策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

よちよち漢語 17 亮瑜啊亮瑜先生「伴君左右」

 それから、何人かが選ばれ諸葛亮の部屋を訪れた。看病するもの。薬を運んでくるもの。見舞いに来るもの。
 いつも明らかに小さな部屋がひどく混雑していた。こんな騒ぎは夜になって終わり、やっと休めた。
「チリン」
 小さな鈴の音が静寂を破った。だれかが部屋に入ってきた。周瑜は夜中にまで誰か諸葛亮を見舞いに来たのだろうかと思った。全く意外なことに現れたのは方士の格好をした老人だった。彼はゆっくりと進んでしばし周瑜の方を見てから諸葛亮の方へ向いた。
 彼はわたしが見えるのか?
 周瑜が驚いていると諸葛亮は静かにベッドから起き上がり、来た人へ向かって笑って言った。
「元放先生、この度はわたしの見舞いですか?」
 左慈は爽やかに笑って諸葛亮のベッドの側に座った。諸葛亮の病状を診ながら言った。
孔明の口ぶりを聞くに、わたしの訪問を喜んでいないようだね。それともわたしが彼に対して良くないことをするのではと心配かね?」
というなり、まっすぐと側に立つ周瑜を見据えた。周瑜は来たのが誰か知らなかったけれど、しかし、この老人は目元に悪意はなかったので礼儀正しくあいさつした。
「元放先生?わたしは周瑜と申します。字は公瑾です」
 左慈周瑜を見て満足げに頷いた。
「噂に聞く江東周郎は無双の美人である。謙虚で礼儀正しい。果たしてその通りであるな!わたしは修行中の方士にすぎず先生などとは言い過ぎじゃ」
「元放先生は白髪で顔は童顔のごとくお若いが、五十は過ぎているでしょう。わたしは死んだのは三十六にすぎません。先生といってさしつかえないでしょう」
 その実、当時の世間の人々は左慈を生ける神仙だと称していた。ただ江東ではこの人を知るものは少なかった。
 周瑜がこのように丁寧に接するのを見て左慈はすくなからず好感を持った。
「やはり、江東の美玉、わたしは左慈、字を元放。孔明とは忘年の交わりをしておる。今日来たのは二人に告げねばならぬことがあるからじゃ」 
「われら二人?」
 周瑜は振り向いて諸葛亮を見た。
「そうじゃ」 
 左慈は雪白の長い髭を撫で、笑って言った。
「公瑾そなたはなぜ人間界に何年も恋々とすごして転生投胎できぬか知っておるか?」
「元放先生……」
 諸葛亮の顔はこわばり左慈にもうこれ以上は言わないでくれと手を上げた。 
 それに対して左慈は一笑し周瑜を振り返った。
「原因は孔明じゃ」
孔明?」
 周瑜は眉をひそめて諸葛亮を見た。諸葛亮はもはやいつもの笑顔ではなかった。
「そう、そなたと孔明との出逢いは業である。誰が予想したであろうか孔明が公瑾そなたに恋慕するとは」
 沈黙する諸葛亮を見ながら左慈ははっきりとした声で話した。
「そなたの死後、孔明の想いのせいで苦しめられ逃げられないのだ」