見て、周瑜は現在最も面倒なのは成績がひどい有様なことではなく、成績がひどくて両親に恥をかかせる現実であった。
「うちの小瑜児はほんとうに変な奴だな」
 やや背の高い孫策が腰を屈めて、あごを周瑜の肩に載せた。二人のハンサムな顔が鏡の中で映し出され、一つは薄笑いを浮かべて、もう一つはどんよりとしていた。
「数学は毎回テストで百四十以上取れるのに、理科総合で不合格なのはなぜなんだかな」
「興味がないものをどうして学べるんだよ?きみの外国語と変わらないよ?」
 肘で孫策の胸元を小突き、周瑜はこの少し得意げな顔を殴りたくなった。
「でもオレは不合格にはなってないぜ」
 本当は痛くもない胸元をさすりながら、孫策は得意げな表情をすぐにひっこめ苦しげに眉をひそめた。
孫策!」
 不合格の三文字を聞くなり、口をすすいでいた周瑜はもう少しでむせるところだった。
「いいぜ、いいぜ。おまえは父さんかそれとも母さんに来て貰うのか?」
 周瑜がこのとき両親を煩わすことについて心配しているとわかって、孫策は軽く彼の肩を叩きながら聞いてきた。
「あ――」
 四回目のため息。周瑜は歯ブラシを洗うと二人で共用しているコップの中に入れた後、振り返って孫策と向き合った。
「でも両親に話すことはできない、きみだって彼らの気性を知っているだろう」
「でもオレの父さんもいないしな……」
 孫策周瑜の首をかき寄せた。少しもいい考えが浮かばなかった。
「きみをわたしの父さんに見せかけて行ってみる?どうせ程爺さんはきみのことを知らないし!まさか高三のクラス担任が自分のクラスの学生が近所の同性の学生一緒に暮らしていると把握するほど暇じゃないだろうし」
「はぁ?」
 明らかに周瑜のアイデアに対してかなりびっくりして、孫策は顔を傾けて鏡の中の自分の顔をよく見てみた。
「オレはそんなに老けてるか?小瑜児おまえオレが老けてるからって嫌いになったか!アイヤーこれからどうしたらいいんだろうか!」
「誰がきみが老けたのを嫌がったって?」
 孫策の顔を引き寄せ、周瑜はまじめに言い訳した。
「ちょうどわたしは最近造型にちょっと興味があって、きみが中年に変身する格好をさせるよ。うちに行ってお父さんの服をこっそり取ってくるからいいだろ?絶対大丈夫!」
「でも……」
 かっこいいと誇ってやまない顔を撫でさすり、孫策は中年の自分を変身してどんな粗野な男になるものかと考えたくなかった。
「あれー兄さん!策策!きみは瑜児を見殺しにしても平気なの!瑜児はきみの周おじさんにボロボロになるまで殴られそうなのに!」
 孫策の腰に抱きつき首に手を回した。滅多にない愛嬌を振りまく周瑜孫策に対して一番いい方法は「哥」と呼ぶことだとわかっていた。
「おい――オレにとってはおまえの父さんもオレの父さんだ。おいキスするなよ、遅れるぞ!」
 小さい頃から孫策周瑜の硬軟取り混ぜての甘え方に弱かった。今懐にかわいいこが鎖骨にキスまでしてきたのだ。孫策はもはや言うとおりにするしかない。
 土曜日の早朝、家長を呼ばれて緊張の一晩を過ごし、五時半にやっとぼうっと眠った周瑜は早くに目覚めた。しかし中年男として一日を過ごさねばならない孫策は彼よりもさらに早くに目覚めた。周瑜は靴をひきずったまま客間にいくと、ちょうどキッチンで孫策がにこにこしながら冷蔵庫を閉めているところだった。
「きみはなにしているの?」
 あくびをしながら、周瑜孫策が自分より早く起きたことが、程の爺さんが突然笑い出すよりさらに稀なことだと思った。
「よぉ、起きたか?」
 濡れた手をパジャマのズボンできれいにふきとり、孫策はトイレに行きながら困った様子を見せた。
「おまえはおれを中年男に変身させるんだろ?オレはちょっと早起きして自分のこのイケメンな顔をじっくりと鑑賞していただけさ」
「どこがそんなまじめなんだよ」
 孫策が周りの同年齢の男性よりもずっとかっこいいと認めてはいるけれど、周瑜は彼の自分でうぬぼれるお馬鹿な様を受け入れがたかった。
「早くトイレに行ってこいよ、顔を洗ったらわたしがきみを変身させるから」
 理科総合が不合格だったけど、孫策周瑜が本当は聡明で理解力がとてもある人間だとはっきりとわかっていた。さもなければ、彼はどうして毎月のテストで数学を常時百四十点台も取れるわけがないし、どうして一時の趣味で変装の技術を身につけてひとりのハンサムな青年をかっこいいおじさんに変えられるだろうか。当然、孫策も自分が周瑜よりさらに聡明で物わかりのいい人間だと信じていた。そうでなければどうして学校の外でガンガン騒いでおきながら、見られる成績を保持していられるだろうか。どうして「息子」が程爺さんの唾がかかるなか顔色を変えずに平然としていられるだろうか。
 クラスの担任の事務室から出てきて、ほっとひと息ついた周瑜は突然ふざけたくなった。
「ねぇ父さん!」
 孫策の肩によりかかり、手も彼の藍色のコートのポケットに突っ込んだ。周瑜の口調は十七歳の男の子の生き生きしたさまに満ちていた。
「うちの父さんはどうしてそんなにかっこいいのかな!ハハ!」
「それはオレが徳を積んだからだな!」
 指先をそっと周瑜のツンとした鼻梁に押しつけた。孫策は笑うといつもより格好よかった。
「いっぱい喰わせたなこのかわいい息子よ?」
 コートのポケットの中で指を絡めながら、周瑜孫策の手のひらがいつも通り温かいのを感じた。
「息子よ、おまえはオレたちが言った『同年同月同日に死なんことを』を覚えているか?」
 程爺さんと相まみえること二時間弱、孫策はもう父親役に適合していた。
「そんな長生きしてきたパパと息子が一緒に死ぬなんて、パパは本当に大もうけだなあ」
「ハハハ、父さんきみもわたしより一ヶ月先、ああああ…やべっ!」
 程老人にやられてすっかり忘れていた。
「オレは忘れてないぜ」
 孫策はまたにこにこと笑った。周瑜を家へと引っ張って走る。
「ケーキを用意してある。とっくにおまえを待っていたんだ」
 冷蔵庫を開けて、周瑜はいつもはそそっかしくて、スープをすくうのにもテーブル中にこぼしてしまう孫策が注意深くいろんなフルーツで飾り付けたケーキを取り出すのを見ていた。心の内で突然浮かんだ。自分が俗っぽくてこの感動を表現できないことに気づいた。
孫策
 そっと恋人の名前を呼んだ。周瑜は鼻の奥がツンとした。
「きみが今日あんなに早起きだったのはこれを作るためだったの?」
「オレは今週ずっと練習していたんだ、食べてみろよ!」
 形が不格好なケーキを二つに切り分け、孫策は一口周瑜の口元に運んだ。
「わたしは……わたしはまだ将来を約束すると言ってないよ!」
 いささか申し訳なく孫策の手を押しやった。周瑜は自分でもどうしようもなくひねくれているのかわからなかった。
「オレは今朝ケーキを作っている時にはおまえをなんでも受け入れると決めた。早く喰え!」
 再びケーキをすくった手を持ち上げた。孫策周瑜がときたまちょっと恥ずかしがるのがとってもかわいいと思っている。
「うん」
 孫策の手から、周瑜はいちごとマンゴーの混じったケーキを飲み込んだ。
「わたしが将来を約束するときみもわかっていた?」
「そうじゃないと一生策策兄さんとは一緒にいられないだろ?おまえのそのあたりの気持ちはオレがわかっていないとでも?」
 同じスプーンでケーキをすくって口に放り込み、孫策は「おまえを食べることに決めた」という表情で周瑜を見つめながら、相手が怒って否定するのを待ち構えていた。
孫策、ありがとうな」
 うつむき大皿の上のカラフルに彩られたフルーツを見つめ、周瑜はこっそりと目の前のこの人は本当に図図しい。けれども死ぬほど自分も彼と同様厚かましくて、彼の自信満々な所も大好きだった。
「おお――」
 まさか周瑜からありがとうなんて言われるとは思わず、いつもは次の一手まで読むと自負する孫策がどうしてよいかわからなくなった。
「ありがとう、わたしのためにこんなカラフルなケーキを作ってくれて、ありがとう、わたしの一生を共にすると約束するよ」
 孫策の反応を待たず、周瑜は彼の懐に飛び込んだ。感謝の言葉がポツポツと唇からこぼれたが、孫策には本当の告白だと聞こえた。
 その日の夜、高三になってから、十二時前に寝ることが少なくなっていた二人は早々にデスクライトを消し、ベッドでよこたわり長いこと話し込んでいた―― 
孫策、きみは我々で将来どうやって食べていくつもり?」
「ばか、今年は頑張って、いい大学に合格して、それから……」
「でもねわたしは突然大学は受けたくないと思ったんだ」
「どうして?」
「きみは覚えている?二年前わたしときみと口ゲンカしたあと林に行って酔っぱらい達とケンカになったことを?」
「うん」
「わたしははっきりと彼らの顔を覚えているよ。みんな若くて、彼らもたぶんいいとこの大学を卒業しているんだろう、でもわたしは彼らがすでに生活の楽しみを失っていると感じたよ」
「わかるよ」
「だからわたしは最近ずっと考えていたんだ。この一年を切り抜けるか、あと大学四年、その四年を切り抜けるか、わたしたちは本当に望む生活を得られるのかな?」
「オレが保証する。できる」
「うん?」
「おまえは安心しておまえの思う細い道を行け、造型だろうとその他だろうと。オレがおまえの後ろにいて人々の行く大きい道を歩く。もしおまえが細い道で疲れたとしたら、オレはずっと大きい道でおまえを待っている」
「きみは将来を考えたことがある?わたしは本当に造型か、あるいは設計の仕事をしたい」
「考えたさ、十八歳のあの日オレも考えた。オレは化学が好きだ、大学ではたぶん化学工業を勉強するかな?」
「ハハ、わたしたちは本当にいいコンビだね」
「そうだ、規則に従いきちんとしていて、俗っぽくもなく趣味がいい。オレたちが一緒にいれば、少なくとも生活の楽しみを失うことはないと保証する。それにおまえがいてくれたら、もし失敗したとしても生活の頼りとするものは失われない」
「もう一つ問題があるよ、孫策
「うん」
「今日のケーキはなんであんなに多くの種類のフルーツを使ったんだ、完全に調和してないよ」
「そんな調和がどうした?多くの可能性と希望があるのが十八歳なんだ。おまえはこの色とりどりの目を引く色合いに才能の最もいいところが表れているのを感じないか?」

