策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

よちよち漢語 三十 需要愛先生「思為双飛燕」

十二章 附袁 袁術に付く

 周瑜の付き添いがあり、孫権はまるで気楽で簡単に二張を訪問する任務を成し遂げたと話した。数日旅程を遅らせた周瑜が帰った後、孫策は自ら二張を訪ねてあいさつした。
 しかし、曲阿に戻った後、孫策は明らかに悶々と憂鬱そうであった。
「お兄ちゃん」
 孫権孫策が庭で眉をしかめているのを見て、内心わけがわからなかった。
「今回のおでかけはうまくいかなかったの?」
「いいや。とても順調だ」
 孫策は振り返って、孫権の頭を撫で撫でした。
 孫策は普段は簡単に落ち込んでいるような人ではない。孫権はなにかしら不吉なことが起ころうとしているのだと感じた。
「じ、じゃあどうしてうれしくないの?」
 孫権がいうのを聞いて、孫策は笑った。
「仲謀、オレはうれしくないわけではない」
 ぐいと孫権をつかんで、膝の上に抱き上げた。
「オレはただ他の人の意見について考えているんだ」
「他の人……?」
 孫権はちょっと考えてみた。
「お兄ちゃんが言うのは張昭殿、それとも張紘殿?」
 孫策は答えず、からかうように訊いた。
「あの二人に面会しただろう。おまえは子布または子綱どちらが好きだ?」
「す、好きっていうなら」
 ちび孫権は顔をちょっと赤くして言った。
「ぼく、ぼくはやっぱり公瑾が好き」
 孫策は聞いて喜んだ。
「公瑾は身内だ。オレはその二人と身内を比べてくれとは言ってないぞ」
「あ……」
 孫権は突然に自分の失言に気づいて、小っちゃな顔を更に赤くした。
「子布殿はぼくにやや優しくしてくれたかな。でも、この二人では、ぼくはどっちが好きかはないよ。お兄ちゃん。彼らのどちらか、ぼくたち孫家を助けてくれるほうをぼくは好きになるよ」
「よくいった!」
 孫策は軽くぽんと孫権の肩を叩いた。それから、ため息をついた。
「仲謀はよく道理をわかっている。どうやらこの兄も己の意見に固執すべきではないようだ、数日後、オレ達は寿春にいくぞ」
「寿春にいくの?ぼくたちはまた引っ越ししなきゃならないの?」
「オレ達は袁術を頼る」
「えっ?!」
 孫権はさっと立ち、急いで言った。
「お兄ちゃん、言わなかったっけ、袁術は野心は大きいけれど才能はないって。むかし、お父さんの兵糧と資金のピンハネもしたし、ぼくたちは永遠に相手にするべきではないんじゃないの?」
「大事をなすものはささいなことにこだわらないのだ。ましてやささいなことではすまないがな」
 孫策も立ち上がった。
「オレは父上の部下たちを取り戻しにいくんだ!」
「返してくれると思う?」
 孫権孫策の袖を引っ張って尋ねた。
 現実で証明された。孫堅の遺した人馬を返してもらうのは容易ではなかった。孫策が家族と百余りの私兵を連れて寿春に向かった後、袁術孫堅の長子としては待遇しなかった。明らかにいささか無理を承知で、昔のよしみで孫策と彼の百余りの兵をなんとか受け入れてやってやる様子だった。この後、兵士達を編制する際には、さらに百余りの兵から老人、虚弱者、病人、身障者を選んで孫策に与えた。あってもなくてもいい人間扱いだった。
 ちょうどその頃、袁術の妻の弟が粮草を護送中に荊州軍に奪われた。袁術は大いに驚いた。孫策は助勢にいくこと志願した。袁術は許さなかった。言うことにはたかだか数百人の荊州軍に孫公子の手を煩わす必要も無い、と。麾下の副将を派遣したが、またやられて敗走した。孫策は私兵を率い、好意でしているふりをして、袁術はすでに軍営にむかう許可をしていると、隊長を騙すと、駐屯地を出発して現場へ疾駆した。
