策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

ことわざになってる瑜亮?


臨時 一日一策瑜

瑜亮情結(瑜亮情節)と一時瑜亮

三国志の時代から、故事成語になった言葉はいろいろありますね。
泣いて馬謖を斬る」とか「破竹の勢い」、「男子三日会わざれば刮目せよ」とかね。

今回は周瑜孔明先生の二人のことわざです。

瑜亮情結(情節) 瑜亮といってもCP表記じゃありませんのでひとつよろしく🙇。三国演義の二人の不倶戴天の関係。似たような立場での嫉妬。
百度の解説は歴史にも触れていて、周瑜孔明先生は全然別のタイプだから、くらべることに無理があると。周瑜は将(将軍)韓信孔明先生は相(宰相)張良のタイプ。(後半は前線指揮もしなきゃならない蕭何じゃない?)
同じタイプじゃないのに、ファンはえんえんと政治、経済、軍事、外交、音楽、情操、品德、はては奥さんまで、などなど多方面にわたって較べている。
孔明先生は管仲、蕭何(やっぱりでてきた)のタイプで軍事方面では北伐に成功していないけれど、司馬懿には「天下の奇才」と言わしめているし。

周瑜だって、程普おじさんには謙譲して最後には、惚れ惚れとしてベタ褒めさせるくらいの人格者ですし、赤壁で勝ったのは、周瑜黄蓋の頑張りですからね。
ゲームなどを通して正史にも触れている現代ファンには、ちょっと、古い言葉になりつつあるかもしれません。

一時瑜亮 才能豊かな二人の人物の伯仲つけがたい様子のことを言うらしい。
これの典故はダブルでありまして、一つ目は、やはり三国演義の“既生瑜,何生亮!”
周瑜が吐血して叫ぶアレですね。
そして、もうひとつ。
清 王士稹(王士禎)《(古诗选)凡例》:“北周寥寥,廪得子渊,子山,二人之才,一时瑜亮”。

北周に留め置かれたお気の毒な文人、庾信と王褒が詠われている詩に、その優秀な例えに瑜亮が使われています。

中国の歴史が長い分だけ、引用地獄です。
調べても知識が追いつかない。
でも、この瑜(美しい玉)と亮(月亮とか明るい)のいい意味合いが、引用にはちょうどいいんでしょうな。

策瑜には、なんか故事成語ないのかしら?
断金だけ?彼らの代名詞ですもんね☺