よぼよぼ漢語 策瑜同人 nashichin先生 『蜜月』五

 繽紛 上

 土曜日の蜜月は、さまざまな客達が続々と訪れ、陸遜はカウンターの前に立ち、カウンターとテーブルを絶えず行き交う孫尚香、忙しくミルクティーを淹れながらケーキを作る周瑜を見て、今日は帰ろうか、それとも残って手伝おうか迷っていた。
「おい――このチョコレートケーキを悪いが七番のテーブルに運んでくれないか」
 肩を叩かれ、気がついた陸遜は初めて蜜月に来たときに見かけた焦げ茶色の服の青年が役人ぽい口調と笑顔で一皿のケーキを渡してきた。
「ありがとうな」
「いいですよ」
 皿を受け取り、陸遜は青年が孫尚香の手の中から新しいメニューを取り上げ、またカウンターの中へと入っていったのを見た。こっそり思った。
(瑜兄さんとお似合いでは無さそうなところは、この孫策は笑ってもぶっきらぼうなところだな)
 夜八時、蜜月は閉店した後、周瑜は雰囲気作りのための暖色の壁のライトを消した。カウンターの上には突然白熱灯の明かりがつけられ、半日疲れ切った陸遜はいささか不調だった。
「遜くんは大学を卒業して何年も経っていないんだろう?」
 自らの手でいちご、木イチゴ、マンゴーとやや派手な飾り付けをされたプリンを差し出し、周瑜はゆっくりと話題に入った。
「ぼくは二十四です。卒業して二年あまりです」
 三回目の蜜月への訪問は、客人達が皆帰った後に陸遜はリラックスしてカウンターのスツールに座った。以前の二度の訪問より堅苦しさはなく、まるで周瑜の古い知り合いのようだった。あるいは、孫尚香の言うように、客はみな蜜月の友になるのかもしれない。
「そうなの?二十四でまじめに仕事しているのか、それは本当に素晴らしい」
 陸遜の方を見ずに、周瑜は独りで呟きながら、いちごのついたプリンをすくった。
「瑜兄さん自分でやりますよ」
 慌ててスプーンを受け取り、陸遜はいつも流行の服装をしている周瑜を見つめた。彼と孫策が二十四だった頃の様子は思いつかなかった。
「わたしはずっと思っていたんだ。成功あるいは失敗した二十四歳はみんなぼんやりと十八歳に決定したことに原因があるってね」
 ちらりと陸遜がいちごプリンを味わって満足そうな顔をしているのを見て、周瑜はこっそりと彼の顔に近づいた。
「あごについているよ、ふふ」
「あ……」
 突然周瑜が耳元で温かく湿り気のある息と淡い香水の香りを漂わせたのを感じて、大学四年生になっても女子学生と付き合ったことのなかった陸遜はすぐに顔を紅くした。
「その……瑜兄さん……今の瑜兄さんは十八歳で決意したものなの?」
「はは?いまのわたし?今遜くんの顔を紅くしたわたしかい?」
 「遜くんが顔を紅くするのは予想のうち」といった表情で、周瑜はますますふざけた。
「そうじゃなくて……わたしが言いたいのは……十八歳の決定が二十四歳に影響するとはどういうことなのかって?」
 腰をまっすぐにして、陸遜は慌ただしく水を流し込み、顔の赤みはしばらくは消えなかったが、少なくとも言葉づかいは落ち着いた。
「わたしかぁ」
 ちらと陸遜の目の前のフルーツプリンを眺めて、周瑜は思ったところを述べた。
「このプリンと同じく、調和もなく、雑然として、だが綺麗に入り乱れていて……美味しい」

