策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

よちよち漢語 六十四 需要愛先生「思為双飛燕」

四十一章 思為双飛燕 思う、双飛燕となりて(上)

 忙しい日々は特別早く過ぎてゆく、夏が過ぎ冬が過ぎ、あっという間に孫策の死から瞬く間に三年が経っていた。孫権は急に意識した。周瑜にまもなく気持ちを伝える日が来たと。そうして話すべき時が来て、行くとなったら、孫権は迷いが生じてきた。いったいどうやって周瑜に対して正確に、また失礼のないように気持ちを伝えて子心を動かすことができるのか?
 まじめな話、どうやって他人に対して喜ばすのか、孫権はまったく未経験だった。孫権はお兄ちゃんはこの点では自分よりずっとずっと強かったと思った。小さな頃から友達もいなくて、他の人を慕うことなんていうのもなかった。呉侯となってからいくらか気楽になった。それはわしは友達を必要とせず、ただ忠実な臣下だけがいればいいからだった。孫権は狭量な人物ではなく、忠心が厚い部下に対してはよくしてやり、財物、美女等、命以外のものは惜しまず与えた。孫権は他人の礼儀にかけることも咎め立てするようなこともなく、又見栄っ張りなこともしなかった。ゆえにここ数年、孫権を明君だと褒める人も少なくなかった。孫権自身もいくらか人心をしっかりと得ていると感じた。呉侯となることはやはり幼い頃の学堂よりずっと満足を得た。
 しかし、周瑜は一般の臣下ではなかった。孫権はまた自分が昔の学堂に戻り自分の人付き合いがよくない性格が他人との交際に影響していると感じた。一般論では、気に入られることはすべて間違いなくやっている。錦袍も送った。周瑜孫権のために考え出した計画はすべて聞き入れた。ただこれでは君臣にすぎないのだ。
 苦心惨憺しているころ、あるとき将軍府で宴を設けた。あるものが北方から来た歌姫を献上してきた。その歌姫は歌い舞い、姿はしなやかで美しかった。詩を歌うときはさらに清らかで幽遠であり、節回しが上手で特別に風情があった。孫権は自分は音律に詳しくないが、とても素晴らしいと思い、彼女の歌ったその詩のところを細かく聞いてみた。許昌一帯で多くの人に好まれているという。詩では乱世の中で関関たるミサゴが河の州に在り、窈窕たる淑女は君子のよきつれあいなりという物語(*詩経)を歌っていた。
 そうか音律に精通した佳人が愛する人と夫唱婦随を願っているのか、孫権はドキリとした。公瑾も音律に精通している……。
 半月後、柴桑都督府の門前に一輌の馬車が止められた。馬車から降りてきたのは一人の歌姫で、あとは二人の護衛がついていて、呉候の親筆の指示書をもっていた。孫権は普段から周瑜に多くの褒美を賜っていたので、周瑜はなんとも意外に感じなかった。歌姫と護衛を屋敷の中に入れてから、孫権からの指示書を開いて、このときは周瑜は驚いた。親筆の手紙の中には、期待していた、『都督よ公務ご苦労、わしから衣服、歌姫等を賜る』などという言葉はなかった。淡い黄色の絹の上に、たった二行。『思為双飛燕、銜泥巣君屋』(思う、双飛燕となりて、泥を銜んで君が屋に巣くわんことを) 下のすみに呉侯の印もなく、仲謀とあるのみ。
 周瑜の胸の内は大きく震えた。瞬間的にまずいと感じた。もし孫権の気持ちをまったく知らないというのは、自分にも他人にも嘘をつくことになる。いつもの孫権の 焼けつくような視線、いつも手を握ったり、肩に腕をまわしたりという行動、下手くそないいわけ、なにをやっているのかわからない挙動不審、何度も何度も周瑜を将軍府に引っ越しさせようとする異常な執着。あれは絶対単純な兄弟の情、君臣の義理で言い訳できるものではない。しかし、周瑜は認めたくはなかった。いっそのことないことにしたかった。多情の人はよくいるし、その情が続くものでもない。孫権はまだ若いから、ここ数年自分のことはとても頼みにしていて、一時的に勘違いしているだけで、日にちが過ぎればおさまるだろう。でも、周瑜はまったくこんな赤裸々なラブレターを書いてくるとは思いもよらず、なにが『思為双飛燕、銜泥巣君屋 仲謀』、だ。周瑜は頭が痛くなった。
