策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

孫策の嫁はどこに?


臨時 一日一策瑜

孫策の嫁はどこに?

今回も妄想爆発ですよー。
短い蜀書とバランスをあわせたり、格下げするのに、いろいろ呉書はしかけがされたり、反対に中身弄くるのもめんどくさいから韋昭の呉書そのまんまとか扱いがなにかとひどいのですが、后妃伝はどうでしょうか?

后妃伝は呉書では妃嬪伝として立伝されています。
これは陳寿の呉サゲですね。中身も孫堅呉「夫人」としてほかの国の后とは描き方がことなっています。(呉夫人こそは、良妻賢母で国を支えたゴッドマザーの代表格なのに…息子を諫めるために井戸に身を投げる芝居(いや本気か…)までしたんだぜ)

ま、話が逸れました。
この妃嬪伝にも孫策の夫人は出ていないのです。
でてくるのは皇帝に即位した(号を贈られた)夫人と、皇帝の母となったひとのみ。
桓王止まりの孫策の夫人には言及されていません。
ちょっと出てくるのは周瑜伝の橋姉妹の姉です。

韋昭やその前の史書編纂に関わっていた人間が、孫策の夫人が誰それかわからないということはないと思うんですよね。そんなに時間も経っていないし。
なぜ、削られたか?
一、孫策の権威サゲ。
二、孫紹の出自を隠すことで、神輿に担ぎ出すことを防ぐ。
三、陳寿にがりがり削除された。

一、は孫策の嫁もようわからんが、息子と娘はちゃっかりいる。不思議な状態ですね。一応小規模でも豪族の身分ですから結婚しているはずなのに。
相手がどこの家かもわからないというのは、不自然な気がします。廟もたてているかには、墓守なりお祀りする妻子がいたはずなのにね。
得体の知れない状態というのが、孫策サゲのような気がします。

二、孫策の唯一?の息子孫紹。彼の母親も不明です。もし、周瑜伝に出てくる橋氏なら遺腹の子の可能性が高いです。
ですが、母親の出自が不明とすることで、彼の正統性を弱くする狙いもあるでしょう。
母が橋氏なら周家が担いでくる可能性も多少ある?
結局は孫皓みたいな暴君の前には意味は吹っ飛んで無いのですが…

三、呉の華麗な?妃嬪伝を少しでも削ってやりたくて、王妃止まりの孫策の夫人がガリガリ削られた。
くぅっ、陳寿め。陸兄弟が呉イケイケの呉書を書いていれば…。

真実はどうなんでしょうね?
個人的には孫策の嫁ポジションの人は都督リレー(都督じゃないけど便宜的に使う)のトップに並べられたので、そっちで目立っていると思ってます。
君臣は夫妻の如しなのよ!