 十七歳の最後の一週間、高校三年生の学業はしばしば人生について周瑜に無理やり考えさせるようになった。
(この一年を我慢して、未来の四年にきっと光明があるだろうか?もし大学もずっと辛かったら、そんなに歯を食いしばって四年持ちこたえて、さらに遠い未来になにがあるだろうか?)
「十八歳の自分は、どんな感じなんだろう?」
 疲れた目を擦り、机の上にうつ伏せた周瑜はそばのスマートフォンを取り上げた。
「もう十二時か、もういいや、明日朝早く起きてやろう」
 散らばった化学の模擬テストの答案を片付け、周瑜孫策の寝室のスタンドライトを消して客間に行った。
 客間には机の前で赤い髪の毛の青年が素早く計算していた。周瑜はそっと彼の後ろにまわり、彼の三つもピアスを付けている左耳越しに、彼の最後に解いている化学の答案を見た。
「終わった?一緒にシャワー浴びないか?」
 左手で周瑜の首に手をかけ、振り返ってそっと抱き締めている人の耳たぶを咬んだ。孫策周瑜のこっそりとした自分の後ろへの出現も意外ではなかったようだ。
「時間を無駄にする……きみと一緒じゃ少しも眠れない」
 孫策の肩に支えられながら、周瑜はみっちりと字の書かれた答案を拾い上げた。
「わたしは明日も早起きしないと、化学が終わってない……さもないと……」
「自分でやれよ」
 急に周瑜の腕をつかみ、自分の答案をやすやすと取り上げた。孫策は小狡い笑みを浮かべた。
「それとも、オレが今晩教えようか?」
「……自分で早起きしてやった方がマシ」
 孫策の力強い手から抜け出して、周瑜はまっすぐ浴室に向かった。ドアを閉めるときにわざと鍵を掛けた。
 シャーシャーと流水の音の中、周瑜は二年前の自分が怪我をした時のことを思い出していた。
 体に塗る薬のクリームは水に濡らすことができないので、周瑜はシャワーを浴びることができなかった。さらに髪を洗うこともできなかった。いつも誰かの介護を必要とする虚弱な周瑜は、自分の責任を感じてもうふたたび外にケンカしに行くこともなくなった孫策が毎日注意深く周瑜の体をふき清め、周瑜の寝室に運んだ。
 二人とも許すとも言わなかったし、二人とも付き合うとも言わなかった。突然二年間冷戦していた二人がこんなに静かに一緒に横たわっていた。あるとき孫策周瑜の傷を避けてそっと自分の腕枕で眠らせた。またあるときは周瑜は夜中目覚めると孫策の懐にもぐりこんでいた。二年間の冷戦がまるでなかったかのようで、ケンカに行かなくなった孫策は人生で暴力的な面が少し減ったし、人見知りする周瑜も少しは頭が冴えて疎遠な感じがなくなった。
 周瑜の傷がよくなった後、孫策も自分の部屋に戻ることはなかった。二人は両親に黙って孫策の寝室を共同の勉強部屋に改造して、勉強は孫策の寝室でする、寝るのは周瑜の寝室でと約束して決めた。しかし、高三になった後、勉強がますます負担になり、たとえ孫策でももはや授業をさぼったりケンカをすることは少なくなっていた。二人は二人で一緒にいては集中して宿題もできず、夜になっても終わらなかった。
 シャワーを止めると、周瑜は客間で孫策が椅子を動かす音が聞こえた。数ヶ月前、孫策は自分の机を寝室から客間へ移動し、まじめな顔をして言ったものだ。「お前がオレの勉強の効率に大いに影響するんだ」周瑜はわかった。孫策がこうも自分の能力精力を費やしても足りないことを。高二の後、まだ奇抜な格好を好んでいたが、孫策は明らかに学習に力を入れていた。各科目の成績も基本トップのほうにあり、周瑜は外国語は非常に良かったものの、理科系は予想外にひどかった。
 周瑜は思った。自分と孫策は義兄弟の契りを結んでからだんだんと同居する恋人にどうも順調に変わってきていると。それは誰も愛とは言わないし、冷戦もあったし、大げんかもしたし、お互いにムカついたあとに自然と一緒に寝るようになった。愛とは言わなくても幼い頃から一つのベッドでごろ寝するのは子どもの暗黙の了解では? 
「オレの順番だな、小瑜児」
 浴室のドアを開けると、周瑜が一歩外に出ると孫策はすでに服を脱いでいて、あらわになった筋肉質の腹に抱き締められた。
「明日お前は早起きする必要はない。お前のやり残した化学の問題はオレがすでにお前の考えたとおりに下書きしておいた。行って見てみろ、わからなかったら後でオレに聞け」
「……孫策
 頭をぐっと孫策の肩に押しつけ、周瑜はいかんともしがたく指をこつそりと彼のだんだん貼り付いてくるへそを突いた。
「うん?」
 右手を伸ばしてすぐさま奇襲した周瑜の指を握りしめた。孫策は何も知らないと言った純真無垢な顔つきになった。
「汚いんじゃないのか?こうやって抱き締めたら洗ったのが無駄になるんじゃないか?」
 眉をひそめて目の前のハンサムな顔に向けた。熱い湯を浴びてリラックスした周瑜の話し方はややだるそうだった。
「じゃあもう一回洗わなきゃな?」
 後ろ手にドアを閉めて、孫策はシャワーをひねった。
 白く霞む熱気が二人の体のまわりから立ち上り、孫策周瑜のあれこれとした多くもない衣服を脱がせるに任せた。周瑜は突然気づいた。明日どうも早起きすることなど無理なことに。
「十八歳がどんなものか、十八歳になってから考えよう」

よぼよぼ漢語 策瑜同人 nashichin先生 『蜜月』四

光源 下

 孫策との家を出てから、携帯電話、MP3と財布だけを持って周瑜は身軽だった。引っ越しする様子には見えず、まるでもう戻らないかのようにも見えなかった。

 寒い冬は終わった南の地方では、夜の帳の中で伸びた枝の上に新しい緑の新芽がふくらみ、また枯れた黄色い落ち葉が積もっていた。周瑜は街灯のない裏路地を歩き、静かな暗闇では彼の重くもない足音とイヤホンから漏れる大きな音だけが聞こえた。それからポケットの鍵がリズミカルにMP3の金属の外枠にぶつかりよく響いた。

 周瑜はいつも自分がまじめな学生のつもりだ――孫策が好んで彼の「よい子の振りをした笑顔」を揶揄った。そこで正式に孫策の家を離れる前に彼は行かねばならなかった。幼いときに兄弟の契りをを結んだ場所へ。あの対の石像の馬に告げなければならない。

「わたし周瑜は、ここに孫策と兄弟関係を断絶し、同年同月同日に生まれていないし、同年同月同日に死にたいとも決して思わない!」と。

「よぉ、どこの学校の奴だ?こんな遅くにまだ家に帰ってないのか?」

 成長してからあの石像の林の方へは行ったことがなかった。周瑜は昔子ども達が騒いでいた小さな場所はもはやなく、大人達のストレスの発散する酒を飲んでたむろする場所となっているのを知らなかった。林の中から周瑜はほど遠くない距離からぶらぶらと人影が自分の方へと向かってくるのが見えた。

(けっ、ゴミが)
 見たところアルコールの力を借りて強がる大人を軽蔑していたので、周瑜は心の中で罵った後、だんだん近づいてくる四人にかまわず、林の中の石像に向かっていった。

「おい――どこの学校だ?おれが聞いているのが聞こえんのか?」
 酔っ払いと肩が擦れ違ったとき、周瑜はその若い顔と不釣り合いなスーツの男が自分に向かって何か喚いているのが見えた。

「あ?」
 右側のイヤホンを取り外し、周瑜はまわりの四人の男たちをぐるりと見回した。周瑜の櫛で整えた髪は風に吹かれて少し乱れていた。

「よお!学生さんよ、夜の自習が終わったら家に帰らなきゃな、わかるか?」
 手を伸ばして周瑜の頭をもみくちゃにして、酔っ払いはこのときまるで「人生のお手本」みたいに語った。

「どけろ!」
 突然知らない人物に髪をつかまれ、周瑜は無意識にさっき孫策を蹴り上げた右足を繰り出し、酔っ払いの両脚の間を蹴った、もし孫策を蹴飛ばしたことにはまだ少し笑える成分があったが、周瑜のこの蹴りには全くの温情がなかった。

「このガキ死ね!」
 酔っ払いが股ぐらを押さえて地面に縮み上がり痛くて何も言えない様子を見て、さっき側で騒いでいた三人はすぐに周瑜を囲み、襟をつかんで勢いよく地面に転がした。

