策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

太傅?の周瑜さん。

臨時 一日一策瑜

太傅?の周瑜さん。

Wikipedia三国志のページは時々カオスなことになっています。人気コンテンツならではのことでしょうか?

わたしがアレ?っと思ったのがこれ、太傅の位を贈られた周瑜さん。
そんなことあったっけ?
まぁ、ゲームで左遷コースになるとこういうのあったな…と思い出して、史実とゲームの結果がゴッチャになった人が編集したのかな?と。
その後、太傅の項目はなくなりました。

でも、萌えるね。
お守り役の周瑜さん。誰の?
孫権?いや、太傅もいらないくらい充分でかいだろ!
孫登?娘婿養成?いい子がよりいいこになるね。
ストレス発散もあって長生きできるかも。
孫和?これは魯班でも勝てない強力な後ろ盾?むしろ、強すぎてダメなパターンかも?

周瑜孫権孫翊孫匡たちにお勉強教えたりしたと思うんですよ。孫策と一緒に。
だから、太傅もわからんでもないな、と。
それと、この同人小説を読んでたんですよ。

権瑜 流年
http://blog.sina.cn/dpool/blog/s/blog_64e9b2af0100jy75.html?vt=4

前に読みたいと騒いでいた流年ではない短編。(なんのことじゃ)孫権の晩年、周瑜の画像を前に年若い宦官の少年とあれこれ思い出を語る構成。
「知道太傅周瑜麼?」と文中にあるんですよ。
少年宦官にとっては伝説上の人物となっていて、母が荊州で幼い日に周瑜を見て眠れなくなったとか、四方山話をして孫権も笑う。
しかし、孫権の心の内には、出逢ったのがあまりに小さいころであったがために、周瑜が子どもに対する態度であったと悲しむのでした。兄に笑うように自分にも微笑みかけてほしい…そう簡単なようで全然簡単ではないことを願い続けた孫権周瑜もとうに亡くなり老境に入ると、思い返すのも苦しみとなり、その苦しみの代償としていとも簡単に人を殺めてしまうのでした。
先の少年宦官とも機嫌よく話していたのに、最後には…。