策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

袁枚さん。2


臨時 一日一策瑜

袁枚さん 2

『子不語』から「双花廟」です。
ほかのサイトでも大々的に扱っているようなので有名かもしれません。
清代ってそんなに進んでるの!?と読んでいて思います。

美少年Aは劇場で芝居をみていた。
そばから尻をさわられた。(ハッテン!ハッテン!)
怒った美少年Aは罵り殴ろうとして振り返る。
美少年Bがいた。
Bは年若く、容姿がさらに美しい。
そこで、納得した(?)AはBの陰部を手でまさぐった。(オイオイ)
Bも喜び、改めて衣冠を整え、姿勢を正して揖礼を行い姓名を名乗った。
ほんの数行でどんだけツッコミどころが!
完全、ゲイなお兄さんの夜店出逢い編?

二人は仲良くなり、兄弟ともなるわけですが、
車を同じくする ○
食事は席を同じくする ○
香料を薫らす ○~△
鬚を剃りあい ?(儒教的に△?)
小袖、狭い襟の服を着る(女装) △~×
男か女の区別がつかなかった △~×
ちょっと儒教的にアウトじゃないかな?と思う点もしばしば。しかし、南方は男色が盛んだったのと、女装、男装の異性装は古代から流行ったり廃れたりしたので、それほど当時の感覚では異分子となるものでもなく、「AちゃんもBちゃんも可愛いわねー」と人気者だったのかもしれません。

ふたりに王禿児(王のハゲ)というものが迫り、強姦しようとした。(!?襲いたくなるほどセクスイだったわけ?)
二人は抗い、殺されてしまう。禿さんも逮捕。

二人の若者はまじめで←勉強してたんか?
村人は彼らを憐れみ廟を建てた。←村人から愛されてはいたんだね。
(杏花村なので)杏花を一枝供えたので、(杏の花言葉は臆病な愛、疑惑。大胆どころの騒ぎじゃないよ。お尻なでなでから始まる恋は)
「双花廟」と呼ばれた←策瑜は双璧!
霊験あらかたな廟となり、参る人が絶えなかった。

大鬚の劉という役人が不良少年と断じて、廟を破壊した。(劉という姓に意味あるのかなとちょっと思ったけど無さそう)
劉の夢枕に立ち、罵り、鬚をつかみ、唾を吐いた。
(大暴れ?)
「~三国時代周瑜孫策もともに美少年と交わり、寝所を同じくした。彼らは蓋世の英雄なのに、貴様はこれを不良少年というのか?~」
汚職が露見し劉は絞首刑となる。

いきなり、周瑜孫策持ち出して、同一視せよとは策瑜もいい迷惑じゃないの?
それだけ策瑜の仲の良さが有名で一般に浸透していたということでしょうね。

それにしても袁枚さん。策瑜好きでしょ?