「どけろよ」
 生まれつき人から手を触れられるのがもっとも嫌な周瑜は、数年前に髪を孫策に触られたきりなにもなかった。今や髪がもみくちゃにされるのみならず、襟もつかまれ、周瑜は酒臭い酔っぱらいに殴り倒されていた。

「ちゃんとお勉強しないとは、くずだなぁ!」
 地面に倒れた酔っぱらいは痛みから這い上がろうとしていた。

「こんな若いうちからくずだとは、後々どうなるやら?」
「わたしがなんだって?はぁ……」

今まで自分は一日中ふざけている孫策を軽蔑してきた。初めて他人が自分を馬鹿にしてきて、周瑜は心から孫策に教えを乞うべきだったと思った。

「あいつの顔を見ろよ、一対四だとわかってないんじゃないか?」

ずっと黙っていた角刈りの酔っぱらいが振り返ってまだ地面で苦しんでいるスーツの男を見て言った。

「ああ違ったな、一対三か?十分だ!お前先に……うわっ!」
「口数が多すぎだ」
 無駄話が好きじゃない周瑜はいつも孫策の他の人にはにこにことして見せていた。それは話を少なくしたかったからだった。そこで角刈りの酔っぱらいが俯いた瞬間、周瑜は足元の石を拾うと投げつけた、相手の目の縁から鮮血があふれ出すのが見えた。周瑜は話が長すぎる人を黙らせるには痛みのみだと思った。 

しかし、反応が素早いといえど、一人がたまたまケンカに巻き込まれる事件で、孫策が人前では「よい子」と言ってはいても、体つきでは三人の屈強な酔っぱらいには少し負けていた。数回身をかわしていたが、肋骨と顔にそれぞれ肘を喰らい周瑜は地面に両手をついて倒れた。

「これで終わりか?ここには石ころだらけだぞ。また拾うんだな!」

足で周瑜の首を踏みつけ、鮮血を拭った角刈りの酔っぱらいは自分を大きく見せて十分満足にひたっていた。
「おい――」

周瑜は口の端から流れ出る血を舐め、わんわんと鳴る頭から少しぐっすりと眠り込んでしまいたいと感じたが、踏みつけられた首の屈辱感から却って負けを認めたくはなかった。

「どけろ……」
 石を握った手を人に蹴られ、指を離した。周瑜は痛くて目の前が暗くなった。だがまだ三人の重苦しい顔がだんだん近づいてきた。

「まだ遊ぶか。おれたちは今日はとことん遊んでやろう!」
 地面に這いつくばり、周瑜は手で頭を守った。痛みを我慢し何本もの足蹴りを喰らいながら理由もなく孫策が毎回ケンカに出かけていく時の勝手気ままな顔つきを思い出していた。

孫策のバカ!いつもお前もこんな風に人を殴っているのか?」
 だんだんと、体の痛みも感じなくなってきた。周瑜は頭を押さえる手を緩めた。

 頭の中での孫策のケンカの時の服を翻し残酷な目つきもぼんやりとしてきた。意識を失う前、周瑜はまた幼いときに孫策と兄弟の契りをかわしたことはこの人生で最大の誤りだと感じた。

周瑜よ、報いに遇ったんだな。誰がお前を彼の弟にしたんだ?彼がケンカするなら、今日おまえも報いを……)

 目が覚めた時、空はまだ明るくなっていなかったが、側には酔っぱらい達はいなかった。俯いて襟の血を見た。周瑜は起き上がろうとしたが、肋骨のあたりから激痛が走って動くに動けなかった。

「ひどい目にあった。動けない」
 あきらかに全身殴られて傷だらけだった。周瑜はこのとき一番に考えていたのは早く石像の馬のところまで行って孫策との兄弟の契りの誓いを解除することだった。もしこのとき孫策がいたなら、彼がこのように自分との義兄弟関係を断つことにどんな感想を持つだろうか。

携帯電話を取りだし、かすかに発光する画面が周瑜に幸いにも難を逃れたことを示していた。そこで考えを止め、地面に「敗戦者」としてよこたわり、電話帳から孫策の名前を探し出した。長い沈黙の後、電話の向こうはまだ沈黙していた。

孫策
 そっと二文字を吐き出す。周瑜は口の中に残った血腥さを感じ、口が開きにくかった。

「引っ越しの荷物を運ぶ手伝いが必要か」
 孫策の声は少し揶揄いの色を帯びていた。

それから周瑜が聞くにふつうではなかった。
孫策……」
 言うのもおかしなことながら、自分でも孫策周瑜が好んで笑顔で言葉での大人数との交流を避けていたのを認めた。だが孫策としゃべるのはなんとも嫌ではなかった。
「わたしは感じるんだ……もうすぐ死ぬって」

胸の痛みを耐えながら、周瑜は一言ずつ言った。心の中では得体の知れない興奮があった。

「最後に一目逢いに来てくれないか……兄さん?」
「よい子が、なにをおかしなことほざいてる?」

言葉を惜しむ周瑜とはぜんぜん違って、ワル仲間を多数抱える孫策は揶揄いの言葉には反応しなかった。
「ゴホンゴホン……」

咳をして、耐え難い傷みの胸元を押さえた。周瑜は強がって平気な話し方にしたが起伏がいささか現れた。
「きみは来るの来ないの……ゴホンゴホン」
「おまえはどこにいるんだ?」

あきらかに周瑜の異常に気づいた孫策の声はまじめなものになっていた。だが彼は依然として夜に言い争ったことで心中不快だった。
「兄さん……ゴホンゴホン……ゴホンゴホン」

口から血を吐き出した後、周瑜はもう話す気力もなかった。画面がだんだん暗くなっていく携帯電話を手放し、上を向いても見えない星の夜空を眺めた。まるで孫策が自分を探し出せないことを気にもとめない己のようだった。

 空が明るくなり骨を刺すかのように冷え込んだ。精神を刺すような傷みはゆっくりとけが人の傷みを散らした。深いところでは知ることはないが、この時眠りそうになっていた周瑜は、誰か別人に言いたかった。「羊が多ければますます寝付かれない」理論を。けんかして傷ついた目のまぶたを開けていようと努力し、心の中で数えた――。

孫策がひとり、孫策がふたり、孫策が三人……」
周瑜周瑜!」

三百九十四の孫策を数えたとき、周瑜は突然誰かが自分を冷たい地面から抱き起こしたのを感じた。

彼が寄りかかっているのはもう温度のない土ではなく、しかもよく知っている匂いの久方ぶりの抱擁だった。

「おい……本当に早かったな……孫策、お前はどうして来られたんだ?」

 目を開けるのもむずかしくて、周瑜は抱擁している孫策を見てもはっきりとしなかった。
「……」

 抱擁のなか馬鹿笑いしている人をきつく抱き締め、孫策周瑜にこんなに遅くにこんなところにどうしてきたのかとは問わなかった。いったい誰が手ひどく殴ったのかも聞かなかった。ただ抱き締め、温め、寄りかからせた。

孫策……きみはどうして……ここを探し当てたんだ?」
 孫策の早まる鼓動を感じて、周瑜は彼がきっと電話が切れた後すぐに林に駆けつけたと思い、心中であの夜の口ゲンカに勝った快感がこみ上げた。

「カンだな」
 そっと周瑜の泥にまみれた髪をなでつけながら、孫策は両親にも見せたことのない微笑を浮かべた。

それは嘘ではなく、お愛想でもない。
孫策
「うん」  

周瑜の髪を撫でていた手はだんだん顔に移り、返事をしながら孫策は抱き締めている人の顔に付いた血をぬぐった。彼はいつもは髪を逆立ているが、その髪も目に覆い被さっていた。

