策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

羽扇綸巾


一日一策瑜 
「羽扇綸巾」
蘇軾の詩で有名な《念奴嬌》の一節、
「遙想公瑾当年 小喬初嫁了 雄姿英発 羽扇綸巾 談笑間 檣櫓灰飛煙滅」
この、羽扇綸巾は誰の衣装か?
この詩が読まれた当時の宋代、周瑜のイメージ(主に文人階級で)は儒将でした。
戦場でも頭脳労働の将軍ですね。
なので羽扇綸巾の瀟洒な姿で描かれているとされます。
(一部有名な学者先生でこれは孔明先生のことを指す説を推す方もいらっしゃいました)
この羽扇綸巾は後漢末から東晋のわざと庶人風にカジュアルダウンさせるおしゃれの流行のイメージです。
実際のところ周瑜赤壁の戦場でこんな姿でいたとはちょっと考えにくいと思います。
(蘇東坡先生ゴメン)
後年諸葛瑾周瑜のことを、
「~臣竊以瑜昔見寵任,入作心膂,出為爪牙,銜命出征,身當矢石,盡節用命,視死如歸~」
(ちくま訳 臣たちがひそかに思い見まするに、周瑜は、かつて厚いご信任を蒙り、朝廷にあっては腹心となり、地方に出でては主君の爪牙となって、ご命令を受けて出征すれば、みずから矢おもてに立ち、忠節を尽くしてご命令の実行にあたり、死をものともいたしませんでした)
この戦いっぷり鎧着けてるでしょ?さすがに。
第一、この人孫策と遊んで育ったんだよ?自分だけ鎧も着けずにふらふらと呉の荒くれ武将達を鼓舞できると思います?
完全武装ですよ。
でも、プライベートはお洒落でしょうね。
なにせ孫権から年間二百着もの服が支給されますから(笑)