玉牒という皇帝一族の族譜を書き綴った書物があります。主に、唐以降に書かれているようです。
あるとき、中国の孫権ファンのサイトで、孫権の玉牒が故郷で発見!というニュースが流れ、その一文も載せられたんですよ。
コピーしておかなかった自分が情けないぜ!
現在削除されてました。
孫権が天帝に報告する形で、一族を紹介する文でした。
そこで、気になったのが、孫権の長男、孫登の生まれ年!
孫登は没年と年齢は分かっているので、遡って209年とされています。
しかし、そのあやしいことこのうえない玉牒では、人質事件の頃202年としているのです。
辻褄は合うけれど、なんだか却って怪しくないですか?
肝心の孫権の玉牒も削除されてしまったので幻となってしまいましたが、歴史っておもしろいけど難しいですね。