仰向いている周瑜のほかは、誰も彼のこの時の眼の中にある優しさと後悔を見ることはなかった。
「キスしてくれ……キスしてくれたらわたしは……痛くない」

 周瑜は以前孫策がそんなに強くなかった頃、毎回小さな子ども同士でケンカして殴られて青や紫の跡をつけていた。負傷した後、にこにこして孫策はいつも目に涙を溜めて目の前でだだをこねて甘えた。

「瑜児、瑜児、キスしてくれよ。キスしてくれたら痛くないよ」
 周瑜は内心自分の幼稚さを笑ったが、こっそり自分もこんな風に強引に甘えてみせる日が来たことを喜んだ。

「……」


 そっと口づけを周瑜の唇に落とし、孫策周瑜のおふざけに付き合った。 

孫策……」
 二つの唇が重なった温度は心の奥まで伝わり、周瑜は突然目の前の自分に頼ってきていた不良が本当はこの二年間感じていた嫌悪感などなかったことに気づいた。
「うん」

孫策の口数は今晩は不気味なほど少なくて、彼はずっと動かず周瑜を見つめていた。
「わたしを負ぶって帰って……」

人は突然温かみを感じたとき、よく感動して涙をこぼす。周瑜は横を向いて孫策に自分の目元を隠し言った。
「帰ろう……わたしたちの家に……」

「うん」
 肋骨にも腹にも傷があって起き上がれない周瑜は、勢いよくそっぽを向いたままの顔で孫策に優しく抱き起こされた。

「帰ろうオレたちふたりのの家に」
孫策」 
 涙がこらえきれずに流れ落ちた。周瑜は思いきり孫策を見ないことにした。

「うん」
 冷戦すること二年、孫策の眼の中では、懐の傷だらけの周瑜は手放すことのできない弟だった。

「わたしは多くの人に微笑んできた。ただひとりきみとだけ悪ふざけをする」
「うん」
「わたしは彼らと話をしたくないんだ……」
「うん」

「わたしはきみには嘘をついたことはないよ……」
「うん」
「ねぇ……嫌わないで……」

「わたくし孫策は」
 周瑜が言い終わる前に、孫策は小さく独りで呟いていた。
「永遠に嫌わないし、周瑜は人前で微笑むよい子だろうが、孫策の前ではワガママでバカな弟です」

「……ありがとう」
 孫策の懐で思わずしゃくり上げた。周瑜は顔を上げて彼のだんだんと明らかになってきた大人の男の輪郭をもつ顔を見つめた。まるで一種の肉親を越えた濃密な感情が溢れた。

舌に感じた苦みを言葉で表すのなら、どんな言葉で表現しきれるだろうか?

心に満ちた甘い蜜を表すのなら、どんな言葉で表現するに足りるだろうか?

 

 陸遜はスプーンを使って堅いナッツのようなものを押さえた。かたまりは割れた後、プリンに似た黄色いクリームが中からゆっくりと出てきた。
「味わってみて」

周瑜はついに陸遜に水を一杯差し出した。
「味わってから水を飲むかどうか決めてみて」

半信半疑でスプーンに半分クリームをすくって、陸遜はクリームを口に入れると同時に水の入ったグラスを受け取った。

しかし、清水がグラス一杯に満たされていたがそれを必要とすることはなかった。レモンの爽やかな香りとヘーゼルナッツのペーストの鮮烈な甘みが口の中を満たした。まさにさっき舌を占領していた苦みを一撃で洗い流した。陸遜は信じられないという顔で笑いがこみ上げている周瑜を見た。

だが、彼がこう言うのを聞いた。
「多くの人がスイーツは最初から最後まで甘いと思う。だけど激しい苦みの後に味わう甘さこそ人の心神に染みこむんだ。アレと一緒じゃないか?暗闇で修行する苦行者が、ある日ついに暗闇の終わりに金色の眩しい光源を見つけるような」

 

 

よぼよぼ漢語 策瑜同人 nashichin先生 『蜜月』三

光源 上

 二年間順調に企画編集者として出世した若者として、陸遜は雑誌『都市』の中で原稿は遅れないという名声を誇っていた。しかし蜜月から帰ってきて、青梅の飲みかたとその物語をだいたいは理解したものの、彼は遅々としてパソコンのワードの上では一文字も書けていなかった。さらに自分が満足するまとまった内容ができあがらなかった。

 目を閉じ、頭の中で浮かんだのはあの周瑜の優しくいささか偽りを含んだ顔だった。そしてカウンターのなかで一言もしゃべらずにいた焦げ茶色の服の青年。
「そんなに単純なことではないな」
 陸遜は心の中で自分に言い聞かせた。彼はぼんやりと感じていた。

 まだ聞いていない残りの六つの物語も蜜月との関わり合いがよくわからないし、さらには一つのスイーツの紹介も書けていなかった。

 次の日、午後の休憩のピークが終わるのを待たず、陸遜は早々と蜜月にやって来た。孫策周瑜は二人とも不在のようで、辺りを見回すと、孫尚香のいささか怒った顔が現れた。

「おやぁ、編集者さん、今日はわたしはあなたの相手をしている暇はないわ。忙しいの」
 昨日陸遜が自分の名前を名乗らなかったことを気にしているようだった。孫尚香は軽く睨んでフンと鼻を鳴らした。陸遜はあきらかに自分より背の低い少女が自分に対して鼻を突きつけているように思えた。

「瑜兄さんたちはみんな留守なの?わたしが手伝うよ」
 大人ゆえ十代の少女と口ゲンカをするわけにもいかず、陸遜はコートとかばんをカウンターの下にしまい、孫尚香に手伝う意思を見せた。

「あぁやめてよ!」
 陸遜が腕まくりしてコーヒーを淹れようとすると、孫尚香は嫌そうな顔をしてコーヒーの缶を奪い取った。
「瑜兄ちゃんはすぐに戻ってくるわ。彼はもう今日あなたたちの雑誌のおすすめにするスイーツを決めていたわ。あなたはここに座って食べてみない?わたしのお仕事の邪魔をしないでちょうだい!」

「わかったよ。それじゃあ瑜兄さんが帰ってくる前に食べるよ」
 本来時間を早めて来たのは、早めにスイーツを味わってから、周瑜の物語を聞く心の準備をしておくためだった。陸遜孫尚香の挨拶もそこそこに、半円形の黒いスイーツを受け取り、味わおうとした。

「これは光源、うちの店では注文するのは少数派ね……とっても苦いの。わたしは苦手」
 孫尚香はスプーンを陸遜に差し出した。彼が大きくすくい取って口に入れるのを見て、にこにこと笑い彼に少しも甘くないことに気づかせた。
「……お水をくれないかな?」

 アイスクリームのような滑らかさとブラックコーヒーのような苦さが口の中で混ざり合い、苦みが口の中で広がった。陸遜はこっそり苦いと叫びながら、孫尚香に助けを求めた。
「ごめんなさいね……」

 視界のうちに陸遜の手招きを入れながら、孫尚香は楽しそうに笑った。
「瑜兄ちゃんが言ったわ、あなたが光源を食べ終わるまで、水を飲ませないようにって!」
「べつに遜くんをいじめてるわけじゃないさ。みんなうちの店のために原稿を書いて貰うから、協力さ協力しなきゃ」

聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。周瑜の出現は苦さに水を求めて得られない陸遜にとっては一陣の雨のようだった。
「瑜兄さん、これ……ひどく苦いよ……」
 周瑜がニヤニヤ笑いながら陸遜の頭を撫でた。「遜くん、ためしに完食してみて。最後には意外な驚きがあるから」

「なんの冗談、瑜兄さんもそんなチンピラみたいにニヤニヤ笑ってるの?」
 内心不満だったが、陸遜は半信半疑でスプーンでスイーツをすくって食べていた。ブラックコーヒーのクリームの奥にナッツのようなかたまりに突き当たった。
 舌に感じる苦さはなんと言ったらいいかわからず、それを表現する言葉がどこにあるだろうか?

