策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

よちよち漢語 六十一 需要愛先生「思為双飛燕」

三十八章 識人 人と知り合う

「軍営を削減する?」
 孫権はひどくびっくりした。
「公瑾、我ら東呉の兵士は北方に比べて多くない。なのになぜ削減するのか?」
「人数を減らすのではありません」
 周瑜は説明した。
「以前討逆将軍は毎年戦争で外地へ向かっておられました。各地で麾下に雑多な軍隊を参入させました。一時期はまだ帰参させて廃するに及ばず、当初討逆将軍とわたしがこの件を話し合っておりました。いま建業もやや落ち着いて、まさにその時期かと」
「おぉ」
 孫権は眉をつりあげた。
「公瑾の言うことはもっともだ。軍を厳正に規律を明るく編制し直して戦闘力となす。少し整理し直そう。わし自ら見てみよう」
「主公英明!」
「そんな主公、主公と呼ばないでくれ。ここ書房ではわしのことは仲謀でよい。そうだ、公瑾。前に送った百着の錦袍は受け取ったかな?」
「それが……」
 周瑜は少しためらいがちに言った。
「主公、わたくしは他の方は冬用の防寒の長袍を十数着受け取ったと聞きました。主公がこのように特別に優遇されるのは、おそらく他から誹りを受けるのではないかと思います……」
「あ……」
 孫権は長いため息をついた。
「公瑾は知らないかも知れないが、これはわしの特別な計らいなどではないのだ。わしは公瑾がもとよりひどく錦袍がお気に入りなのを知っている。公瑾否定する必要はない。これはわしがずっと以前から知っているし、記録もしている……」
「……」
「はじめは兄上がそうなさっていたが、今、兄上も亡くなられて一年だ。ぼくは弟としてどうしても必ず責任を果たさなければならない。兄上に代わって公瑾の面倒を見なければならない……」
「……」
「それから東呉には布に困っていない」
「……」
「公瑾まだ話さなければならないことはあるのか?」
「……」
「あ、そうだ。あなたが言っていたあの魯子敬、家族らは建業に着いて落ち着いたのか?わしは会ってみたい」
「ありがとうございます。主公」

