策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

袁枚さん。

臨時 一日一策瑜

袁枚さん

袁枚さんは清代の人で、若くして科挙に合格した優秀なひとでしたが、地方回りに飽きて、官を捨て、文人、詩人、食通として名を馳せました。
当時は役者さん(男性)とお付き合いするのがステータスだったようですが、袁枚さんは一緒に旅行に行くと、「僕、別なところに用事があるから」と言われ、分かれて別行動になっています。かわいそ。
振られましたね?
性文学を奨励したり、進歩的な所も。
文章からも、ちょっとバイ疑惑あります。
食通だったり、詩人なところは蘇軾さんと似てますね。
それで、蘇軾さんと同じ所は三国志が好きなところ!特に孫策大好きなんです。袁枚さん。銭塘県出身なのも身近に感じる理由かな?

『子不語』(このタイトル自体チャレンジャー精神ですよね。孔子が怪力乱神を語らず、と言ったのを逆手にとってる)で、「董賢神と為る」という一節があります。
袁枚さんのご親戚で弓韜公さんが西安の次官になり、降雨祈願に出かけます。
山に古廟があり、中に美少年の塑像があった。
あでやかな衣装は漢代の高位の人物のようである。
道士に「何の神か」と問うと、「孫策」と答える。袁枚さんの親戚のおじさんは、(孫策は江東で活躍したのだから、長安西安)に行ったことはないはず、おかしいな)と思った。
さらに、孫策の才武をもってすれば、まさに英鋭の気概があってしかるべきなのに、神像はたおやかに艶めかしく、婦女にも、見まごうばかり。
果ては邪神と疑うおじさん。
他の祠が建て替え中なので、この古廟を壊して再利用する話が持ちあがった。
夜、おじさんの夢にその美少年が現れた。
「我は孫郎に非ず。大司馬董賢なるぞー(以下略)」

結局は、おじさんが怪しんだ通り、孫策じゃなくて、董賢だったのね。
しかも、董賢、哀帝が陰萎じゃないとか、王莽いじめまくりとか、いろいろ話すことが面白い。
おちは霊験あらたかな神様で、雨も無事降りました。でした。
しかし、おじさん、孫策じゃなかろう!と見破るの早くない?
銭塘県出身(本貫はべつ)だから、孫策は地元の英雄で親しみがあったのかしら?
孫策ならもっとかっこいいはず!」って現代の策瑜の民と変わらんね。
しかし、道士もいい加減…。道士は道士で孫策ファンだったのかもしれませんね。

おじさんの影響があったのか、なかったのか袁枚さんは孫策の話を、もう一話収録していました。
(美少年好きなんだな。袁枚さんもおじさんも)

東洋文庫なので、図書館で読めるかな。