策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

よちよち漢語 二十四 需要愛先生「思為双飛燕」

「大丈夫が立つ寸土もあらず、寸功もならず、今両手は空っぽ。どうして親友をもてなすことができようか?おまえが来ても、失望するだけだ。おれが立身の地を得るまで待っていろよ、それからおまえに手紙を書くよ」
 周瑜は泣くに泣けず笑うに笑えなかった。
「伯符きみはいったい何の話をしているんだい?きみはわたし周瑜をどんな人間だと思っているんだ?はじめわれわれは升堂拝母して、義兄弟の契りを結んだ。まさかわたしだけ座って待って、きみが功名を建てて財産と爵位を得て、それからわたしに一杯の羹を分けるとでも?きみは忘れたのか、我らが初めに建てた天下を駆けるという誓いの言葉を?」
「オレは忘れていない!ただ」
 孫策はため息をついた。
「公瑾、おまえは長いこと舒城にいて、代々官吏の家の子弟の生活に慣れてしまった。まだ、戦場も経験していない。オレは……」
「おしゃべりは無用」
 周瑜孫策の話を打ち切り、傲然と言った。
「きみがもしわたしを役立たずと嫌うなら、わたしは以後きみの邪魔をしないよ。これから、もう兄弟の恩情とかなんとか二度と持ち出さないでくれ。昔の誓いの言葉も、すべて子ども時代のおふざけだ!」
 孫策周瑜の怒りを見て、却って声もなく笑った。そっと右手で周瑜の肩を抱き、周瑜の話の終わるのを待たずして自分の懐にしっかりと抱き締めた。
 周瑜は驚いた、すぐにその意がわかり、孫策を抱き返した。
「よし!オレ達は天下を駆けるぞ!オレがお前を再び押しとどめるなら、我らが孫家に相応しくない」
「伯符!」
「公瑾!」
 この後、孫権の記憶にあるのは、舒城に戻って母子で抱き合って泣いたのでもなく、死ぬほど悲しい夜でもなかった。もっとも深く刻まれた記憶は家族がどれほどかなしんだかではなく、お兄ちゃんと隣の家の周家のお兄ちゃんの長い抱擁だった。
 当時、孫権は二人の身辺に立っていて、本当に泣きたかった。感動、哀しみというものではない、あるいはお父さんが亡くなってから、この一路の冷たい扱いを受けてきた旅路の終点で、ついに孫家を励ましてくれる人に出会ったのだ。
 その晩、孫権は竹簡の上に涙を流しながらいくつかの細々とした話を刻んだ。
「不離不棄、天下を駆ける、公瑾を得られたら平生を慰むるに足るべし」
 並びに心中でこそっと誓った。
 今後自分は友を選んで交遊し、お兄ちゃんみたいに、周瑜のような友達を得たい。彼は危難の中、雪の時期に炭を送ってくれ、屋敷を提供してくれるような良き友で、身を惜しまず生涯連れ添い、いかなる困苦も関係なくただちに駆けつけてくれる。

 翌日、孫家の一家は舒城を離れ、再び転々と引っ越しする旅路を出発した。