策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

東籬

臨時 一日一策瑜

東籬

お久しぶりです。鉄分とってますかー?やっと息切れしなくなりました。赤血球と鉄分は大事ですね。

わたしの住む地域では菊まつりのシーズンになりました。中止ですけどね。重陽節句はのがしましたが、菊まつりにあわせてのネタをひとつ。

陶淵明の《飲酒》という詩に"東籬の下に菊を採る,悠然と南山を見る。という一節があります。
この詩により"東籬"は菊花が植えられている場所をさす意味になりました。また"東籬"は特に文人の住む小さな部屋、庭を指したりもします。さらに世間の俗から脱した風流で清らかで高尚な意味も含むとか。
陶淵明の時代の後も、陶淵明の暮らしぶりに憧れて東籬はよく詩に読まれています。
ここでは省略。

で、どう三国志と関わってくるのか?

この東籬(東離)という場所は元は周瑜と程普の軍事訓練基地であり、兵站の基地であったという説があるそうです。

東離は三国時代桑洛洲(現在の九江市、宿松県)湖沼地帯ですね。柴桑にもほど近いあたり。そこに九州八卦の陣なるものを建設したそうです。
程普さんの程営郷なるものもあったとか。
九州八卦の陣は(すごーく盛っていて怪しいのですが)、離の卦(易ですね)が東側にあったと。これが陣の一つだそうです。
宮亭湖、鄱陽湖のうちに軍事訓練基地である九柳八卦陣を創建した。地理上にも長江を出入りする重要な場所であり、魚米の里といわれるほど豊かな土地柄から兵站補給基地としても機能していた。これを周瑜と程普が二人で造ったのですね。(造っている途中で仲良くなったのかしらら?)

九柳は九州で揚州とか荊州とか中華全国を指すので、周瑜の野心が見え隠れするかな?九宮も易ですね。桑洛洲に縦横に印を付けて陣地を造っていったわけですが、そのしるしに柳の木と桃の木を植えたというのが風流なところ。

陶淵明はこの陣の跡地?の離の陣で菊を採り、南山すなわち廬山をのんびり眺めたのではないかと。

さらには陶淵明の作品、桃花源記のモデルではないかという説があります。
周瑜の植えた桃が、陶淵明の時代には盛りとなって咲いていたのでしょうか。
平和で争乱を知らない桃花源記の元ネタが、南北統一を妨げた混乱の主役というのはちょっと皮肉だなぁ。

菊、柳、桃と殺伐とした基地に華やかな彩りがあったのはおもしろいですね。薬用、食用?柳は武器とかに使うのかしら?
やっぱり実用的?