 

「おい、高校の初めての期末テストお前も寝ちゃうつもりなのか?」
 きっちり身なりを整えた周瑜は自分の紫色のダウンジャケットを孫策の顔の上に投げつけた。言葉遣いはお役所みたいに気持ちがこもっていない。
「めんどくせぇ、勝手にしろ」

 よく知った匂いのダウンジャケットを投げやり、孫策周瑜にかまわず背を向けた。
「いいさ、勝手にすれば」
 孫策の寝室は鍵が掛けられた。周瑜は自分の鞄をまたいで玄関に向かった。普通のルームメイトのように相手に試験まであと一時間だと注意するようではない。さらに親密な友だちのように相手をベッドに呼んでいるようでもない。彼に言わせれば、毎日早朝睡眠をむさぼる孫策に声をかけるので同居人としての責任を果たしている、孫策が起きるか起きないかは自分には関係ないことだと。

 ことのはじめは、二人が周瑜の両親の家からこの2DKの部屋に引っ越してきた三年前に遡る。

小さい頃から一つのベッドに並んで眠り、一つのテーブルでごはんを食べ、何のためかわからず兄弟の契りを交わしてさえいた。孫策周瑜は両家の父母の心の中では血の繋がった兄弟よりも絆の深い兄弟達だと思っていた。小学六年生のころ、ときどきゲーム機を巡って団子のようになってケンカするほか、二人は順調にこっそり悪いことをしたり、隙無くパパママを騙していた。周瑜の家に住むこと六年、一人しか子どもの居ない周家のパパママの心の中では、孫策はもはや周瑜と同様に自分たちの大事な宝物のような子どもだった。

しかし、十歳ごろのこどもにとっては、一日同じように身体は成長しても、周瑜はいわずもがな二人のベッドはだんだん思春期に進んだ男の子が並んでは居られなくなった。周瑜の寝室にもう一つベッドが置かれた。だが長いこともつものではなかった。三年前の春節春節に帰ってきた孫家のパパママは例によって周家でごちそうを共に食べ、成長した息子を眺めた。両家は話し合って六年間孫家が留守にしていた部屋を二人の子ども達の学習専用の部屋にすることを決めた。二人は進学するときに孫家に住み、週末周家に戻ってごちそうを食べた。

中学に進んだばかりの元気がありあまる子どもにとって、両親からのしつけから離れて子ども同士で同居することは非常に大きい喜ばしいことだった。同級生と遊ぼうとして、一味で家に帰ろうとも出かけようとも管理されないのだ。最初、周家のママと孫家のママは少し子どもだけにしておくのは不安だったが、周瑜が正月のごちそうをみんなで食べているときに間違いなんて犯したことのないよい模範生ぶりを示したので、ついでに孫策も四人の家長から「周瑜孫策をちゃんと面倒見る」との錯覚が生まれた。そこで両親は手を放し、子どもは自由になった。

「学習専用部屋」に引っ越すなり孫策周瑜は見張りの居ない自由な生活となり、孫策に言わせれば、「オレ様は生まれてこの方こんな爽やかなことはない!」と。
 しかし、良い時期は長くはなかった。青春真っ直中の男の子は身長が伸びるのを除けば、怒りっぽく変わってくる。二人は反抗期の数年間に突入し、2DKの部屋の中では口ゲンカが広げられ、センチメンタルなおふざけからますます激しい冷ややかな嘲りと辛辣な風刺に取って代わられた。

 今日周瑜孫策の新しく染めたての髪が野暮ったいビルの下の毛の抜けた年取った犬みたいだと馬鹿にして笑うと、翌日には孫策周瑜のことを人によって態度を変える、若くしてつまらない大人みたいだと軽蔑するのである。幸いにもどんなに相手が感じが悪くても、孫策周瑜はまだ長期的に生活するという暗黙の約束を守っていた。毎週末にはにこにことして周瑜の実家に行きごちそうを食べ、年越しには両親の目の前ではお互い学校ではまじめに仲良くやっているとふるまっていた。

「兄ちゃん!兄ちゃん!早く降りようよ!」
 バスでうとうとと眠りこけていた周瑜は側の幼い「兄ちゃん」という声で目を覚ました。

 振り返ると六、七歳ぐらいの男の子が 自分の兄の手を引きドアに向かった。
「ちぇっ、お前の兄ちゃんじゃねぇよ」

 昔のよくわかってもいない頃の兄弟の契りを思い出し、周瑜は思わずこっそりと首を振っていた。

「人間って若くして無知だなぁ、誰があんな奴と同年同月同日に死にたいもんか」
 八時三十分、目覚まし時計が長いこと鳴りつづけていたが床に蹴り飛ばし、ついにパンツ一丁の主が拾い上げた。

「くそっ、あいつもうるさいし、こいつもうるさい、おまえらみんな放り出しちまおうか」
 鏡の前で染め上げられた淡い金色の髪を立てて、孫策は額を露わにして少年独特の傲慢不遜な様子を見せていた。周瑜がさっき投げて寄こしたダウンコートを羽織り、不良少年らしくフンと鼻を鳴らした。

「まじめな学生の服だな」
 しかし、そうは言ったものの、孫策は仕方なくそのまじめな学生の服を着てテストに向かわねばならなかった。少し前に周瑜が二人の冬服をドライクリーニングに出してしまったようで、彼の唯一の一着は昨日ケンカの時に河辺に忘れてきてしまった。

 本当のところ、孫策周瑜のことが好きだ。でも彼が人前でよい子の振りをするのが気に入らなかった。孫策はよい子っぽい周瑜のお馬鹿さ加減を見通していておかしくなった。

 だが、周瑜はさほど孫策のことが好きではなかった。でも、自分と共に成長してきた兄に対して一切相手にしないなんてことはできないし、周瑜はもし自分が孫策のために両親や先生の言いつけを守らなかったら、現在のように世間の温情というもの知らなかったと認めるだろう。

 期末テストが終わった夜、学生はやりきったと喜び祝うものだが、孫策周瑜は部屋に入るなり口ゲンカを始めた。

「明日堅おじさんが出張で来る。うちの実家に食事に行かなきゃならない。きみは今日の格好で行けよ」

ショルダーバッグを放り出し、周瑜はさっそくテレビに向かってゲームを始めた。

「あ?オレたちの服はまだ取ってきてないのか?」
 両手に提げたドライクリーニングの袋を持ち上げて、孫策は自分はもう周瑜の服を着ないと表明した。

「きみの服はケンカに着ていったろう、どうして、久しぶりに会えるお父さんに見せられると思うんだ?」
 一人ゲームにのめり込み、周瑜は淡々とした口調のなかにもいつもの揶揄いが含まれていた。

「どういう意味だよ」
 孫策の声は小さく、二つの袋を床に投げた音はかえって大きかった。

「その意味は、お父さんに会いにいくのに、そんな服を着ていると、わたしまできみと一緒に叱られてしまう」

  頭を動かすことも面倒で、ゲームの画面に集中する周瑜はまったく孫策の暗くなってきた顔色に注意を振り向けなかった。

「ぱー」
 電流が流れる音がして、電源が抜かれてテレビ画面は真っ暗になった。反応しきれない周瑜は腹を立てた孫策に床に押さえつけられた。

「やるか、ケンカしたいのか?」
「おれがお前にそんなにうんざりさせたか?まじめな学生の振りはやめろよ、気持ち悪いだろ?」

 孫策周瑜をしっかりと地面に縫い付けた。だがあきらかに力が自分程なく、ケンカも勝ったことのないまじめな学生は慌てることも抗うこともしなかった。さらに軽く言われた「ケンカしたいのか」が火をつけた。
「わたしが気持ち悪い?みんながきみみたいに授業に出て眠りこけ放課後にはケンカ三昧の方が気持ち悪いじゃないか?」

