策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

よちよち漢語 二十二 需要愛先生「思為双飛燕」

 孫権の心の中は瞬間ドキドキが強まった。彼とお父さん、お兄ちゃんは似ておらず、彼らの意気軒昂に天下を睥睨しているのを見るとき、孫権の家の心配、彼ら一族の未来の心配が始まるのだった。
 失敗と心配という言葉は現在の孫堅の頭の中に浮かび出ることはないようだった。孫権はお父さんが彼と同じくこの憂慮を認識しているかわからなかった。とても幼い歳で、普通の軍営中で、天下垂涎の重要な宝を前にして、孫権は深く心配な気持ちをあじわった。一種、人を責めさいなみ、寝食も満足にとれないような気持ちは、一匹の毒虫のようでもあり、一本の毒草のようでもあり、孫権の心の中に根を生やした。彼はまだ自分で功績を打ち立てる能力も無い時分に、功績のもたらす悪い結果を味わうはめになっていた。彼の生まれつき豪放磊落な父親と、さらに多くの困難を取り除いて創業しようとするお兄ちゃん、彼らの思いのままに振る舞う性格はかえって小さな孫権の心の負担になっていた。
 ただし、孫権がどうして予想できただろうか。彼の心中の名も無き不安が現実になろうとは。孫権が見たところ、父と兄が戦場で得た最悪の結果、それはかれらのさらなる困窮、流離、幾多の移転にとどまらなかった。
 孫権は考えたこともなかった、お父さんが死ぬなんて。
 袁術孫堅劉表攻めに派兵した時、孫堅は言った。
「老匹夫、憂うに値せず」
 しかし、まさに彼らと劉表の手下の黄祖と激戦も酣というとき、孫堅は勝ちに乗じて追撃した後、前方から情報が伝えられた。
孫堅は複数の矢に当たり、落馬して命を落とした!」
 この情報を聞いたとき、孫権はたった今戦闘から戻ったばかりの孫策の側にいた。
 その後、孫策が鋭い矢のように飛びだそうとしたのを見た。
 程普、韓当が懸命に孫策を押しとどめた。
「若殿!」
「若殿なりませぬ!」
「オレは父上を取り返してくる!どけてくれ!」
 孫策は気が狂ったかのように外へと飛びだそうとしたが、程普らが孫策の手や足に殴られたり、蹴られたりして鼻を青くしたり、顔を腫らしたりした。それでもかれらは懸命に止めた。
「若殿、もしこのとき黄祖に追撃されたら、自ら網にかかりにいくようなものですぞ若殿!」
 地面の上の黒山の人だかりで膝をつき、孫策は失望し、動転した。
 一声、心の臓も肺腑も張り裂けんばかりの痛切な声が山林に響いた。
 孫権はお兄ちゃんの後ろに立ち、ふらふらと今にも倒れそうだった。
(あり得ない、絶対あり得ない!お父さんは死なない。彼は戦神。孫家の永遠の守護者、ぼくとお母さんの頼みの綱、お父さんは死なない。きっと死なない……)

 三日後、孫策劉表から父の遺体を引き取り、棺に収めて帰還した。
 袁術が人を派遣して孫堅の旧軍部を引き取った。見ていると、袁術の派遣した部将も孫策も何の話もせず、身を翻して去った。
 孫堅の亡くなったその年、孫権は九歳、孫策は十七歳。