策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

ソフトな誘拐犯?


一日一策瑜 
「ソフトな誘拐犯?」

周瑜は意外と人材ハンターです。欲しいと狙ったら逃がさない(笑)
魯粛の場合、三国志では蔵を一つポイと簡単にくれて、魯粛自身も周瑜に付いていくことになっていますが、民間伝承では、なかなか手強いことになっています。
数百人の兵を連れてやって来た周瑜魯粛は七十二!の井戸を掘らせ、その泉から湧き出た水で乾杯して友となり、蔵を一つ周瑜に渡し、江東をめざすのでした…って水かい!
魯粛さんお酒も出さないのか?と思ってしまうダメな大人のワタシ。
湧き出た清水というのが清々しい友情なのですね。
と思った数年後、孫策が死んで、魯粛も祖母の葬儀で故郷に一時帰ることになったとき、劉曄の魔の手が魯粛に忍び寄ります。一緒に鄭宝の所に身を寄せないか?と。
これは嘘で、曹操陣営への加入をもちかけようとしていたのではないかと思います。
(真正面から曹操の名を出すと徐州人である魯粛は反発する可能性が高いでしょう)
それに対しての周瑜の動きは手早い!魯粛ママを呉に連れて行っておもてなし(と言う名の誘拐)をしました。
慌てて呉に戻る魯粛。そして、周瑜に説得され孫権に強力に推薦されて客分になり、厚遇されました。魯粛ママは周瑜の叔母さんとする説も中国サイトで見かけたのですが、この人攫いを史書では批判されてないんですよね。不思議。終わりよければ全て良し?イケメンだから許される?
とまぁ周瑜の後任になるくらい出世し、主君とも仲間とも恵まれたので魯粛も呉に来て幸せだったのではないでしょうか?