策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

よちよち漢語 二十九 需要愛先生「思為双飛燕」

 張昭の屋敷は宿駅から遠くもなく、名乗って名刺を差し出すと、孫権は自分がここに来た目的、課せられた責任を思い出し、脳内でお兄ちゃんの孫策に細かく言いつけられたことを一通り回想した。
 張昭は十歳の子どもが自分を訪ねてきたと聞いて、とても怪しんだ。
 また、名刺上に故破虜将軍孫堅の子孫権、孫仲謀とあり、さらにわけがわからなくなった。張昭と孫堅は面識がなかった。面会するほどでもないかと思ったが、考えを変えてみた。十歳の子どもが訪ねてきて面会を求めることなんて、平素ないことだ、そこで、会ってみることにした。
 着ているものは小さな孔雀のように見映えするもので、儀容は端正で一糸の乱れもなく、もみあげもすっきりとした小さな孫権が、張昭の屋敷の庁堂前に現れたとき、張昭は思わずこっそりと頷いていた。少なくともこの子どもは正装して訪ねてきて、とても礼に則っている。
 乱世は早熟する人も多い、以前も張昭は地方のちょっとした神童を見たことがないわけではなかった。幼い子が立て板に水を流すかのように話し、小さな大人のようであった。ただし、この孫権はそこらの子どもと同じではない。
 孫権はそこに座り正々堂々と話し、自分の家の兄の素晴らしさを吹聴した。これは珍しくもない。張昭をして珍しいと思わせたのは、ちび孫権の口の端に意味深な笑いが浮かび、口角がやや持ち上がり、視線は幻に迷ったが如く、一種年齢に似合わないおかしな感じがあった。その笑みは嘲りのようであり、考えにふけっているようであり、回想しているようであり、からかっているようであり、表情は極めて変だった。
 張昭は心中密かに叫んだ。
(奇人だ!)
 彼の深く考えている表情は何の意味を含んでいるのか?こんなに幼いのに警戒心はすこぶる深く、明らかに後日きっと凡人とは異なる人物となるだろう。
 一方張昭が孫権を見て震え上がっていたのに対し、孫権はお兄ちゃんの孫策にいいつけられたことを残らず話そうとしていた。そのとき脳内では自分でも制御不能で、昨晩周瑜孫権の目の前で衣を寛げ帯を解いている情景が浮かんでいた。早朝の優しく孫権の服を撫でてくれた手、それらがずっと思い浮かび、孫権は自分の表情としゃべっている内容とすでにもう甚だしく一致しないことがわからなかった。話しているのは、好漢、広大な天下、輝かしい未来、しかし、表情はかえって秘密めいてはかりがたく、様々に変化し、しばらくもすると、孫権は口の端を擦った。
心中密かにドキリとした。
(ぼくはけっして張昭殿の面前で体面を失うわけにいかない。もし、よだれが流れてきたら、お兄ちゃんの面子をぼくが丸つぶれにしちゃうよ!)