 心の中にモヤモヤとしていた人は押さえつけながら気持ち悪いと罵られ、側の人間からもいつも優しく笑っていると見られる周瑜も怒りに燃えた。

「ふん、人をみな騙して、男らしいと言えるのか?」

 孫策は手で周瑜の首をつかみ、いつでも攻撃できる態勢をとった。
「人を見れば誰とでもケンカする、人間らしいといえるのが?」

 孫策に上から見下ろされ、身体を押さえられながら、周瑜は自分が何を言おうが孫策が一撃も振り下ろすことはできないという自信があった。

「オレがお前を殴ったことがあるか」
「わたしがきみに嘘をついたことがあるかい?」

「おまえ!」
 周瑜の首の上にある指は握りしめられることはなく、孫策周瑜の襟をつかんで壁の隅に押しつけた。

周瑜、もう一度聞く、おまえはおれにムカついているのか?」
「きみはどう思うのさ?」

薄目を開いてまっすぐと孫策を見つめ、周瑜は問いを返した。
「わかった!そんなにオレと一緒にここに三年も暮らしたのは苦労をかけたな」

周瑜の我関せずといった冷たい表情を見て、ひどく怒った孫策は思いきって手の力を緩めた。

「今日お前を母親のところに返そう!」
「わかったよ!」
 孫策の追い出し命令を聞いて、周瑜はどこからかわからない力を込めて、右足を繰り出し孫策の腹を蹴飛ばした。

「この蹴りは、お前の借りだ。小さい頃わたしがきみに代わってきみのお父さんにビンタされたのを覚えているかい?」

「チャラになったか?」
 痛む腹を押さえながら、孫策はまさか周瑜がこっそりこんな陰険な攻撃をするとは思わなかった。

「チャラになったなら帰れ、オレはお前がここにいるのを見たくない!」
孫策……」

孫策がバンとドアを閉めた、彼の青春期の少年の痩せたシルエットをぼんやりと部屋の隅で周瑜は寂しそうに見ていた。

幼い頃から今まで、孫策周瑜はケンカしたことがなかったわけじゃない。だがこのひどく不愉快な二年は二人で一度も周瑜の実家に帰ってにぎやかに過ごしたことはなかった。   孫策は友だちの家に遊びに行っていた。散らばった床の衣服を畳んで重ねた。

周瑜は自分が悪いとは感じた。「帰るんなら帰る、チャラになればいいさ!」

 

よぼよぼ漢語 策瑜同人 nashichin先生 『蜜月』ニ

青梅

「きみが今飲んでいるこの梅のお茶、口当たりがその他の梅のお茶と違うところがあるかい?」
 周瑜はタバコを捻り消し、最初に語り始めたのは興味を引くためではなかった。
「美味しいことを除けば、なんと言うこともないだろう?」
 ありったけの言語能力を絞り出しながら、ガラスのカップをもう一口飲む。陸遜はまったく自分の表情が周瑜によって全て見透かされているとはわからなかった。
「口当たりがいいことを除けば、その実特別なことはないんだ。そうだろ?」

 笑いながら陸遜の代わりに丸く収めた。周瑜陸遜が口を開くのを待たずに話している。
「みな青梅を浸けたお茶なんだ。どこにも変わったことはそんなにない。またどうしてそんなに違う必要があるかい?飲むと酸っぱい中にも甘みがあり、香りが良くくどくない。これも大差ないことだ。美味しさを感じるときに他のものと異なっていると強調しなければならないとしたら、我々は梅の爽やかな香りを裏切ることになるだろう」
 グルメ編集者のインタビューでまずはずさないのは「あなたの店の料理の特別なところを語ってください」だ。この一点は陸遜はわかっていた。彼は予想外にも周瑜が彼よりわかっていた。

「瑜兄さんの言いたいのは?」
「青梅は、未熟の美だよ。もしこの梅のお茶に特別の風味があるのなら、それもわたしに孫策が語ったことさ」
 周瑜はよくわかっていないような顔の陸遜をちらりと見て、そっとトングでレモン水の中に二つ氷を足した。
 陸遜は彼がのんびりとグラスを揺らすのを見ていた。二つの氷は融けずにコロンコロンと音を立てた。
(ほんとうに変な人。こんなに寒い日に氷水を飲んでいるなんて)
 陸遜はこっそりと裏腹なことを考えていた。陸遜周瑜の声が低く小さなものになっていることに気づいた。影になった輪郭はさっきよりもなんとなく柔和さが増したようだった。

 

孫策!前には水たまりがあるぞ、逃げるな!」
 子どもの幼い声が広々とした林の中に響いた。春節の喜びに溢れたような格好の周瑜は懸命になりながら、遥かに遠い孫策を追いかけ、はぁはぁと息を弾ませていた。
「鍋ぷーと呼んでやろうか?」
 やたらめったらに走り回る孫策は突然足を上げた。前歯の抜けた彼が話すと息が漏れていささか言葉がはっきりしない。
「おいやめろ! 」

 六、七歳の子どもの頭の中では、このたった自分より一月年上という『舌っ足らず』のお兄ちゃんが天よりも甚だしい屈辱で、周瑜は強情にも思った。
(わたしの足はきみには及ばないが、口先でもきみに及ばないだろうか?)
「おい!くどくど言ってるな先に建物に着いたら鍋、お前は今は言わないが、呼ばれるのを待っていろ!」
 勝つことを信じきっている孫策はだるそうに息切れした周瑜の無駄話聞いていたが、背を向けてまた早く走り去り睨みつけてかんしゃくを起こしている子どもを放り捨てていった。
孫策!きみはうちでたくさんごはんを食べて一番広いベッドを占領している!どうしてわたしにひどいことを言うんだよ!」
 ひとこと惨めに叫んだ後、さっき孫策に注意したばかりの水たまりに周瑜はまさか自分が滑って転ぶとは思わなかった。
「ハハハ!お前が鍋と言わせなかったらこれだ!当然だ!見たところ泥だらけだな、お前今晩爆竹を見に行くのにどうするんだ!うちのパパが贈ってくれたばかりの服なのに!」
 数秒驚き固まっていた後、周瑜は俯いて泥にまみれた新しい服を見つめた。孫策に見られた後こんな風に揶揄われると思うと、膝の痛みも物とせず、立ち上がって帰ろうとした。
「動くなよ!」
 孫策の声が後ろからした。周瑜は振り返ろうともしなかった。彼の得意げな笑顔を見たくなかった。
(どうしてそんなに伸びる脚なんだ!誰よりも早くて、外国まで行くよりももっと早いんだ!)
「動くな、まだ逃げるのか!」
 周瑜が振り返ろうとしないのをみて、孫策周瑜の目の前に出た。
「転んだのか?」
「顔をぶつけた!きみは笑うだろう、その前歯を見せつけてね!」
 肩は孫策に強くつかまれ、周瑜は内心とは逆にその場で焦った様子も孫策に見られた。ひどく汚れた顔を孫策に近づけ、手を伸ばして彼の口元を引っ張り笑顔を作り言った。
「笑えよ、わたしはきみより足が早くないし、こんなに汚い!」
「笑えってか?ズボンを脱いで見せてみろ!」
 周瑜の膝の部分は他の所よりもっと汚れていた。孫策周瑜が手を動かす前にズボンを脱がせて、怪我をしていないか、赤くなっていないか見ようとした。
「きみは……」
 あるとき、子どもの涙は予想がつかない。お尻を十も叩かれても一粒の涙もこぼさないときもあれば、一つのあめ玉をあげるとにこにことキスされたときにわあわあ大泣きすることもある。まさかいつも他人の失敗を喜ぶような孫策がこの瞬間自分に怪我がないかどうかこんなに心配していて、周瑜は鼻の奥がツンとした。長いこと強く我慢していたが、「あ」と声が出た瞬間、大粒の涙が孫策の手の甲にしたたり落ちた。
「どこが痛いんだ?なあどこだ?ここかそれともここか?」
 いきなり周瑜が泣き出し、孫策は自分の手が強く傷口に響いたのだと思って、周瑜の紅くなったひざ小僧をそっと揉んだ。
「わぁーわぁー」

