策瑜で三国志ブログ

一日一策瑜 再録しました。三国志、主に呉、孫策、周瑜について語ってます。基本妄想。小ネタを提供して策瑜創作してくれる人が増えたらいいな。

諡号


一日一策瑜 

諡号

孫策は長沙桓王という諡号を贈られています。遠くまで土地を征服して、よく慎重に行動し(?)民の為に働くのが桓。(←かなり雑な訳)長沙はどこから??と不思議に思いましたが、江東の豪族達への配慮で関係無さそうな土地をつけたのでしょう。
でも、一応、武烈皇帝様出世の足がかりの聖地らしいですし。(堅パパの治所)
張昭が「ワシが仲父と呼ばれたからには桓王じゃろ」と選定してたら萌えますね。孫権が帝号を与えなかったのが冷たいとよく言われますが、子孫の安全を考えると王でよかったんじゃないかなとも思います。

周瑜は桓王妃…じゃなかった、諡号はありません。宋の徽宗に平虜伯の爵位を贈られています。当時の南宋が北方勢力の遼や金を何とかしたい思いで、周瑜にあやかりたくて贈ったのかもしれませんね。わたしの妄想では、周瑜諡号を贈られる予定でした。
それは、孫登が即位して周瑜の娘(周徹?ちゃん)が皇后になった時、あるいは皇太后になった時には贈られていたでしょう。(呉は元々他国と比べて家臣にそれほど諡号を贈らない様です)
それと、吉川英治先生が美周郎という最高なのをつけてくれてましたね。本場でもすっかり浸透してます。メイチョウラン🎵
いつまでも孫郎・周郎の永遠の青春コンビです。