策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

ソフトな誘拐犯?Part.2


一日一策瑜 

「ソフトな誘拐犯?Part.2」
周瑜さんは狙った優秀な人材は逃しません。
龐統さんの場合、魯粛さんの時とはまた違ったgoing my way な部分を発揮しています。
『太平御覧』に引く《荊州先德傳》という書物では周瑜が無理に迫って龐統を部下にしたとしています。
:“周瑜領南郡,以龐士元名重,州里所信,乃逼爲功曹,任以大事。瑜垂拱而已。”
拙訳(周瑜が南郡を所領としたとき、龐士元の名を重く視て、州里から信頼されているので無理に迫って功曹とし、大事を任せた。周瑜は衣を垂れ何も手を出さず無為でいた。)
荊州”先徳伝なので、江東の人間への反感が含まれているのと、孔明三顧の礼で迎えられたのだから 龐統にもそれなりの礼で迎えられるべきという思いがあるのではないかと想像します。
この頃の周瑜は大怪我の後でもあるし、劉備対策にも追われ、蜀攻略にも乗り出そうとしている時でした。
内心「三顧なんてまだるっこしいことやってる暇なんか無いんだよ!出仕しないと🔥🔥🔥」
とまた、無言でソフトな誘拐を繰り返したのだと思います…
龐統は元々以前から功曹だったので留任を迫られたという見方もあります。
周瑜とは短いお付き合いでしたが、仕事ではフリーハンドを与えられ、魯粛等とのコネもでき、名を高めることができて良かったのではないでしょうか。
美青年がにっこりと後ろに兵士を連れて家にやってきたら付いていくしかないですよね?