 ひざに孫策の暖かい手のひらを感じて、周瑜はますます激しく泣いたが、痛くはなかった。そして孫策の両親が仕事の都合で孫策を自分のうちに一年預けていることを思った。ベッドを半分占領されているのみならず、お風呂も半分こ、両親の愛も半分こ、周瑜は特に我慢を強いられていた。しかし、男の子は簡単に泣くものではなく、いつもは不快に思っても我慢してきた。しかし、今日はいつものようにはいかなかった。もう涙は流れてしまったし、この時とばかりに多めに泣いて、未来の分まで泣いてしまうのが一番だ!
「おまえ泣くなよ!オレはーオレはーあーー」
 今まで周瑜が泣くのを見たことがなく、孫策はひざを揉みながら突然一緒に泣き出した。
「きみなんで泣いているの?」
 孫策が泣くと周瑜の涙は止まった。彼はわからないといった様子で尋ねながら、泥と自分の涙にまみれた両手で、孫策の涙を拭おうとした。
「だから――お前が痛がるから――う――」
 周瑜の汚い手で触れられて、孫策の白い顔に幾筋もの泥がついた。両目を赤くして泣いている顔はまるで何日もごはんを食べていない物乞いのように見えた。
「ぷぷっー」
「お前はなに笑ってるの?」
 目の前の周瑜が泣き止み笑うと、孫策は少し呆然として彼を見つめた。
孫策の顔みっともないよ!ハハハハハ!どっかから来た物乞いみたいだ!」
 ついに我慢できずに大笑いし始めた。周瑜はこの時泥付きの孫策の顔が誰による傑作かきっと忘れていた。さらにはその実孫策の目に映る全身泥だらけの自分こそが本物の物乞いみたいであることに気づいていなかった。
「痛くないのか?」
 目の前の我慢していた子どもが笑って、孫策も自分を笑いものにしたことを気にせず、両手を広げて周瑜を懐に抱き締めた。
「これからはそんなにあせるなよ、オレとお前は年が違う、お前はオレより小さいだろ」
 まじめになった孫策は、話してもそんなに歯の隙間から息は漏れていないようだった。
孫策、わたしは――汚れている、堅おじさんが買ってくれたきみの新しい服を汚してしまうよ、わたしたちは今晩はこれから爆竹を見に行くんだから」
 不安げに孫策の懐に寄り添うと、周瑜は朝の孫策の一年も会っていない父から送られてきた新しい服に着替えている楽しそうな様子を思い出していた。心の中で少し申し訳なく思う。
「オレの小瑜児は汚くない!」
 ふさふさした頭を周瑜の首元に埋めて、孫策はもごもごと言った。
「きみはまたヒーローじゃないだろう……」
 周瑜は内心小瑜児という呼び方はひどく女の子っぽいと思ったが、孫策の熱い息を感じて反論できなかった。
「うん?」
「わたしたち呼び方を変えない?」
 孫策の肩に下あごをのせながら、周瑜はほど遠くない場所に騒がしい子ども達が林のほうから駆けてくるのが見えた。
「でもおまえはオレより小さいし」
 孫策はちょっとおもしろくなかった。
「たった一月だよ……」
 わずかな沈黙のあと、負けを認めた周瑜は言った。
「わたしを小瑜……か瑜児と呼んでもいいよ」
 耳元に孫策のフンというのが聞こえた。周瑜は仕方なくして小瑜、また瑜児になった。
「それじゃあオレを鍋と呼ぶか?」
 瑜児と呼ぶ許可を得て、感動した孫策の話し方はまた息が漏れていた。
「策策……わたしは策策と呼ぶのがいいな」
 自信なく孫策を押しのけ、周瑜は説明した。
「さっき走っていったあの二人の子どもが、前を走る子が後ろの子を嘉嘉と呼んでいたのが聞こえたから……わたしはその、重ね字で呼ぶのはとってもかっこいいなと思ったんだ。哥っていうのはどこでも使えるし、きみも弟妹ができたら、彼らもきみを哥と呼ぶだろうし、誰でもきみを哥と呼べる」
「おいおい!」
 周瑜を地面から立たせて、孫策はこの説明に満足したようだった。
「じゃあ瑜児は心の中ではオレを兄貴分だと認めるんだな?」
「……うん」

 孫策に引っ張られながら林の中へ進んだ。周瑜は兄貴分だと思ったから哥だと。これから小学校に上がってケンカの多数の助太刀も頼めない。
「オレたち今日ここで結拝して兄弟の契りを結ぼうぜ!」
 林の中の馬の石像の側で、孫策は突然俠客風に言い出した。
「あ?契りってどうやって誓うの?」
 寒い風が吹きつけ、周瑜は侠客の大物孫策が震えるのを見ながら、頭の中ではテレビで見たセリフを思い返した。
「山に棱が無くなり、天地合す?」(※詩経 上邪)
「おまえはバカだなぁ!それは結婚だ、オレたちがするのは結拝だ!」
 周瑜は『結婚』と聞いて両頰が赤くなるのを感じた。孫策はまたやくざっぽく笑って、周瑜を一緒に跪かせて、口を開いた。
「わたくし孫策……早く言えよう!」
「おうおう、来いよ来いよ!」
 孫策に引っ張られ地面に一緒になって跪いた。周瑜はやっと次の言葉がわかった。
「わたくし孫策
周瑜
「ここに兄弟となる同年同月同日に生まれることを求めず、同年同月同日に死なんことを求める!」
 誓いは終わり、孫策は素早く石像の馬によじ登った。
「瑜児、よし決まったぞ。約束を違えたらそれから一生馬にして乗ってやるぞ!」
「うん!」
 遅れを取らず周瑜ももう一匹の石像の馬に向かった。いささか労力を要したが、ついには馬に乗り孫策と肩を並べることができた。

 

「リンリンリン」またドアベルが鳴った。夕方近くになりスイーツ店は賑わってきた。孫尚香はメニューを持ってテーブルの間を行き来し、あちこちで客達に店の新しいスイーツを薦めている。陸遜はわからないという顔をして周瑜の優しい目元を見つめた。
「それが青梅の物語なんですか?」
「そう。いわゆる未熟の美だよ。でも二人の美なんだ。きみが今日飲んだ梅のお茶は、爽やかで甘い。それは蜜月のオリジナルではない。ただきみの心の中で甘いものがあれば、きみの生活はさらに若者の期待に満ちたものになる。ただそれだけさ」
 立ち上がり他のお客さん招く準備を始める。周瑜は青梅の物語語ったが、引きつけられるものではなかった上、捉えどころの無い尻尾をまた付け加えた。
「その瑜兄さん……あなたが梅のお茶を飲むとき、飲んだ後どんな味がしましたか?」
 周瑜を追いかけ、陸遜はあきらかに答えの見える問いを出して、自分の舌を後悔した。
「もちろんそれは……愛かな。遜くん」
 横顔の周瑜は笑うと優しく、陸遜は彼が振り返って今戻ってきたばかりの焦げ茶色の服の青年のもとへ行った。スイーツ店はだんだん来客が増えまたにぎやかになってきた。