策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

魯粛のパパとママ。


臨時 一日一策瑜

魯粛のパパとママ

http://www.360doc.cn/article/5334394_321502864.html

魯粛の一家についての考察?ページを見つけました。
こう言ってはなんですが非常に?です。
(わたしはドシロウトもいいところですが)

魯粛パパ 魯文韬 字は仲略 (二文字の名前?)
官は博士、荊州を鎮守 (おおマジか?荊州のどこ?)
忠義と父親への孝心を褒められて楚国忠義大夫に封じられ、「孝思堂」の扁額を贈られる。贈ったのは漢の献帝。(魯粛は生まれるとすぐに父を亡くしたとあるから、献帝即位まで生きていると計算が非常にあわない💧)
ちょっと盛ってる疑惑?

魯粛ママ 周氏 周瑜の姑(おば) (!?親戚)
诰命夫人 
(诰命夫人というのは、唐、宋、明、清の各王朝が高官の母親、妻に対して加封したものらしい。漢は…?夫の官位に応じて授けられ、俸禄あり(!)実権はナシ。一種の名誉の証。祝祭日に皇后さまの祝宴に招かれたりする…魯粛ママはベルサイユにいけるのね?違う)
诰命夫人というのが盛りポイント?
周瑜のおばさんだったら、例の勝手にお前のかーちゃん預かっちゃいました事件(接待付き誘拐)も平穏無事に話が通るんですが。
これは、魏の荀彧、荀攸の関係をなぞったぽいかな?揚州の名家の周家と徐州のお金持ちの魯家が州跨ぎでお付き合いしていたものかな?
もともと、親戚だったら、あの倉一つあげようのスケールが親戚の兄ちゃんに小遣いせびりに来たみたいに大幅にダウンする!!
やっぱりね、魯粛という人材と食糧と両方狙って訪ねたら、思った以上の傑物だった!というほうが話は面白い気がします。

この後に出てくる、魯粛の嫁、曹氏、程氏、孫氏は墓誌の記録とは一致するみたいです。

いろいろ不思議な情報でした。
魯と周は国から姓がついたパターンだと思うので、何千年か遡れば親戚?

魯粛のパパとママ、真偽の程は( ´艸`)