 よくよく考慮して、周瑜はいつも通り、『賞賜をありがとうございます主公』とか書いて返事とした。孫権の聡明さなら、きっと婉曲に拒まれたことを理解するだろう。
 孫権周瑜からの返事を受け取った後、すぐに小躍りして喜んだ。周公瑾はぼくを拒絶していないんだ!良かった彼も自分を受け入れてくれるんだ。通俗的な話ではどうして、拒絶からはじまるのが良い初めなどというのだろう。その実孫権も自分の手紙が周瑜の手許に届いて周瑜が心と心がぴったりなんていう返事をするわけがないと期待していなかった。それは現実的ではない。目の前にあるもので、孫権はとても満足していた。
 五日後、柴桑都督府に再び一輌の馬車が止まった。車中の人は名刺を出して旧友の来訪だと告げた。周瑜は名刺を一目見て、目の縁が痙攣した。この旧友の名前は牟仲孫。致し方なく、周瑜は家人に命じて大門を開けさせ、馬車ごと直接屋敷に入れた。また侍衛のもの達に命じて屋敷の防備を厳戒にするよう手配させた。
 孫権が馬車から降りてきた時、周瑜は拱手しながら恨み言を述べた。
「主公、これからはこのような危険を犯すことはなさいませんように!」
「わしの自分の土地なのだ。公瑾の屋敷で想い出話をするのが、どうして危険を犯すことになる?」
 孫権は切実な様子で言った。
「公瑾、あなたの返事はわしはすでにうけとったぞ、あなたも謙ることはない、わしがほうびや贈り物をするのは、みなわしがするべきことなのだ」
「主公……」
「仲謀と読んでくれ、あるいは仲孫でもいいぞ、ハハハ」
 孫権がこのように非常に上機嫌で全く打撃を受けていない様子から、周瑜は不幸な予感がした。しかし、このとき周瑜もすでに気持ちを固めていた。孫権はすでに来てしまった。考えるに言い争うのは免れない。しかし、周瑜とて孫権を恐れはしない。一にあれこれ話すなら、自分は以前孫策と愛し合っていて平然とはしていられなかった。しかして、孫策が亡くなり、自分はなにもおそれるものはない。二には今は孫権に対して何年も兄としての威儀があり、恋愛感情などはもつことはやめた。周瑜の宏大で長々とした説得により孫権をはめるのだ。今日はそのいい機会で、人目につく前に、孫権のヘンテコな考えは芽のうちに摘むと誓う。これ以降二人は誠実に平気となって会える。
 気持ちが固まり、周瑜孫権を屋敷の中に案内して、茶を出して人を下がらせた。その後声もなく周瑜は座っていた。目を遣ると孫権は膝においた手が少し震えていた。内心、仲謀はまだ若いなあ、こんなに緊張して、内心で勝算がさらに増えた。孫権が話し始める前に、自分から大義をもって諄諄と諭し、親しみをもって心を動かそう。
 このとき、周瑜はまったく忘れていた。孫権が時々常識外れの札を出してくることを。孫権はしばらく黙っていたが、ついに口を開いた。
「公瑾、以前、お父さんがあなたに贈った古碇刀、まだあなたのところにあるかな?だれかにあげた?」
 周瑜は少しびっくりした。
「これは先の将軍からの宝でございます。わたしは時々身につけております。どうして他人に送れましょう?」
「おぉ」
 孫権は長いため息をついた。
「公瑾は一のみを知って二を知らぬ、この古碇刀は単純にぼくたち孫家に伝わる家宝というだけでなく、その実初めはぼくたち孫家が花嫁に準備した結納の贈り物なんだ」
「なんと?」
「公瑾、ちょちょちょ、ぼくは今日は細かい話を聞かせるよ、あなたは仲謀が今日来たのは、これは父兄の遺志を継いだことになるんだ。個人的なことにとどまらないんだよ」
「は?」
「なにから話そうか?やっぱりお兄ちゃんの婚約から話したらいいかな」
 孫権は真面目くさった様子で前もって考えてきた腹案を始めた。……開き始める。彼の人生で初めての公瑾お兄ちゃんとの飾ることのない、真心から真っ正直な長い語らいを。