策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

軍師? 徐琨ママ


一日一策瑜 「軍師? 徐琨ママ」
孫夫人こと徐琨ママです。
孫堅の妹で同じく呉郡富春で孫堅と親しかった徐真に嫁ぎました。徐家は後に陸家に嫁(徐琨の娘、後の孫権の夫人)を出しており、孫家よりは家格の高い家だったかもしれません。
徐琨は州郡に役人として働いた後、孫堅に従って戦い偏将軍まで出世しています。
そして、徐琨が従う孫策軍の許で、いざ渡江する時、船が不足。
袁術から離れて南下する間に兵士が膨れ上がっていたのです。そこで登場してきたのが、徐琨ママ!なぜ戦場にいるのですか?お母さん?
「揚州の水軍が多数迎え討ってくると不利になります。駐軍せずに蒲や葦を刈って筏を作って、船の不足を補いなさい」
と助言もしてます。
さすが孫子の子孫は女性も一味違いますね。
孫策も頭が上がらない叔母さんだったかもしれません。
結局は、周瑜の丹陽から連れてきた船のおかげ(策瑜パワー🎵)で筏作戦は避けられたみたいです。
孫策は家族を張紘に預けて安全を確保していました…なぜ叔母さんはそこにいたのかな?
孫家の軍師?