 魯粛がくると、孫権は十分に熱烈に迎えた。
「公瑾がずっときみのことを豪俠で義理を重んじる人物であると褒めていて、しかも資金を提供してくれたと。わしは今日やっと会えて嬉しい」
「主公、それは周将軍の褒めすぎですよ」
「わしも興味がある。初め公瑾がきみの家に行って兵糧を借りたが、きみはなぜにこうも気前がよかったのか?」
「周将軍は英姿がさっそうとしていて、一目見て普通の人には見えませんでした。わたくしめはあちこちに朋友をつくりたいと願っただけで、できる限りの微力を尽くしたのみです」
「へへっ、きみは嘘つきだな」
 孫権はにこにこと笑って魯粛を指差した。
 魯粛はちょっとびっくりしたが、素直に笑った。
「主公の洞察力は人並み優れておられますな。それではわたくしめも本当のところをお話いたしますと、当初公瑾がわたしたちの所へくるまでに、他の豪族達に兵糧を提供してくれるよう要求しましたが、多くの人は応じませんでした。公瑾はかつて言いました。おまえたち今応じないなら、後で伯…いや、討逆将軍が必ずおまえたちを攻撃するだろう、と。わたくしめは討逆将軍のお噂を早くに耳にしておりましたし、公瑾たちがみたところ急ぎで兵糧を必要としているようでした。わたくしめの家にはちょうど余剰の米がありましたし、加えて公瑾の人となりは確かに爽快で、共に話していて楽しいし、そういうわけで……」
「おおう」
 孫権はちょっと驚いた。
「やっぱり公瑾に会った人はみな好きになるのだなぁ……」
「はぁ……」
「しかし、そのやり方は聞くほどに確実に我ら孫家のひととして恥じない!」
「……」
「子敬よ、公瑾はいま柴桑に行ってしまった。きみはここにいるとよい。わしのそばで話をしてくれ、わしと酒でも飲みながら愉快に語ろう。その当日のことをもっと細かく……話してくれ、誰かある、酒の追加だ!」
 この話し合いは、まったく重要なことは語られなかったが、孫権魯粛という人が多くの考え方で意外にも自分とはからずして合うのに気づいた。思わずおおいに褒め称えた。知音となり、また人を用いる際に、すぐさま孫権魯粛を要職に抜擢した。ならびに財産や家屋敷を与えた。
「初めに子敬、きみは義理を重んじて家を捨て公瑾に資金を提供した。わしはきみの気持ちを理解した。しかし、公瑾はすでに孫家の人となっている。この恩は報いなければならない。だから孫家がきみに報いよう」
 孫権はこう話した。
 魯粛は初めて来て、すぐに孫権に厚く恩賞を貰い、才能を認めて尊重され、心中もちろん喜んだ。ただこの孫権という主公は、どこも良いがときどき話していることがちょっと変だった。しかし、魯粛は大英雄という者は必ず人と異なっているものだと思い、ちょっと変なところも、まともなところも、まったく気にしなかった。よくよく孫権を補佐して知遇の恩に報いようと決心した。
 二ヶ月後、周瑜は柴桑から建業へ戻ってきて、孫権が軍隊を整理しはじめるのを手伝った。孫権は雑然とした軍隊の中で、ある一隊が異常に整って有能なのを見つけた。兵士達は統一された赤い脚絆を付けていた。動作もとても画一化されて、指揮も的を当を得ている。そこでその校尉を呼んで会ってみた。名を呂蒙と言った。孫権はいつ入隊したのか尋ねた。呂蒙は最初は討逆将軍の各征戦に付き従っておりました、それから周瑜の麾下に入ったと答えた。
「わたしが見るに、そなたはとても才能がある、つづけて公瑾についてよく学ぶように。そなたの赤い脚絆はなんのこだわりがある?」
 呂蒙は顔をちょっと赤くした。
「なにも特別なこだわりはありません。主公が視察に来られると知り、隊を整っていると見えるようにと思いました」
 孫権は笑った。
「果たせるかな我が江東の気風である。その昔我が兄上も軍の威儀軍容に気をつけていらした。このような伝統はずっと踏襲されていくべきだ」
 孫権はついで、呂蒙周瑜の麾下にいるときのことを尋ねた。呂蒙は目をキラキラとさせて自分が如何に周瑜に敬服しているか話した。孫権は大いに喜び、また恩賞を加えた。
 このあと、周瑜がまた柴桑に練兵に戻ると言ったので、孫権は思わず大きく失望した。今建業はいくらか落ち着いてきた。地方はまだ動きがあるが、人を遣って平定している。周瑜は建業に落ち着いていてもいいはずだ。周瑜が答えた。江東の水軍は毎日訓練をいたいたしております。わたしが建業に長く滞在しておりますと、大事を誤ることにはならないかと恐れます。周瑜はこう言い、孫権もそれ以上はダメだと言わなかった。ただプライベートで周泰にこぼした。わしは三年喪に服すのを知っておる。わしは急がない。わしは礼をわかっている。しかし、他の人はきっとわかっていない。そなたのいうデタラメな人達は、弱って虚しい時を狙うのではないか。わしはいま迷っている。早く気持ちを明らかにするか、それともつづけて待つか。周泰は茫然として言った。主公は誰に対して気持ちを明らかにしたいのですか?孫権は頭を振った。幼平そなたは知らないが、わしは今ひとつ別の心配事がある。わしが幼年のころその人に非常に大きな誤解をされたようなのだ。以来ずっと、わしは誤解を明らかに解くよい方法を考えている。しかし、この誤解は……はっきりとしがたい……。周泰は言う。主公なぜ命令を下して、江東の人々全員に知らしめないのですか、誤解は自然と消えるでしょうに。そんな命令どうして下せようか、孫権はびっくりした。内心で思った、ぼくが命令で呉侯孫仲謀にはもとより人には言えない病気などありません、なんて言えるか、人を笑い死にさせる気か。それから孫権はアレコレ考えて、一つ思いついた。
 こういうことは、直接話さないものじゃないかな。自分は今一人の妻しかいない。妻の徐夫人*に自分のために何人か美人を連れてこさせよう。一に、彼女は心が広くて公瑾に似ているか考察できる。二に、公瑾に対して自分は正常だと表明できる。三に、呉国太はずっと孫権に結婚してもすぐに孫家の男の子が生まれないと文句を言っている。これでお母さんも慰められる。
 孫権は考えを決めると、ただちに実行した。ならびに自分で周瑜に手紙を書いて送った。手紙では、呉国太が孫を抱きたいととても思っている。この希望はすぐに叶うだろう。また、公瑾あなたもまだ現在子どもがいない。だからこどもがいなくてもなんの問題もない。ただ忙しすぎるのか、あるいは偶然である。病気とはなんの関係もない。周瑜は手紙を受け取って泣くに泣けず笑うに笑えなかった。孫権がなぜこう言っているのかさっぱりわからない。しばらく考えて、突然はたときづいた。ずいぶん昔孫権が初めて房事をなすことになり、恥をかいたことが思い出された。事情も変わり、環境も変わったのに、みたところ孫権は心にかかって忘れられないでいるようだ。そこで、周瑜は主公はお気になさる必要はありません、と返事をした。
 それから次の年の春、周瑜の子どもが生まれた。孫権は君主となっても、その二人の若い美人も徐夫人と同様、まったく動きがなかった。孫権はとても怒った。そなた達は生まぬのだ、そなたらが生まねば、わしは困った立場に陥るのだぞ。お母さんがどう思う、公瑾が、ど、どう思うか!わしはだめだぁ!

*徐夫人がでてきて、謝夫人がいない…(闇)