 星降る夜、山道を通って帰るばかりのつもりだった荊州軍は夜陰に、突然、山あいの窪地にブチ切れている少年校尉が襲ってきたのを見つけた。その後ろには十数騎の軽騎兵と百余りの歩兵がいた。同一色の兵の装備は明らかにレベルがショボかった。まるで山賊みたいだった。とうとうあるものがこの一行の人馬を指差して大笑いした。
「どこからきた盗賊だ?オレ達を阻むとでも?」
 しかし、そのものは知らなかった。祖郎に一敗した後、一年ずっと、丹陽郡でも袁術大本営でも、孫策は昼夜人馬を訓練し、戦法を研鑽し、わずかな時間も怠らなかった。さらにここ数日来寿春でストレスを溜めるばかりで、心のなかは発散できない怒りでいっぱいだった。
 宝刀を鞘から抜き、山林を血で染める、孫策はついにはじめて思うさま 敵を屠る機会にありつけた。殺し合いは一時間足らずで、最後の敵の鮮血の血飛沫が孫策の白袍に飛んだ。孫策は目をきらきらさせて刀を収め、手を挙げた。
「戻るぞ!」
 この一戦のあと、袁術はやっと信じた。孫策は無駄飯喰らいではなく、戦いに来たのだと。
 しかし、この少年に対しては気がかりがあった。袁術の謀臣は袁術に言った。
「以前の孫堅の遺した部下が一千あまり、まだおります。各部隊に所属はしているものの、孫堅に長く従ってきたこれらの者達は、多くは勇猛果敢で統制がとれません。そのうえ、各部隊の隊の頭痛のタネとなっております。彼らをことごとく孫策に与え、孫策が彼らを扱えるか見てみましょう。もしダメなら、厳正に軍を統制できていない罪で追い出しても、遅くはありません」
「それは……」
 袁術はちょっと迷った。もともと袁術は愚かであったけれども、完全にはバカではなく、孫堅のあの一千あまりの旧部下は人数は少ないといえども、歴戦の古強者どもで、はじめ編制した後、各部隊の戦力を充実させるのに補充した。つねに袁術に従っていた孫策の従兄弟の孫賁、おじの呉景らには、袁術は古強者どもを分け与えなかった。孫氏が強大になるのを恐れたからである。
 そこで、孫策孫堅の長子で、都合が悪いのではないかと恐れた。
「そうだな、あとで改めて相談だ。あとでな」
 この数ヶ月後、袁術は朝廷に上表して孫策を懐義校尉に任命した。しょっちゅう多少の人馬を与えて孫策を駆り立てた。袁術軍が各地で攻城戦をするのを助けた。
 しかし、孫策は始終彼が欲しがっているあの一千あまりの孫堅の部下たちは与えられなかった。もちろん当時の父の麾下の部将たちもである。
 孫権はこの時、自ら率先して孫策の軍に随っていた。学堂にもいかなかった。現在の孫権には、学堂は母の呉夫人を安心させるためだけのものに過ぎない。一日中忙しくあくせくしている孫策を見ていて、ちび孫権は敏感に意識した。自分の未来を決めるのはお兄ちゃんの傍の人や物事で、役に立たない本や無用の学識ではないと。
 孫策に随ったこのころは決して恵まれなかった。孫策の機嫌も良くなかった。彼は表立って言わなかったが、孫権にはわかった。出発前に言っていた父の元部下は、一人の影も見えず、彼らは袁術の部隊の中でも重んじられていなかった。されども、孫策の戦勝の知らせが届くたび、袁術は孫家の兄弟にさらに礼遇して重んじるようであったが、それらは空々しいものだった。さらに恨めしいことには、経験が増すごとに、お兄ちゃんの孫策もだんだん成長してきて、勝ち戦も増えていったが、逆に袁術孫策達に対する監督はますます締めつけてきた。死んでも放さない具合だった。兵権も与えず、人もつかんで放さない。孫権は竹簡にどれほど「老いぼれめ」と書いて鬱憤を晴らしたかわからない。