一日一策瑜
「曹操と策瑜」
三国志、孫策伝の裴注「吴歴曰:『曹公聞策平定江南,意甚難之,常呼猘儿難与争锋也。』」「狂犬野郎とは喧嘩するわけにはゆかぬのだ」(ちくま訳)有名な罵倒、政略結婚で、親戚関係にもなっています。
(後に子孫が晋に亡命してたりしてこれまた面白い)誼を結ぶと見せかけて暗闘する両者です。
周瑜は曹操から人材コレクションの勧誘を受けた一人です。
関羽、陳宮の次くらいに手酷く振って(その上、己と軍事上のイメージ戦略に利用して)ます。
赤壁で曹操に「周瑜に虚名を得さしめた」と悔しがらせています。曹操は孫策暗殺の黒幕とも怪しまれる一人です。
周瑜は狂犬野郎の義弟、美州狼(美周郎)としてきっちり落とし前をつけたのでしょう。蛇足ですが、曹操は昔、司馬防(司馬懿の父)に洛陽北部尉に推挙されてます。
しかし、曹操自身はもうちょっと上の洛陽令を望んでいました。
ここで、妄想。周瑜の父、周異さんは若くして亡くなったものの洛陽令を勤めていました。その時期は?親子揃って英雄曹操の野望をくじいていたら面白いですね。