策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

お兄ちゃん達は心配性


一日一策瑜

 「お兄ちゃん達は心配性」

孫策は自分が周瑜という友人を得た経験からか、孫権が十四、五の時にに学友として、朱然と胡綜を付けてやりました。朱然は後年、江陵を死守するなど一生まじめな性格と働きぶりで孫権に尽くしました。
一方、胡綜は文章が華麗であったり、兵士の調達、張昭と孫権の間を取り持つなど多岐に渡る活躍をしました。
その一方で酒が入ると傍らの人を殴りつけるというあんまり一緒にお酒を飲みたくない人でもありました。
これはお兄ちゃんの孫策も十四、五の少年が将来酒乱とは見破れなかったものでしょう(笑)
あと、孫権のおねだりにより、周泰を付けてやりました。
これにより、陽羨での山越の奇襲を受けても命からがら孫権は助かることになり、周泰は傷だらけになりながらも、後に栄誉を授けられました。

周瑜孫権魯粛を推薦しています。
孫権魯粛は寝食を共にする(意味深)ほど仲良くなり、トイレ(更衣)にまでずかずか入っていく客分でした。
周瑜としては、一地方軍閥ではなく、天下国家を考えられる視点を持って持って欲しい為に魯粛を推薦したはずです。
そして、一番長く孫権の面倒を見、手も焼いたのは張昭です。
国家の長老が君主に家を焼かれるってナニ?
呉の史官も頭抱えなかったのかしら?
呉書の不思議な面白さの一つです。